「宣教師ニコライと明治日本」 中村健之介
岩波新書 岩波書店
ニコライ聖堂でお馴染みの、ニコライ(本名イヴァーン・ドミートリエヴィッチ・カサートキン)。この他に、同じ中村健之介著の「ニコライの見た幕末日本」(講談社学術文庫)、中村健之介編訳の「ニコライの日記」(岩波文庫 全3冊)もある。
ニコライと日本の反比例?な関係
岩波新書の「宣教師ニコライと明治日本」中村健之介著。ニコライと言えば、神田駿河台のニコライ堂(正式名称、日本ハリストス正教会復活大聖堂)。そのニコライの発見された日記によって、彼の日本の生活・布教の様子を見ていこう、というのがこの本の主旨。まず最初はドストエフスキー研究者でもある中村氏ならではの、ドストエフスキーとニコライの出会いをまくらに。
そして、今日は第2章まで。
24歳でやってきた当時神学大学生だったニコライが、函館で主に函館・東北の諸藩の武士階級を中心に初期の信者をつかんでいくまで。日本側の人物にとっては、維新で体制も変わるのだから、神も唯一な新しい神に生まれ変わるのだ、と感じて改宗した人が多くいた。また、後の同志社創立者新島襄など、プロテスタント側になってしまう(ニコライから見れば)人もいて、そういう人には警戒していたらしい。
ニコライ側、またはロシア側にとっては、ロシア正教というものは、もともと完成されたものを取り入れたせいもあり、「異教徒の地への布教」という側面はあまり行われてこなかったが、1860年代(ちょうどドストエフスキーの「罪と罰」などの)小説年代でもある)アレクサンドル2世の改革で変化の兆しが見えてきた頃、ニコライは募集の紙を見て日本へ。
もともと農村の教会の出身で下層の農民などにシンパシーを感じていたニコライと、「富国強兵」の掛け声のもとどんどん変わっていく日本に追いつけなくなっていった日本人の一部が彼の教会の信者となった・・・でも、そんな日本人も徐々に追いつき始めて? この両者が別れていく事件が日露戦争・・・という話にこれからなるのかな?
(2013 02/16)
ニコライの二面性
今さっき、「宣教師ニコライと明治日本」読み終わった…
色丹島まで来て活動していることや、欧米から来たプロテスタントやカトリックの聖職者も実は日本でニコライにあったのが初の正教会体験だった人が多いこと、また日比谷焼き討ち事件の時もう少しでニコライ堂も炎上するところだったことなどいろいろあるが…
p232のニコライの日本人論は、まあまたなんと、日本人の一面を捉えていることか…こうした実利的で合理主義な日本人を半ば警戒しつつも、ニコライが考える、宗教が生きている地(特に下層に…この辺でラフカディオ・ハーンも思い出す)日本を終始離れなかった。
そんなニコライとは言えば、彼にも二面性があるのではないか、と著者中村氏は考える。
(2013 02/17)
見つからない二面性?
昨日、ニコライの二面性について書いていて、それを思い起こしたはずの文探してたんだけど…どこ?
(2013 02/18)
要再調査…