「ミス・ブロウディの青春」 ミュリエル・スパーク
岡照雄 訳 白水Uブックス 白水社
この作品は1969年に映画化もされている。そして木村氏(短編集も訳した)による新訳もあるみたい。そっちは「ブロディ」になっている。
青春は幾つになっても・・・
「ミス・ブロウディの青春」を6/24から6/26にかけて読んだ。
スコットランド、エディンバラの女学校の変わり者先生ブロウディは、ブロウディ・セットと呼ばれることになるお気に入りの生徒を5人くらい周りに作っている。「青春」とはこの生徒たちの「青春」なのかと思いきや、タイトル通り、先生の「青春」なのだ、と読み進めるほどにわかってくる。その筋と、セットの生徒たちが大人になってからのそれぞれのそれからがパッチワークみたいに(この比喩合ってるのか?)織り重なっていく。
まずは、先生がエディンバラの下町?に連れて行き、職業安定所の脇を通る場面から。あ、そうそう、時代設定は大戦間の恐慌後。
続いて後日談の方から。女優としてまあまの成功をおさめていた40歳近いジェニーはローマで雨宿り中、同じく雨宿りしていた「あまりよくは知らぬ」(見知らぬではない?)男と奇妙な体験をする。
ラスト近くからも一箇所。
「直喩の勝利!」みたいな味わい深い一文・・・
先生の「変わり者」とセットの一人サンディの「裏切り」もこの小説の読みどころの一つなんだけど、今回はそっちにあんまり頭振れなかったような気が。
前者は、先生はムッソリーニの信奉者で黒シャツ隊の写真なんかも持っていたけど、別に生徒たちにそういう教育を教え込んでいたということでもなし。この時代ファシズム側にも一定の理解とあるところまでの共感者はいたみたい。そしてファシズム側にもなんらかの可能性はあったのではないか。前に読んだ「日の名残り」でもそう思ったけど。
後者はもっと読み込んでないけど、一番セットの中で中心に描かれているサンディが最終的に「裏切る」のだからそこは読み落としてはいけないところなのかも(汗)。ただ、死の直前になってようやく先生がサンディの「裏切り」を直感する、というところは巧みだなあ、とは思った。
(2018 07/01)
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