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泣くという行いは私にとって扉を開くことに似ている九日目
Day9 最近泣いたこと
前回のお題『最近怒ったこと』と似てしまうけど、昔は泣くことはほとんどなかったと思う。
一番の理由は人前で泣くことを恥だと思っていたから。
さすがに小さい頃は該当しないけど、明確な自我が確立され始めると泣くという行為についてシビアになった。
なのに、なのにだ。
歳を重ねると涙もろくなるのいうのは否定できない。本当にすぐ泣くようになった。
これまで必死に抑えてきた感情を解き放つかのように、少しのきっかけさえあれば涙は止まらなくなる。
今思うと何故あれほど私は己の感情を抑えていたのだろうかと不思議でしかない。
でもまぁ理由はいくつか心当たりがある。
冷静に中立になって考えるとなんとも馬鹿げたものしか出てこない。
でも当時の私のことを思うとそれは仕方がないよなとつい過保護になってしまう。
あの時は今とは違うツライ世界だったから。
そういう記憶を辿ろうとすると今もまさに鼻の奥がツンとして目がじんわりと熱くなってしまう。
多分これが私の中にある閉じられた秘密の扉の鍵なのかもしれない。
演技の勉強をしていた頃、何度もこの扉を開けることを求められた。
それをしなければ乗り越えられない、進めない先が確かにあった。
でもいくらそれを切実に己に求めても決して開けられなかった。
目に見えない枷のようなものが拒むような感覚だった。自分のことなのに自分ではどう外せばいいのか分からない。
いったいいくつ扉はあるのか、その鍵はどんなものなのか。そして開いてしまうと何が起きてしまうのか。
知らないことばかりで怖い反面、すごく惹かれた。
きっと開けばとてつもないモノを手に入れられると確信していた。
これを簡単にいうと“成長”といえるかもしれない。
人としての成長……“一皮剥ける”ともいえる。
演技を磨きたい自分にとってそれは魅力的で渇望していた。
泣くという行いは私にとってこの扉を開くことに似ている。
何にも縛られず、自由にありのままに己を曝け出す行いは恐怖と興奮、そして快楽を持ち合わせている。