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捕鯨問題から学ぶ、他者理解

「日本では、捕鯨問題をどう捉えてる人が多いの?」
こう聞かれて、なんと答えますか。
先日、オーストラリア人の友人に実際に尋ねられて、
何も答えられなかったのをきっかけに、
色々な視点で語られる捕鯨問題を調べて読みました。


世界中でこれだけ議論が行われてきているので、
簡単ではなく、様々な他の意見もあると思うのですが、
わたしが調べていて読んだ日本側の視点のなかから
いくつかのよく目にする捕鯨理由をあげます。
1.IWCが定めた捕獲可能量を超えない捕獲であり、
資源を減らしたり、種を絶滅に追い込むことはない。
2.鯨食は日本の古くからの文化である。


絶滅の危機がある、という意見には1が言えるし、
鯨は賢いから殺すのはかわいそう、という意見には、
じゃあ牛や豚はどうなんだ、とも思えて、
なかなか外国からの厳しい目線の理由が見えない。
(納得の意見をご存知の方がいたら知りたいです)

そんな中で、ある方のご意見を読みました。
ニューヨークを拠点にされている映画監督で、
捕鯨を題材にした映画を作られた、佐々木芽生さん。
彼女の言葉に、わたしの視点にある盲点を見ました。

ご興味のある方がいらしたら、こちらです。


「伝統」に対する考え方の違い。

みなさまは、鯨食は日本の文化であり伝統、
という意見に触れた時、どのように感じられますか?

わたしは、自身が鯨をあまり食べたことがなく、
日本の文化と言うこと自体に若干違和感を持ちつつ、
捕鯨や鯨食を文化や伝統としている人々がいるなら、
それは守られるべき、他の人が干渉すべきでない、
そう感じました。

日本人であっても、しきたりや伝統に対して
こだわりを持たない人ももちろんいますが、
伝統工芸や歴史的建造物や昔から続くお祭りなど、
時の流れを経たものに敬意を払う人は多いのでは。

一方で、欧米からすると、
「昔から続いてること」であるということが、
=「価値のある」「守られるべき」にはならない、と。
プラスにもマイナスにも働かない。

奴隷制や男性だけにあった選挙権が見直されたように、
時代の変化に合わせてアップデートされていくべき。
切り札のように日本が「伝統だから」と言っても、
“So what?(だからなに?)”というわけ。


捕鯨という問題を調べて、平行線の議論をみて。
もともとの、「伝統」というものに対する
受け止め方、重要性に食い違いがある中で、
納得し合うことは難しい。
「なんでわかってくれないんだろう、
相手の主張は要領を得ていない。」
こうなってしまう。

このことって捕鯨に限らないのではと思いました。
文化圏、バックグラウンド、教育の違いで生まれる、
基本的な価値観の違いが、理解を妨げることがある。
背景理解を、念頭において会話すること、
または基本的な価値観の違いの可能性があることを
頭の片隅に入れてコミュニケーションをとることは、
他者理解の上でとても助けになるのでは。

分かり合えない、そう思うときには何か、
きっとそもそものズレが根底にあるのかも。
なんなら、日本人同士でも起こってるかも?
こいつ、ほんとあたまおかしいぜ!って諦めずに、
その人の考えに耳を傾けられる人になりたい。


それにしても、伝統ってやっぱり素敵ですよね。
感動させられる時があります。
学生の頃に角館で買った樺細工の名刺入れは、
「素敵ですね!どこで手に入れたんですか」
と、いつも褒めてもらえるお気に入りだし、
お祭りの日には浴衣を着て出かけたい。

伝統を大切にする国に生まれてよかった、
と、わたしは思えます。
丁寧な説明で、長い間受け継がれてきた工芸や、
大昔から残る神社仏閣の美しさや神秘、
共有できる伝統の良い部分も、きっとあると思う。


異文化交流をすると、ときに鋭い質問に遭い、
それが考えても見なかった見解をくれたり、
自分にとっての当たり前が人にとっては
全くそうでなかったりする新鮮さがあります。

日本人は、地震は怖くないの?
自殺率が高いのはなんで?
みなさんはなんと答えますか?

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