神様になる(前編)
お宅のお葬式は何式ですか? と聞かれたら、何と返事します?
大体、大体ですよ。「仏式かなぁ?」って返事が返ってきそうな気がするんです。
コンビニ、スーパー、百均、文具店……。店頭でもっとも良く見掛ける「不祝儀袋」にはあらかじめ、「御佛前」または「御霊前」とプリントされているものが多いですし。一般的なのでしょう。その次に見かけるのがキリスト教式で使われるタイプの「お花料」とプリントされたものかもしれない。ごく狭い世間での体感になりますが。
世の中の傾向はそのような感じ。でもわたしは参列したことがあります。神式で執り行われた「納骨式」に。ちょっと前の話です。
わたしには、若くして病気で亡くなった友人がいます。名前はケイちゃんとしましょう。学生の頃に知り合い、その後は互いに多忙で、取り敢えず季節の挨拶”だけ”は送り合うような間柄の「友人」ってどなたにでもいらっしゃるんじゃないかと思う。
わたしとケイちゃんの関係もそんな感じだった。でもケイちゃんの最後の数か月に、色々あって、遠くからではありますが密に関わることになった。納骨式にはその御縁で呼んでいただきました。
と、いうわけで「神式」の「納骨式」の話です。
若くして亡くなったひとの納骨式ではありますが、ケイちゃんが亡くなってから年単位で時間が過ぎていることもあり、悲痛な空気は一切ない集いでした。彼女のことを思い出して、なつかしさと切なさがそれぞれの胸に、ふっと沸き起こることはあっても。湿った空気はほぼほぼナシ。
ちなみに、そのタイミングで納骨となったのは、嫁ぎ先(っていう表現は古いけれど、便利なので使わせてください)で亡くなって埋葬された愛娘のお骨の一部を、ご自身が引き継ぐお墓に納めたいという思いがケイちゃんのご両親にあったからのよう。
亡くなった人を偲ぶ式としては非常にカラリとのどかな、なんならみんな――ケイちゃんのご家族、ご親戚、わたしと同じようにケイちゃんと関わった友人、そしてわたしも――笑顔の人ばかり。霊園の隣の墓石屋さんに集合して、出していただいたお茶を飲みながら皆さんに挨拶したり、仲間内でおしゃべりをしたりなど、のんびりまったりと式の始まりを待っていたのですが。そろそろ、という頃合いになって、ケイちゃんのお父様がこう呼びかけた。
「本日の納骨式は『神式』で行います。式を執り行って下さる神職さんが間もなくいらっしゃいますので、もう少しお待ちください」
ん? え!?
おお、なんと! 神式!? YES! すごい!
そういえばケイちゃんはとても良い家のお嬢様だった。なるほど、格式の高い家ではそういうこともあるのか……と納得し、
「神式ははじめて……」「わたしも……」
と友人と目くばせをし合いながら、取り出しかけていた数珠をバッグの底に戻したときに、はっと気付いた。不祝儀袋の表書きが「御佛前」であることに。神式ならば表書きは「玉串料」です。神前式で結婚式を挙げる人達は当たり前にいるのに、亡くなった人の式を神式で行うのはレア。神式でやると予告されていなければ「玉串料」と書いた袋を用意することなんてできない……。
友人一同(しょうがないよね……)と思うことにしました。わたしも、友人も誰も知らなかったのです。わたしたちはみな「御佛前」と書いた袋を用意していた。
でも、先方も悪意があって知らせなかったのではなかった様子。事情があって伝わらなかったか、あるいは、敢えて伝えるほどのことでもないと判断なさったか、どちらかのようでした。失礼をお詫びをしつつ袋をお渡ししたら、大変恐縮されていたのが記憶に残っています。
もしかすると格式が高く背筋が伸びたお家って、むしろおおらかで他人の行動を気にしない精神があるのかもしれない。多分、それは強者の風格というもの……。何に裏打ちされているにしても、自分に自信があるってこういうことだわ、と思う。
ちなみに不祝儀袋は、様々な宗教に対応したものが作られ、売られているようです。Amazonや楽天で検索すると色々出てきます。でも、不幸って本当に予期せぬタイミングで起こるもの。事前に準備できるのは納骨など「スケジュールを組んで偲ぶために集まる」パターンに限られるのかもしれない。
正直、お通夜については、通販では間に合わない場合がありそう……。最近は「斎場が混んでいる」という話も聞きますが、急の「まさか」はあるもので。やはり、無地の袋に筆ペンで書く場合が多い気がします。無地の不祝儀袋ならばどこでも売っているしね。でもわたしは筆ペンは苦手。困ったものです。
……。
話が逸れました。戻ります。
それから間もなくして、水色の袴を身に着けた神職さんがやってきて、わたしたちはこれからケイちゃんのお骨を納めることになるお墓に向かったのでした。