愛の劇場 オモテとウラ
梅雨が明けて…夏本番。気温も35度を超えて猛暑日叩き出し続けている。身体も気温に対応できていないのか…いつも以上にバテているのような感覚だ。
そして、ふと…「あの夏も暑かったな」と思い出した。
*
2003年、夏
中学2年生の自分がいた。(中二病患者)
軟式テニス部に所属しており、気温が30度を超えたテニスコートでラケットを振り回しながらボールを追っかけていた。
今思うとよく熱中症にならなかったな…と
また、それだけでなく光化学スモッグ警報という特にどんな対応をすればいいのかわからない単語が天気予報とともに流れていたことを覚えている。
(光化学スモッグ警報っていうのは今、天気予報で流れていないよな)
夏休みということもあり部活のあとに友達の家に行って、漫画を読み、プレステをする。そんな感じの夏を過ごしていた。
もちろん、いつも友達の家に行って遊ぶのではなく、いそいそと家に帰っててアイスと冷たいジュースを両手に頬張りながら、夏休みの1ヶ月期間限定の昼ドラマを見ていた。
『愛の劇場』
その中のドラマ
『大好き!五つ子シリーズ』
2003年は、「大好き!五つ子5」
夏休みという1ヶ月の中で五つ子たちが織りなす、笑いあり…涙ありの…
ハートフルなドラマであり、五つ子たちが大人たちを巻き込んで、大人の事情を変えていく。そんな、ドラマだった。
そして、当時その主題歌を歌っていたのは、
mihimaru GT「約束」
そのことを知るのは、
2016年に爆発的にブレイクした『気分上々⤴︎⤴︎』の年であった。
(同世代に聞いてみましたが、皆、『約束』を知らないと言っていた…)
*
上記の『愛の劇場』は、オモテのエモくてノスタルジーな気持ちになる
夏の思い出だが、これだけではなかったのが2003年の夏。
この年は中二病患者であったに注目していただきたい…
部活が終わり、部活のメンバーで花火大会をすることになった。
当時住んでいたところは、地域でいうと治安にのいい住宅街であり、打ち上げ花火はもってのほか。そんな場所で、周りを気にせず、、爆竹から始まり打ち上げ花火をする始末。
流石にまずいと思ったのか、近くの公民館の広い空き地に移動することになる。小さな火をともし続けよう…と思ったのかそれが、一気に広がりキャンプファイアとなる。
この時点でだいぶ危ないのだが、それだけでなく…ストックされていた花火を一気にその火の中に入れるという輩もでてきた。もうみんな中二病患者やったと思う。間違いない…
すると、近所のおじさんが注意をしにきた。そこで一気に興ざめをした。
父親の登場だ…ここでまさかの展開となる。
この時点でだいぶ頭にきていたのだろう、言葉に怒気があったのを覚えている。花火大会は一瞬にして幕を閉じた。
その後、家に帰ると説教タイムの始まり、始まり、
目の前にA4サイズの紙が出され、
「今日来ていた奴らの名前を全部書け」と言われ…
『担任の先生でもないのに先生ぶるなよ』…と思いながら
しぶしぶ名前を書いていた。
後日、聞いてみると警察が地域を巡回していたとのことで補導されずにすんだんだよ…と言われたが、よくよく考えると補導されたことのない親が、
補導されたらこんなことになるんだよという説明はなかったなあ。
補導されるほうがネタになるし経験となるのになと…
これが、2003年夏にあったウラの『愛の劇場』だったにちがいない。
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