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みんな悩みながら書き続けているのかもしれない

昨日、令和元年にやりたいことというテーマでnoteを書いた。大体、1週間他のメンバーの内容を読んでいるため、既に内容は思い巡らせており、大方書き上げたものを手直しして夜upしている。

最近は体調不良もあり、集中力に欠け長時間PCに向かえないこともあったため、つぶやきだけでupすることも多かった。

ただ、それだけが理由かというとそうではない。

文章を書くことに悩んでいたから、つぶやきに逃げていたようにも思う。

本当は気になっていることがあり、書こうと思っても、いい言葉が見つからない、まとまらない、方向性が見えないなどなど。

それでも更新を続けたのは、最初に自分自身に対して目標を掲げたにもかかわらず、その約束を破った私を想像すると腹が立ち、どうにかして今日中に何か言葉を残さなければという気持ちになるからだった。

内容を濃くしたい、テーマを掘り下げたい、響く言葉を選べるようになりたい、クオリティを高めたい

~したいというど思いがどんどん強まるに対し、実力が伴っていないのがひしひしと伝わる。

読み返すと、ここは直しが必要だったと感じることも。

日々反省し、どよんとした重い空気を心に抱えながら、また決意表明を行う心づもりでいた。

そんな時、Twitterで流れてきたルミさんの言葉に驚いた。

「焦るし、悲し」

ルミさんでもそんな風に悩んでいるの?

まさかこのタイミングで、ちょうど時期を同じくして、悩みをつぶやいたルミさんに思わずTwitterでもコメントしてしまった。

noteを始めた頃からルミさんの言葉に感激し、ドキドキしながらも思わずコメントした。なかなか自分から行動しない私が一歩踏み出した時。記事を遡って読んでみたり、新しくupされるnoteを心待ちにしている。

どれだけ書いても、継続していても、より文章をブラッシュアップしたいという思いを持ち続けている。

そうだ、書くというのはそこで立ち止まらないんだ。心が成長しているのと文章の腕が上がるのとはタイムラグがあるんだろう。

かといって、同じスピードだったとしたら、胡坐をかいて退化していくんだろうなと。

さあさ、行きつ戻りつお茶でも飲みながら書き続けていきましょ。

話すよりも書く方が想いを表現しやすいと気づいてしまった以上、一生この悩みを抱えていくんだと覚悟を決めて。



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