旅に出ると写真が上手くなる説
普段ファミリーフォトを中心に仕事として写真を撮っている者として、写真が上手くなるにはどうしたらいいか?という問いは、ずっと向き合ってきた大きな課題です。
カメラマンを7年くらい続けてきて、この問いに対して心の中に秘めていた一つの仮説があります。
それが「旅に出ると写真が上手くなる」という説です。
写真が上手いとは?
どういうことなのかをお伝えするには【写真が上手い】を定義する必要があります。
いろんな上手さがありますよね。構図めっちゃ綺麗とか、色がいいよねとか、切り取る瞬間が魅力的とか、光の扱いに優れてるとか、アイデアが斬新、みたいなことも全部ひっくるめて「写真が上手い」と言っていいはず。
多くの人が語ってきた内容なので大変僭越ながら個人的な定義を書かせていただくと【自分の思ってること・感じたことを写真で表現できる】だと考えています。
表現の手段としての写真
側から見てると機械でシャッターボタンを押すだけの、誰でもできる作業が写真撮影です。
が、シャッターを押す前に「何を映すか」「光の当たり方はどうするか」「どの角度が綺麗か」「レンズは何を使うか」「最終的にどう使われるのか」などなど、創作に伴う選択の連続が脳内で行われています。(もちろん、全然行われていない時もあります。)
絵を描くときも「何描こうかな」「何色にしよっかな」「構図はどうしようかな」みたいなことを考えて選択をしているはずで、概ね同じようなプロセスを辿っていることを考えると、写真は一つの表現の手段であると言えます。
知識や経験によって、見てるもの・感じることは変わる
ちょっとかっこつけた言い方をさせていただくと、
経験は感性に深みを、知識は幅を持たせてくれるものだと思ってます。
例えば毎日陽は昇って沈むので、夕陽は何度も見ているはず。
でも好きな人と一緒に眺めるとか、部活帰りに友達と話しながら見るとか、そういう経験を通して夕陽に懐かしさや切なさみたいなものが生まれてきます。
一方、「なんで夕陽は赤いのか?」を知っていると自然の神秘を感じられたり、色によって明日の天気を想像することができたりします。
情報を受け取った時に思いつくことが増えますよね。
旅は写真を上手くする
旅をしても写真の技術的な部分は変わらないかもですが
写真を撮る=自己表現の手段として考えたとき、
自分の感性の深さや幅は表現に大きな影響を与えると思いませんか?
旅は物理的な移動が伴うのでわかりやすいですが、新しいことに挑戦したり会ったことない人と話をしたりすることだって、きっと自分に影響を与えていると思います。
大事なのは変わっていくことを受け入れ、楽しむ気持ちなのかもしれないですね。