#9|小さなアトリエを訪ねて[兵庫区・平野]
やっと”定住”します
このあいだ、神戸に来てから何回目かの引っ越しをした。
といっても、引っ越し先は前の家から道路を一本挟んだだけなので、生活圏はまったく変わらない。
変わるのは、この家にきっと住むであろう年月の長さだ。
この家では落ち着いて10年、20年は暮らしていきたいと思っている。
そう思ったとき、町を見つめる心持ちがまったく変わったことに気がついた。
ひとときの刺激や流行りだけではなくて、この町の空気をかたち作っているものや、ここで生活を営み、地域を育んでいるひとたち。
そういう時間のかかりそうな町の一面を、もっともっと見てみたい。
ちょうど先日訪れたしずかなアトリエと商店街で、そんな町の顔が少しだけ垣間見えた気がした。
BOTANICAL MOMENTのアトリエ
兵庫区のだいぶ山側に、平野と呼ばれる地域がある。
このあたりは近年水族館も入った複合施設ができたり、なにかと話題の場所である。
その平野の住宅街に、一軒のシェアハウスがある。
バナナを売る商売をしていた人が建てた、和洋折衷のりっぱなお屋敷だ。
住む人がおらず解体が決まっていたこの家を、”西村組”という廃屋ばかりを扱う風変わりな集団が助け出して改修をした。
年齢も国籍も、いろいろの人が住んでいるらしい。
この家の離れに、「BOTANICAL MOMENT」のアトリエがある。
オーナーのayakaさんが提案するのは、「自然を身近に感じられる暮らし」。
ハーブや植物由来の精油など、植物のめぐみを活かした製品づくりやパーソナルレッスンを行なっている。
数年前ハナクマ荘でワークショップを開いていただいたご縁があり、先日アトリエへ伺った。
このアトリエが、ほんとうに優しくて静謐な場所なのだ。
母家とおなじく古い建物だから、木部はすっかり飴色に変わっている。
洋風のつくりで天井は高く、こじんまりとしているけれど狭い感じはしない。
窓からはのびのびと茂る植木を眺められ、そのガラスには四季の植物の模様が彫られている。
部屋のあちこちに生けられた、庭で育った草花たち。
精油を精製する銅やガラスの機器などは、ずっと前からそこに居たかのようにひっそりと窓際に佇んでいた。
じつは改修前にもここに来たことがあったけれど、そのとき感じた人気のない寂しさや埃っぽさなどは、さっぱりと消えていた。
誰かが大切に手を入れ、その場所の良さを生かしながら育てた空間というのはこんなにも温かいものなのだな。
ayakaさんはいま、環境への負担が少なくなるような、それでいて使う人の気持ちが安らぐような新しいアイテムづくりに邁進しているそうだ。
会うのはお久しぶりだけれど、その物腰の柔らかさとは裏腹にある、芯の強さにいつも圧倒されてしまう。
用意してくださった爽やかなお茶とお菓子をいただきながら、たくさんおしゃべりをした。
時間が経つのを忘れてしまうほど心地よいひとときだった。
だれも気にしなければ、無くなってしまうはずだった場所。
そこにしかないきらめきを見出した人や、ゆっくり育んでいく人がいることが、奇跡のように思えた。
中央ベーカリーの「ドライカレー」
アトリエを後にして、お昼は平野商店街の「中央ベーカリー」へ向かった。パン屋さんと喫茶店が併設されていて、ランチメニューもいろいろだ。
一度だけayakaさんに連れてきていただいたことがあり、その飾らない雰囲気が好きでまた来てみたいと思っていた。
喫茶店のメニューはなんでこんなに心をくすぐるんだろう。
悩んだ末に「ドライカレー」を選んだ。
東北出身のわたしにとって、ドライカレーはひき肉入りのぽってりとしたカレーのことだ。
関西に来て、カレー風味の炒めごはんのことを「ドライカレー」と呼ぶと知りびっくりした。いつか食べてみたいと思っていた憧れのメニューである。
運ばれてきたのは、カラフルなピーマンとお肉が入った茶色いごはん。
予想よりずっとスパイシーで、しっとりぱらぱらの食感と甘辛い味付けにスプーンがとまらない。
これが "こっち" のドライカレーか……!
その病みつき味に夢中になり、はらぺこの私はあっという間にたいらげてしまった。
そして一緒にたのんだコーンスープの美味しさも忘れてはいけない。
これは前回ayakaさんが「ぜひ食べて」とおすすめしてくれたもので、たしかにとてもおいしかった記憶があった。
ちいさなカップにたっぷり注がれたスープは、うっかりやけどしそうなくらいアツアツ。
上にのったクルトンは、併設するパン屋さんのパンで作ったものでさくさくだ。とろりとしたスープとの相性はもちろんばつぐん。
夏でも冬でも関係なくこのスープは飲みたいと思った。
店内には新聞を広げて長居するおじいさん、なにやら考えごとをしていそうなお姉さんなどが、それぞれの時間を過ごしている。
日々のパンや食事のために、気負いなく来れるお店というのはいいものだなあと思った。
長く住むことを楽しみたい
こういう場所たちが集まって、年月を重ねていくうちに、他のどこにもない町になっていくのかな。
その様子を、これからは腰を据えてゆっくり体感していけるのだ。
と思ったら、あたらしい冒険がはじまったようにわくわくしてきた。
あちこちを旅するおもしろさとはまた違う、ある一つの町で生きていくことでしか得られない発見。
そういうものに日々気がついていきたいと、この日思った。