この不幸な人生は俺を育てた親への復讐なのか?

上の動画は、人によっては心に物凄いダメージを受けるかもしれない。僕がそうだったから。動画タイトルは『「親に言われた通りやる」ことは親への「復讐」かもしれない』。結構物騒な題名だ。


僕は、中産階級の比較的裕福な家庭に育った。

中学受験で進学した中学校が荒れていて、そこで受けたストレスが後の人生に大きな影響を及ぼした、その結果が経済的にも精神的にも親から独り立ちできない自分だと、これまで思っていた。

こんな物騒な文章を書くくらいなので、僕の人生はハッキリ言って先行き不透明な、希望のあまりないものだと認識してほしい。


親は二人とも「あなたのためを思って」と言ってはばからないほど、僕を愛していたように思える。欲しいものはほぼなんでも買ってもらえたし、なんなら今でも「ほしいものはないか?」と聞かれる。


僕は彼らから、無意識に「人の期待に応えるように」生きるよう、八方美人な自分を演じるように仕向けられてきたような気がする。


すごく、「いい子」な子どもだった。手のかからない子ども。

ただ、対人関係はすごく苦手で、今でも人と関係を築くのが困難だ。もちろん、表面上は仲良くできるが、心のどこかでは相反する感情を抱いている。


両親は、それを悪いことだと認識していた。とくに、父親は「心を開けば相手はわかってくれる」とよく言っていた。

そして、その割には仕事仲間やお偉いさんを僕たち家族の前で公然と批判していたり(一番有名な人は安倍元首相。実際にパーティで会ったらしい)、その言動の矛盾に僕はしばしば惑わされていた。


僕はその後、「いい子」から「いい人」に育った。その結果、自分とは何なのかいまだにわからず悩んでいる。

人と自分との境界線もあいまいだし、その言動がしばしば人に迷惑をかけているような気がする。


良い人だけど、なんとなく信頼できない人って身の周りにいるはずだ、僕が恐らくそうなのだろう。人はあまり向こうから寄ってこない(逆におじさんおばさんウケは良いが)。


そのうえ、この前ある「行動」を起こしたことで、父親はひどく僕に失望したようだった。それは単に「つみたてNISA」をはじめたってだけの事なのだが、拝金主義だとか、資本主義の行き着く闇だとか言って、僕の行動を非難していた。


その結末として、孤独だ。そして虚無だ。何が好きで、何が得意なのか。親から言われた「君はこれが得意だ」という能力は持っているが、自分を確固たるものとして守り育ててくれるようなものには出会っていない。

例えるならば、縄につながれた家畜なのだろう、僕は。

紐を食いちぎって広い世界へ旅立つことを、失敗して痛い目にあうことを、親は望んでいない。


趣味は多い。釣り、イラスト、アニメ、野球観戦、音楽鑑賞、競馬、鉄道、写真、文章書きetc...

そのどれもが、自分の手に馴染まない。どれかを触ってはすぐ飽きて、まだ別の趣味に浮気する。

これには僕も手を焼いた。あまりにも飽き性で、続いていると言えるものがない。なぜなのだろうと、苦しんだ。


動画から受けた衝撃をこの事実に結びつけると、こうなる。


「自分から不幸になって、親に復讐する(無意識に)ためにあえて不正解の行動をとっている」と。


つまりは趣味に没頭して幸せになることをどこかで拒んでいる。恥ずかしいことだと思っている。


このことに気づいて、衝撃を受けたのだ。

僕は、こんなにも不幸な自分を、親に見せつけていたのだ。


全ての意識が、親への復讐(という意識)に向いている。そのことに気づいてしまった。


僕は自分の人生を生きていなかった。だから自我が育たず空虚・虚無なのだと。


こういう時、これまでの自分ならば親が望むような思考、すなわち「考え方が変わったことで前向きになれる」という似非前向き的な方向に考えようとしていたはずだ。


だが今の自分は、ひたすらに自己を嫌悪している。破壊したいと思っている。親への復讐がだめなら、自分を破壊してしまおうということだ。


言葉にできるだけまだマシなのかもしれない。これが表現方法がわからずモヤモヤしているだけだったら、そのうち忘却してしまってまた同じことで苦しんでいたことだろう。


悪夢のようなこの輪から抜け出したい。動画でも触れられていたけど、やっぱり意識を親から自分へ向けることが解決策なのだ。


自我を作る準備。まだ出来ていないが、どうしたら自分を労わってやれるか。これから考えていきたい。親の影響に苦しんでいる人は、ぜひ上の動画を見てほしい。

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