『きのう何食べた?』に見る「この時代の型」にはまれない人たちの人生観
西島秀俊さんと内野聖陽さんがダブル出演されている『きのう何食べた?』
よしながふみさん原作の、いわゆるゲイカップルの日常を美味しい料理とともに送るドラマです。
今回シーズン2ということで、シーズン1をネトフリで鬼リピしていた私は毎週楽しく視聴してました。
最近は、いわゆる『BL(ボーイズラブ)』と呼ばれる、男性同性愛者の恋愛ドラマが多くありますが、これはそれの先駆けであり、また、それらと違ってどちらかと言うと日常生活の話です。
いわゆるラブシーンもキスシーンもなく、話して喧嘩して御飯作って仲直りしてご飯食べて、という、大きな事件もない、平和の中にちょっとした物語があるドラマです。
シーズン1ては、どちらかといえば『ゲイである』当事者同士の物語が描かれていたのですが、今回は、家族や年齢、会社での立場など、もっと俯瞰的で、同世代として、そして「多数派のように結婚して子供を持つことが難しいタイプの人間」にとっては、共感と納得の連続でした。
(以下、ネタバレ含みます)
例えば、同性愛者の結婚について。
もちろん今の法律では同性愛者の結婚は許されていません。
第十話では、西島秀俊さん演じるシロさんが、内野聖陽さん演じる恋人のケンジのご家族と食事会をします。
美味しいうなぎ料理に舌鼓を打ったあとで、お母さんは今回シロさんに会いたいと言った理由を話します。
男性同士の恋愛、今は『家族』にはなれない。
もし、シロさんのことを知っていなかったら、仮にケンジが事故か何かで亡くなったとき、シロさんはイチ友人としてしか、病院でも葬式でもケンジに対面することができない。
しかし、家族と知った仲だったら、『身内』として接することができる。
「他人でも『身内』になることはできる」
このセリフは、ハッとさせられる一言でした。
また最終話、シロさんがケンジに養子縁組の話を持ちかけます。
これはある意味プロポーズ。家族になろうと言っているのですが、ケンジはやんわり断ります。
もし養子縁組をしてしまったら、この先同性婚ができるようになっても結婚をすることができない。
それに自分は、親子になりたいわけではない。
これは、同性愛者みんながぶっ刺さるセリフではないでしょうか。
かくいう私も、来年アラフィフになろうとしている独身者。
私の場合同性愛者ではないのですが、人との付き合いが苦手な人間です。
今は一人暮らしで、親は私の交友関係なども知るはずもなく…。
もし、今私になにかあった場合、私の友人たちはそのことを知ることができるのだろうか、と考えることもあります。
しかし、その一方で、シロさんたちが悩み迷うのは、日本の法改正が性マイノリティに寄り添ったものになってないからというのも現実です。
代替案を模索し、それで落ち着こうとしているだけなのです。
見ている私達は、この現実に対して、
「良かったね」ではなく、好きな相手が同性というだけで、代替案を選ばなければならない人がいるという現実に目を向けなければなりません。
きのう何食べた?最終回は、TVerで視聴できます。
ぜひご覧ください。