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「あなたは生んではいけない」乙武氏の問いかけに素直に賛同できない私たち


「あなたは子どもを生んではいけません」
センセーショナルな一文から始まるこの記事は、
『五体不満足』でおなじみ乙武洋匡さんの最新のnoteだ。

乙武さんの記事では、優生保護法についての裁判の記事にあった読者のコメントが概ね
「いや、でも当時の環境だったらこの法律があっても仕方がないよね」
という内容であるのに対し、静かに反論している。

乙武氏の今回の記事だけでも、購入して読んでいただきたい。
彼の静かな反論は、大声の主張よりも凄みがある。
そして、我々健常者が見落としていることを指摘し、「そのままでいいのか」とまっすぐ見つめ問いかけてくる。
「人を差別してはいけないよ」
なんて、耳心地の良いものではなく、私の心の奥にある、私たち自身が気づかない本音まで見透かされるようなイメージ。

きっと彼は、上辺だけのきれいな回答は求めていないだろう。
だからあえていう。
健常者である私は、乙武氏の主張に素直に賛同できない。


■『優生保護法』

『優生保護法』とは、1948年〜1996年に存在した法律である。

優生思想・優生政策上の見地から不良な子孫の出生を防止することと、母体保護という2つの目的を有し、強制不妊手術(優生手術)、人工妊娠中絶、受胎調節、優生結婚相談などを定めたものであった。

Wikipediaより抜粋

言葉を選ばず平たく言うと
「欠陥のある人は、そのDNAを後世に残さないでくださいね」
という法律だ。

医学的には、障害が遺伝により著しく高く引き継がれるという事は言われていない。

しかし、当時の時代は「産めよ育てよ」の時代、その中で障害者を『不良』と判断しその子孫の出生を防止するというおぞましい法律が、つい30年ほど前まで存在していたのだ。

■私達の“本音”

差別はいけないことだ。
誰にでも幸せになる権利はある。

これらは私達が常々思っているであろうことだ。

他方で、現実として差別はある。

車椅子ギャルとして発信をしているさしみちゃん。
「車椅子優先のエレベーターが、健常者がいっぱいで乗れない」
というSNSの発信で炎上することも多い。


差別は良くないことだと頭ではわかっていながら、差別的な現実に対し、なるべく見ないようにしてしまう。
そして、知らず知らずに差別をしてしまっている。
指摘されれば逆上する。
本来なら「差別は良くない」と声を荒げるべきなのだが、それができない。なぜなのだろう。
私はこれには3つの原因があると考える。

■日本文化〜人に迷惑をかけるな〜

一つは日本文化に根付いた教育の内容だ。

日本人の文化の中には
「人に迷惑をかけてはいけない」
という教えがある。
そしてその教えは強く私達を洗脳している。

誰かに手伝いを乞うことや助けを求めること、すべてが
「迷惑をかけること=してはいけないこと」
に含まれてしまう。
そのため、
「人の助けが必要な人たち≒人に迷惑をかける人たち」
と認識してしまい、差別はいけないという思想と相反する考えを持ってしまうのかもしれない。

海外では
「人に迷惑はかけるもの。だから進んで手を差し伸べよう」
という思想の国も多い。

はたして、助けを求めることは迷惑なのだろうか?

■日本文化〜悪しき家族の絆〜

次に、日本を始めとするアジア圏の文化として『家族主義』がある。

介護や子育てに対して、「家族内で解決する」ことが、一番の常識だと、わたしたちは知らず知らず認識している。

現在ドラマが放映されている『ゆりあ先生の赤い糸』は、ある日夫が昏睡状態になり、介護せざるを得ない状況になる。

意識のない夫を今後どうするかの話し合いがされるが、介護施設に入れようとする主人公に、姑や小姑は反対する。
「家族で世話するものでしょう」と。

現実でも、夫や妻が配偶者の、子が親の、親が子の介護をするのも珍しくない。
介護施設に入れない理由としては、経済面や空きがないというのもあるが、『世間体』というのも含まれる。
介護施設に入れると、さも家族を見捨てたかのように言う人もいる。そういった世間体に縛られ、家族の介護をすることになり、悲しい事件につながることも少なくない。

■法律の穴

最後に、法律で人々を救いきれていない事実を紹介する。

以前取り上げたニュースでは、グループホームで20年間にわたり、障害者どうしの結婚に対し強制不妊手術の説得していた、ということがあった。

このニュースでは各メディアが一斉に「優生思想ではないか」と取り上げた。
しかし、グループホーム側から
「法律ではグループホーム内での子育てを想定しておらず、支援が出来ない」
という主張がでた途端、波が引くかのようにどのメディアもこのニュースを取り上げることがなくなった。
おそらく
「じゃあしょうがないよね」
という気持ちがあるからだ。

何がしょうがないのか。
法律がその人達を守りきれていないから。
もしその法律が、グループホーム内で子育てができるように改正されたら、自分たちの税金や介護保険料が上がる可能性があるから。

私達は、差別のない世の中になるのを望んでいるが、それが自分の負担になる可能性があると、別の話だと思ってしまう。

■まずは知る そして受け入れる

これまでは、私達健常者の残念なところをあぶり出してきた。
しかし、これはあきらめのあぶり出しではない。
私達は文化という足かせを知らないうちにはめて、差別は良くないがしょうがないという思い込みをしてしまっていることに気づかなければならない。
そして、それを打壊していくべきだ。
その積み重ねが、未来の『多様性社会』の実現になると願っている。

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