見出し画像

対話型鑑賞を通した学び

昨年10月に静岡県立美術館で行われた「美術による学び研究会」での対話型鑑賞の学びの記録と、最近、対話型鑑賞から繋がった気づきがあったので、書き残しておきたいと思います。

⚫︎研究会で印象に残ったこと

・対話型鑑賞の中に「哲学対話」というキーワードがたくさん出てきました。哲学対話の研修に出た時には、図工の授業に哲学対話を取り入れている先生と出会うこともあって、哲学対話とアートは相性がいいらしいと言うことを改めて感じられました。確かに、アートで対話をしていると、どんどん哲学的になってくるような感覚があります。発表の中で、対話型鑑賞のファシリテートを哲学対話のようにしてはどうかと、提案をもらっている先生が何人かいたのが印象的でした。

STEAM教育の研究をされている先生の、「理科における美術とのつながり」のお話がとても面白かったです。「真珠の耳飾りの少女」のターバンが鮮やかな青色で、岩絵具ラピスラズリからできた色だというところから、岩石・鉱物の学びにつなげていくという授業。昨年、葛飾北斎や東山魁夷の絵を長野で見る機会があって、その時に共通して青が美しくて印象的だったことを思い出して、岩絵具を使っているということを知ったところ。他にも浮世絵の花火の絵から炎色反応の授業に繋げたり。
以前noteにも書いたのですが、STEAM教育について配信しているアメリカの教育系ポッドキャストに、「Your Brain on Art」(日本語訳の本も最近「アート脳」というタイトルで出ています)という本の著者が出ていました。著者は、科学者とアーティストのお二人で、まさに科学✖️アートの掛け合わせのお話が非常に興味深かったです。
この本の中で、対話型鑑賞についても書かれています。


・理科✖️美術の授業を聞いている時に、ふと数年前に読んだ本を思い出しました。

対話型鑑賞の授業をいろいろ聞いていると、理科✖️美術の発表をされた先生のように、理科だけでなく、どの教科にも対話型鑑賞的な要素を取り入れた授業というのは、「教えない授業」の本に書かれている授業のように、“対話型鑑賞“というものを知る前から、意外と取り入れていたかもしれないなと、今までの授業を思い返していました。(ほとんどが、アート作品からの対話型鑑賞というわけではなく、資料や写真などを使ったものなのですが)
例えば、社会科の授業で、東京オリンピックの前と後の東京の街の様子を写真で見比べて、そこからの気づきで授業を展開したり、国語の授業で「鳥獣戯画」の絵を見て、聞こえてくる声やストーリーを考えてみたり。算数では、建築物の写真を見て、図形を見つけてみたり。実はどの教科でも、対話型鑑賞的な取り組みはすでに色々な授業で取り入れられていると思います。写真や絵画、資料を見て、そこからさまざまな視点で意味を自分なりに見つけて、そのつぶやきから授業を展開していくというのは、授業をする側も非常に気づきが多く、子供達からどんな言葉が出てくるか予想ができず、とても楽しいです。一つのものから自然と対話が生まれていくプロセスを見ているのはワクワクします。つぶやきや対話から授業が始まり、思いもよらない学びにつながったりして、授業が子どもたちの手で作られていく感覚があります。
今思い出すと、こういう授業の時は自然と、問いかけたり、結びつけたり、言い換えをしたり、対話を促進して深まっていくような、“ファシリテーター”的な役割を、無意識にですがしていたのかもしれません。

⚫︎最近の気づき

・安斎勇樹さんがvoicyで、絵だけではない創作物を対話型鑑賞のように鑑賞して対話する、というようなお話をされていて、対話型鑑賞は絵だけではなくリフレクションや文章からでもできると私も感じていたので、とても学びの多いお話しでした。
絵を見ながら対話型鑑賞をするように、みんなのリフレクションや書かれた文を鑑賞し合いながら、ジャッジやアドバイスではなく、自分が感じたことや問いとして出てきたものを対話する。そうすると、ただ見て読んでいるだけでは浮かび上がってこない、その人の奥にあるものに触れられたり、そこに共鳴して、自分の内側からも何か浮かび上がってきたりします。その作者の思いを共有してもらえることで、その人のことを、以前よりもより深いところで知ることができたように感じられて、親近感が湧きます。
対話型鑑賞の良いところは、答えがなく、ジャッジを挟まない、というところだと感じています。ただただその絵や作品に興味関心をもって、深く知りたいという思いで一緒に探究していくような…そんな感覚をいつも感じます。安斎さんも言われている通り、チームビルディングにもとても良い手法だと思います。

個別最適な学びという事が大事にされています。一人一人のタブレットで、自分に合った学びを自分のペースで学ぶことも個別最適な学びなのですが、何か一つの同じものを観て、それぞれに感じたことを対話することも、個別最適な学びになっているのではないかと、ふと感じました。同じものを見ていても、思っていることや、気づきや学びが起きるタイミング、その内容はきっと一人一人違います。一人一人違いはありますが、同じものを深く見つめて対話するとき、そこに立ち現れる空気感は、一人一人がタブレットで別々の内容に向き合っている時とは全く違って、その場に繋がりが生まれるような気がしています。それは、対話をすることでの相互作用が常に起こっているからではないかと思います。
個別最適というと、別々で自分のペースで何かをする、孤立したイメージなのですが、対話型鑑賞のように、同じものを見て、各々個々に自分の思うことを感じたままに表現し合える安心安全の場で行われる学びも、一人一人自分の気づき、学びを大切にする事ができる個別最適な学びになっているのではないかと感じています。

⚫︎対話型絵画鑑賞ワークショップ

・最近、対話型絵画鑑賞のワークショップに参加しました。実はこれだけ対話型鑑賞に興味を持って学んできているのに、実際に学校外で対話型鑑賞を体験したことがなく、ずっと体験してみたいと思っていました。
とにかく自由な発想で、絵画から気づいたことなどを対話していくのですが、私はすぐにストーリー仕立てで絵を見る傾向があるということに気づき、他の人の違った絵の観方に影響を受けて、また違うストーリーが生まれてきたり、いろいろな視点の広がりが生まれてきて、すごく楽しめました。具象画と抽象画の二つで対話型鑑賞をしたのですが、それぞれに違った面白さがあり、最後には直感でタイトルをつけ、2分間でボードをデザインするという活動があり、授業のヒントをもらえた気がしてワクワクしました。(すぐに授業と結びつけてしまうのが職業病)
まだ美術館での対話型鑑賞に参加した事がないので、今年こそ参加してみたいと思っています。

さて、下の2枚はなんの絵のタイトルでしょうか?

ある具象画につけたタイトル
ある抽象画につけたタイトル

と問いかけてみて、授業のアイデアが一つ浮かびました。
いくつかのアートカードの中から、誰にも言わずに自分の中で一枚好きなものを選びます。その絵のタイトルを考えて、こんなふうにタイトルボードを作ります。それをみんなに見せて、どの絵のタイトルでしょうか?と当ててもらい、なぜこのタイトルにしたのか、などを説明する、という鑑賞のワーク。楽しそう。これ、アートカードじゃなくても、クラスのみんなが描いた絵を見てタイトルを付け合う、というワークもできるかも。ただただ鑑賞して、感想を書くよりも、よく見ないと思いつかないだろうし、面白いかもしれない。

ちなみに、対話型絵画鑑賞で導入に使われていたアートカードがこの国立美術館のもの(対話型鑑賞は大きく映し出された絵を見て行われました)。学校の図工の教材セットについているアートカードより大きくて見やすかったような気がしました。いろんな鑑賞のワークに使えそうです。ワークの例もいくつか中の冊子に載っています。

対話型鑑賞に限らず、アートを通した学びは際限なく広がってつながっていきます。もはや私にとって、アートを通した学びは“遊び”感覚なのかもしれません。楽しくてワクワクが止まりません。

これからもアートを通して、自分、人、世界と対話していきたいです。