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本当はあるはずの「差異」をないことにした「機会平等」
2025年、読み初めは「ケアしケアされ、生きていく」(竹端寛氏)でした。
昨年末、尊敬している友人がSNSで紹介しているのに目が止まった数時間後に
私自身がお手伝いでファシリテーターとして参加したイベント会場で"関連のおすすめ本"として展示されているのを発見して、
運命を感じた1冊。予定通り、年始休暇に読むことができてよかった!
ケアは子どもや老人、障害や特性を持つ社会的弱者のためのものではなく、
これからは、「共にケアし合う豊かさ」が大事だということが提唱されていました。
他人に迷惑をかけないことが暗黙のルールとして強いられている日本社会は
昭和・前後の価値観に囚われすぎているままなのではないかという考察や、
自分自身に対するケアが十分にできていない「ケアレス」な状況に陥るのではなく、
誰もがこれまで受けてきた「ケア」の上にいまの自分があるのだと気づくことの重要性など、
日々の暮らしの中、子育てや家族との関わりの中で改めて意識したいなと思うポイントが散りばめられていて
折に触れて再読したいなと思う本でした。
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私もファミリーキャリアをお伝えする上で、「頼り合う」ことや、
互いの考えや状況にまずは耳を傾けて、それから共に考えること、
そうするからこそ、キャリアを共に叶え合うことができるということを、とても重要なポイントとして扱ってきましたので
非常に共感するところや、自分自身はうまく言語化できていなかったことを論理的に説明されているところもあって、
ファミリーキャリアを目指す方にもとてもおすすめしたい1冊だなと思っています。
そのうち要約記事も書かせて頂き、自身のインプットとしても整理したいです。
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読後いちばん心に残ったのは、
本当はあるはずの「差異」をないことにして、機会平等だという「建前」が蔓延するとどうなるか。
というご指摘です。3章に書かれています。
もともとのスタートラインが平等ではないにも関わらず(頑張っても伸び率が異なる、そもそも頑張ることすらできない環境に置かれているなど)、画一的な評価基準で甲乙をつけられることで
できない人が増える、その結果として自己肯定感の低い若者が多い社会が出来上がってしまう。
私は、息子が通っている剣道の強豪道場に、非常に感謝している一方で、拭えない強い違和感があったのですが
この一言で全てがつながった気がしました。
差異(親が剣道未経験、かたや両親そのまた親御さんも剣道エリート→家庭でサポートできるものが違い過ぎる)があるにも関わらず、
頑張っても、勝っても、選手に選んでもらえない現実に、
先生がお決めになることと頭では思いつつも、気持ちがついていかなずつらい思いをしています。
親の私がそう思うのだから、本人はどれだけの気持ちを抱えているだろうと。
息子は、そんな状況に腐ることもへそを曲げることもせず、文句のひとつも言いません。
けれども、身体は正直。ウイルス性胃腸炎をこじらせて、昨年は過敏性胃腸炎にも苦しみました。
それでも週6日の稽古は休まず、
快方に向かってきてからは朝練もして、
稽古後には振り返りノートも記し、
「剣道の成長は半紙1枚ずつだよ」という先生の教えを愚直に実行しています。
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この本を読んで痛烈に感じたのは、
「差異を無視した機会平等という建前」ありきの能力主義に、親の私が従っていてはいけない。ということです。
勝負ごとなので、勝ち負けや強さに全くこだわらないのは本末転倒なのですが、
それ以外の評価軸を持ちたいし、模索していかなくてはと思います。
本当は、社会全体がそんな多様性を帯びてくると、各家庭だけでもがく負担から親も子も解放されて
「ケアしケアされ、生きていく」ことが当たり前な、みんなが安心して努力できる世の中になるのではないかと思いますが、
まずは自分ができることから。わが家でできることから。試行錯誤してみようと思います。