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足利②足利学校🏫鑁阿寺⛩️織姫神社🏞️渡良瀬橋【ひとり旅 栃木県#6】

あしかがフラワーパーク駅から電車に乗って1駅移動して足利駅に着きました。

足利駅から足利学校鑁阿寺 ばんなんじ足利織姫神社渡良瀬橋東武足利市駅まで歩き、約2時間半の滞在になりました。

✳️史跡足利学校跡

地図を見ながら10分歩くと足利学校入徳門につきました。

ここは、平安時代初期に創設された日本最古の学校です。
遺跡は大正10年に国の史跡に指定されています。

足利市HPより引用

参観料を払うと『ご入学おめでとうございます!』と言われ、足利学校の入学証を受け取ります。
素敵な演出に嬉しい気持ちになりました✨

学校門をくぐるとそこには、かやぶき屋根の学舎と庭園が広がっていました。

学生の講義や学習をしていた“方丈”

この学校に通うのは、全国からあつまった僧侶が中心で当時は、孔子の教えに基づく儒学を中心に学んでいました。

現在のような時間割はなく、自学自習が基本で、主に、中国の古い本を教科書とし、それを書き写して生徒は、学んでいたそうです。

長い人では10年以上、短い人では 1日で自分自身で納得するまで学んだら卒業しました。

南庭園

学生たちが勉強する教室からは、庭園がひろがり心地よい風が吹き込んできます。とても静かで、心が落ち着く場所でした。

北庭園

✳️国宝 鑁阿寺 ばんなんじ

鑁阿寺は、鎌倉時代、建久七年(1197年)に足利義兼によって建立された真言宗大日派の本山です。

足利氏の屋敷跡ということで周囲はお堀で囲まれています。

樹齢650年の天然記念物”大銀杏”

本堂は鎌倉時代、建久7年(1197年)に足利義兼が持仏堂として建立したものを、その後足利義氏が方5間の大堂を建立したが、1129年の火災で失い、尊氏の父・足利貞氏により正安元年(1299)に再建したものです。

鎌倉時代に当時中国の最新の寺院建築様式の一つであった禅宗様(ぜんしゅうよう)をいち早く取り入れました。

密教寺院における禅宗様仏堂の初期の例として、また関東地方における禅宗様の古例として貴重な文化財です。

平成25年(2013年)に国宝指定されました。

鑁阿寺を後にして織姫神社へ向かって歩きました。

途中、大きなスーパーや個人経営の飲食店があり生活しやすそうな街でした。

銭湯 花乃湯

パッと見た瞬間”写真を撮りたい!”と思い撮影した昭和レトロな銭湯。

後で調べたら、宮沢りえさん主演の映画『湯を沸かすほどの熱い愛』のロケ地になった銭湯でした。
2023年の春から長期休業しているそうです。

10分ほど歩くと朱塗りの歩道橋が見えてきました。

✳️織姫神社

境内まで229段!!
ビルの高さに換算すると10階くらいの段数。頑張って登りましょう💪

最初は、軽い足取りで階段を上がっていけましたが、だんだん息が切れてきました。

境内からの景色は、関東平野が一望できる絶景でした!

色鮮やかな朱色の社殿

足利織姫神社は1200年以上の歴史と伝統を持つ足利織物の守り神を祀る神社です。

特に産業振興と縁結びの神社として有名で、多くの参拝客が訪れます。

恋人の聖地

縁結びの神社と云われる由縁は、経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を織りあわせてひとつの生地になることから、男女の結びつきを強める縁結びの神社として広まっていきました。

「人・健康・知恵・人生・学業・仕事・経営」との縁を結ぶ、七つの御神徳があるとされています。

愛むすび・愛の鍵

愛の鐘のすぐ側にハート型の南京錠「愛の鍵」がずらりと並んでいます。

願い事や愛の誓いを書き、奉納することで二人の絆がより深まるのだそうです。

石段の途中にお蕎麦屋さんがありました。
人気のお蕎麦屋さんで大勢の人が並んでいました。

✳️渡良瀬橋と渡良瀬川

渡良瀬橋

ここは、1998年に発売された森高千里の曲名となった渡良瀬橋。

この曲は、渡良瀬橋での恋の想いや別れの悲しみを歌ってます。

渡良瀬橋から見た渡良瀬川

この曲がヒットした時、私は、20代半ば。その当時は、耳に心地良いメロディーで何気なく聴いていました。

今日、改めて足利を旅して街を知ると、恋の記憶やせつない別れが足利の風景と絶妙に交わり、私の心を感動させ涙を誘う曲になりました。

最後までありがとうございました🌟

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