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重慶グラフィティ事情

中国は重慶にグラフィティのメッカがあります。場所は四川美術学院のキャンパス周辺。沙坪坝区大学城にある新しいキャンパスではなく、黄角坪にある古いキャンパスのほうです。近くには、重慶を代表するオルタナティブ・スペースとして知られるオルガン・ハウス(Organhous)を含む「重慶501芸術基地」もあるので、重慶アートの発信源として知られています。

ご覧ください。大学正門から続くレンガ造りの壁面が見渡すかぎり色とりどりのグラフィティで埋め尽くされています。スプレーだけではありません。筆でていねいに描かれているものもありますし、地面には達筆らしき文字も書かれています。

これほど大規模で、かつ徹底的にグラフィティが密集している現場は他に見たことがありません。かつては横浜の桜木町の高架下が有名でしたが、それもずいぶん前に撤去されてしまいました。この場所は、重慶の若者たちには絶好のインスタ映えポイントとして人気を集めているようでした。

しかし、驚かされたのは目の前でじっさいにグラフィティを描いている人たちが少なからず散見されたことです。とくに若い女性たちが絵の具と筆で、ていねいに、じっくりと、描いている。警察の眼は? 監視カメラは? 思わず心配になりましたが、そんなことは知ったことではないと言わんばかりに、みんな熱心に筆をふるっています。

聞けば、この一帯は特別に認可されたリーガル・エリアだそうです。スプレーや絵の具なども近くの画材屋さんで販売しているので、手ぶらで訪れても大丈夫。誰でもすぐに描くことができます。使われた絵の具と筆が置き去りにされていたので、わたしも描いてみました。

なかには、植え込みの植物にスプレーを噴きつけたり、エリア外の近隣店舗にはみ出して描かれたり、問題がないわけではないようですが、それにしてもこのように自由にグラフィティを描ける空間が街中にあるという事実が羨ましくて仕方がありませんでした(とはいえ、同じく重慶市内で植え込みの樹木の表面に着色して絵を描いたパブリック・アートを目撃したので、植物に絵を描くことを問題視してしまうのは日本のフィルターによるのかもしれません)。

もちろん、グラフィティの本質をイリーガルなゲリラ性に求めるならば、こうしたリーガルな空間はグラフィティとは無関係であると考えることもできなくはありません。ただ、それが落書きに終始するにせよ、絵画に発展するにせよ、「描く」という身ぶりを、小さな紙面の上だけでなく、自分より大きな壁面の前で、思うがままに実践的に経験できることは、中国の若者たちにとってかなり大きな意味があるはずです。とくに(筆はともかく)スプレーの使い方を習熟するには、そのための訓練の時間をある程度必要としますが、この場所がその貴重な機会になっていることは想像にかたくありません。

翻って日本の状況はどうでしょうか。憲法で「表現の自由」が保障されているにもかかわらず、憲法を知ってか知らずか、昨今の恥知らずな政治家は美術館や芸術祭の現場に厚かましくも介入してくるし、現場は現場で自主規制により自分の首を締めるばかり、街に出たとしても表現規制でがんじがらめ。ほんとうに息苦しい。中国本土のすべてがよいとはもちろん言えませんが、少なくともグラウンド・レベルでの「表現の自由」という点では、日本よりはるかに自由度が高いように実感しました。

ところで、アーティストの淺井裕介は、このグラフィティのリーガル・エリアを訪れ、他の人と同じように画材屋さんでスプレーなどを購入し、次のようなグラフィティを描き残しました。「ホンモノが来た!」と、周囲は一時騒然としたようです。

1ヶ月後、わたしが現場を訪ねたとき、淺井くんのグラフィティを探しに探しましたが、ついに見つけられませんでした。推測するに、上から描き足されてしまったのでしょう。グラフィティの世界には誰もが認めるマスターピースには一切手をつけないという暗黙の了解がありますが、ここではどうやらそうしたルールは共有されていないようです。アンタッチャブルと思しきグラフィティはほとんど見受けられなかったからです。

遠くない未来、この現場で腕を磨いたライターなりアーティストなり有望な若者が出現することを期待せずにはいられませんでした。 

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