言葉と沈黙のあいだ―キュンチョメ《完璧なドーナツをつくる》に寄せて[2]
わたしは沖縄について無知だ。オスプレイを見たことがないし、基地反対運動の座り込みデモに加わったこともない。しかし、そんなわたしですら、映画の中のさまざまな声に耳を傾けるうちに、否応なく我が身を振り返ることになった。
こうした内省を可能にしたのは、キュンチョメがメタファーの効力を最大限に引き出したからだ。サーターアンダギーに沖縄を、ドーナツにアメリカをそれぞれ象徴させただけではない。彼らは双方を合体させるというイメージを示しながら、その陰で両者の平和的な融和と基地問題の解決というメタ・メッセージを発信した。沖縄在住の4人は、手にしたサーターアンダギーとドーナツの先にその言葉にならないメッセージを的確に読み取ったからこそ、賛成したり逡巡したり、心の奥底を詳らかに開陳したのだろうし、鑑賞者もまた、彼らの率直な姿勢から自らを顧みたのだろう。
その意味で、わたしがもっとも注目したのは、あの宣教師である。彼は手にしたサーターアンダギーとドーナツをボロボロに破壊した。それは、沖縄とアメリカを合体させようとして手が滑ったというより、むしろキュンチョメが示したメタ・メッセージを無意識のうちに拒否したのではなかったか。平和的な解決など絶対にありえない。彼はそれを言語化することなくメタ・メッセージで返答したのだ。
メタ・メッセージは言葉と沈黙のあいだにある。それは日本とアメリカのあいだで翻弄されてきた沖縄そのものなのだ。
※本稿はキュンチョメの新作《完璧なドーナツをつくる》に寄せた一文です。本作は2018年11月16日から18日に開催される「TERATOTERA祭り」で上映されます。近年稀に見る傑作です。ぜひご覧ください。
ドーナツを壊せ!―キュンチョメ《完璧なドーナツをつくる》に寄せて[1]
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