没後100年 宮川香山
宮川香山(1842-1916)は江戸末期に生まれ、明治から大正にかけて活躍した陶芸家。陶器の表面に写実的な浮彫を装飾する「高浮彫」(たかうきぼり)という技法によって国内外から高く評価された。本展は、没後100年を記念して香山芸術の全容を紹介したもの。陶器や磁器など、併せて150点が展示された。
「高浮彫」の醍醐味は何より大胆かつ緻密な造形性である。花瓶の表面を蟹が這う《高取釉高浮彫蟹花瓶》(1916)や花瓶の外周を囲んだ桜の樹に鳩がとまる《高浮彫桜ニ群鳩大花瓶》(19世紀後期)など、思わず息を呑む造形ばかり。割れや縮みの恐れがあるにもかかわらず、いったいどうやって焼き締めたのか謎が深まる。
「描く」のではなく「焼く」こと。少なくとも陶器に関して、香山は動植物のイメージを器の表面に描くのではなく、器とそれらを一体化させた造形として焼くことで、その装飾世界を追究した。いや、より正確に言えば、香山の真骨頂は器と装飾の主従関係を転倒させるところにあった。
通常、焼き物の装飾は器というフォルムを彩るために施されており、いわばフォルムに従属している。だが宮川香山による造形物はいずれも装飾でありながら、それらは時として器のフォルムから大きく逸脱し、場合によってはフォルムを破壊することさえある。《高浮彫親子熊花瓶》(19世紀後期)は紅葉や枯れ草を描いた花瓶だが、表面の真ん中が大きく裂けており、その中に冬眠の準備に勤しむ親子の熊がいる。香山は器のフォルムをあえて破ることで、山中の穴蔵を表現してみせたのである。ここにおいて装飾は、もはや器という主人から解放され、むしろ器を従える主人の風格さえ漂っている。
そのもっとも典型的な現われが、《高浮彫長命茸採取大花瓶》(19世紀後期)である。断崖絶壁に生えた茸を命綱を頼りにしながら採集する光景を主題にしているが、その切り立った絶壁の迫力を増したいがゆえに、極端に縦長の花瓶が選ばれているように思えてならない。おそらく香山にとって器という支持体は装飾的世界を根底から支える前提条件でありながら、表現を極限化させていくにしたがい、やがて装飾的世界を構成する一部に反転していったのではあるまいか。
今日の私たちにとって宮川香山から学ぶべきものは、再現不可能とも言われる明治の超絶技巧に舌を巻くことだけではない。それは、器と装飾という二元論を結果的に止揚してしまうほど強力な表現の欲動にほかならない。
初出:「artscape」2016年5月15日号
没後100年 宮川香山
会期:2016年2月24日~2016年4月17日
会場:サントリー美術館