芸術の先へ、芸術の前へ ボルタンスキー《心臓音のアーカイヴ》について
爆裂する心臓音──。ボルタンスキーの《心臓音のアーカイヴ》を一言で言い表すとすれば、こうなる。耳を劈くというより全身を打ちのめすほどの大音響が、とにかく凄まじい。空間の奥行きを見通すことができない暗闇が、不安や恐怖をよりいっそう増幅する。心臓音の鼓動に合わせて明滅する裸電球が、辛うじて闇を鈍く照らし出すが、それにしても壁面に貼り出されたブラックミラーにたちまち吸収されてしまう。心臓音の塊すら、その深い闇にどこまでも溶け込んでいくようだ。
心臓音と連動した光の明滅が生命の象徴であることは疑いないし、暗闇が死を表していることもまちがいない。生と死はかねてからボルタンスキーの重要なテーマだった。けれども、これまでのボルタンスキーの作品からすると、《心臓音のアーカイヴ》はやや異色といえるだろう。ここには遺物と死体を積み上げた「ボルタンスキー的風景」(湯沢英彦)が微塵も見られないからだ。不在の痕跡というより実在の証明。たとえ心臓音の持ち主がいまは亡くなっていたとしても、その生をありありと感じ取れるという点で、明らかに死より生のほうが際立っている。
とはいえ、《心臓音のアーカイヴ》はたんなる生命賛歌の作品ではない。それはむしろ生と死をそれぞれ強調しつつ、そのあいだに私たちを投げ込む、きわめて霊性の強いインスタレーションである。まるで物質的な強度を帯びたかのような心臓音の塊は、肉体から離れてなお浮遊する霊魂のようでもあるし、暗闇のなかを手探りで進んでいく感覚はいわゆる「胎内めぐり」のそれと通じている。じっさい脈動する心臓音にしばらく晒されていると、誰かの人体の内側に放り込まれたかのように錯覚するほどだ。むろん心臓が見えるわけではない。しかし闇の向こうに、そのありかをまざまざと感じることができる。それは、墓標を前にして故人の在りし日の生を偲ぶことで彼岸と此岸を想像的に架橋する身ぶりと近いのかもしれない。
ただ、こうした作品批評をいくら記述したところで、どこかで物足りなさを禁じえないのも否定できない事実である。というのも批評の対象として自立的に論じるには、《心臓音のアーカイヴ》を含む「豊島の芸術」は、あまりにも周囲の環境と密着しているからだ。豊かで過酷な自然だけではない。共同体にもとづいた人間関係や土地の記憶などが、作品の根幹に深く入り込んでいるのだ。それゆえ、「豊島の芸術」を評するには、作品批評という従来の手法より、むしろその環境を射程に収める幅広い視野が必要とされる。逆にいえば、それほどまでに「豊島の芸術」はこれまでの芸術からかけ離れているわけだ。
ここで正直に告白すれば、わたしが豊島でもっとも感銘を受けたのは、公式に設置された美術作品ではなく、島民による自発的な活動だった。観光客が行き交う動線上にみずから制作した小さな造形物を置いて見せたり、自邸を利用して画廊を開設したり、あるいは路上に立って観光客の道案内を買って出たり、さまざまな仕方で島民が自主的に表現行為を楽しんでいる様子が伺えた。むろん、美術作品を中心にした考え方からすれば、それらはせいぜい芸術から派生した副産物としてしか見なされないのかもしれない。だが、翻って都市型の美術館や国際展が非専門的な表現行為を触発する能力も発想も欠いていることを考えると、それらは副次的な効果などではなく、これこそ「豊島の芸術」ならではの核心的な特質として理解するべきだ。島民自身による自発的な表現行為は、経済効果という数値化された基準ではとらえ難い、まさしく芸術的な価値にほかならない。
ボルタンスキーの《心臓音のアーカイヴ》にも、すでに多くの島民が訪れ、みずからの心臓音を録音したという。このことは一面では観客参加型の美術作品に参加したということなのだろう。けれども別の一面では、島民は《心臓音のアーカイヴ》をとおしてみずから表現行為を楽しんでいるといえるのではないか。参加するだけなら自分の心臓音を録音して終わりだが、島民の多くは録音した心臓音を知人に聞かせるためにその後もたびたびアーカイヴを訪れているというからだ。ちょうど自分の絵画を見てもらうために、友人を画廊に引き連れてくるのと同じような感覚なのかもしれない。つまり、それぞれの心臓音は各自にとっての作品であり、それゆえ《心臓音のアーカイヴ》とはボルタンスキーによる美術作品であるのと同時に、島民や観客にとっての表現行為を集約した美術館でもあるのだ。
あらゆる表現行為は、その楽しみによって生きていることを実感し、その後もよりよく生きるための底力を引き出すものだ。したがって《心臓音のアーカイヴ》は、生と死のはざまを通過することによって、日々をよりよく生き直すための文化装置だといえる。そこで問われているのは、従来の芸術が見失ってしまった、しかし芸術以前にはたしかに息づいており、そして芸術以後にはやがて回復されるはずの、人類にとって根源的な想像力である。
初出:「NAOSHIMA NOTE」no.2、Aug.2011、ベネッセアートサイト直島
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