建設的な議論と論戦
今日、2024年10月23日。
衆議院議員選挙の選挙戦真っ最中。
個人的には「選挙戦」っていう言葉はあまり好きではありません。
その理由をつらつら書いていきます。
・私はそもそも戦いとして見たくない
「戦」って書くくらいだから、戦ってますよね。
それは政治家の皆さん、ご自身でそのようにご理解してると思いますし、実際そうでしょう。
…でも、冷静に考えてみると。
(※あくまで個人の見解です)
選挙って地域の代表者を決めるもので、そこを「戦って」決めるという表現にどうしても違和感があります。
候補者の方はご自身の主義主張があって、それを有権者皆さんにお伝えして、その考えに近い方を、有権者自ら選択してもらうことに意味があるわけで。
昨今SDGsで「多様性の尊重」って言ってるのに、今の選挙スタイルってそうなっているのかな?って思うと、とても疑問に思います。
・相手を蹴落とす姿勢が気になる
「多様性の尊重」にもつながるけど。
今回は特に、「裏金が」とか「クリーンな」とか。
あとは政策の違いで「それではだめです!」って明確に否定したりとか。
…それって、本当だって言いきれます??って思うんです。
裏金に関しては自民党と統一教会が繋がってたことが、大物議員の貴重な命が奪われる事件により表面化しましたよね。
それを「マスコミ各社」によって大々的に報道されたことに端を発すると思うんですが。
ここで気になることがふたつ。
1.一応自民党は「それっぽく」内部調査をして、「現時点では」非常に悪意の高い議員は公認取り消しになっており、甘いか辛いかはさておき、一応処分はしています。(それでいいかどうかは個人の判断で。)
ではこれを受けて野党の皆さん、自らの政党に第三者委員会入れて、「間違いないことが確認できました!この方たちにお願いして徹底調査しました!」ってやったって、あまり聞いたことがないんですけど。
(私が知らないだけだったらごめんなさい)
代表の方があくまで「ありません!」って言い張ってるだけにしか見えなくて。
2.報道した側が「クリーンである」保証もない。
皆さん人間なので、誰しも突かれたら痛いところ、あるはず。
マスコミの皆さんなんて特にそうで、スポンサーからお金積まれて「これを取り扱ってくれ!」って言われたら、ほぼ取り扱うわけじゃないですか。
営利団体なんだから当然ですよね。
…ここに野党勢力、もしくは支援団体がお金をかけていたら??
野党そのものにはお金の出入りはなくとも、支援団体からマスコミに直接金銭が渡っていたら、表面化しにくいし、簡単に印象操作できる気がするんですよね。
3.熱心な支援者の、外部への配慮不足
ここも正直、気になってます。
「今こそ集まりましょう!」はもちろん素晴らしいとは思います。
私自身、賛同できる候補者の支援はできるだけしてますしね。
でも、例えばそこで声を上げていない人たちに協力を要請するとき。
例えば学生団体とか、企業団体とか。
「団体」に協力要請するときに、詰めが甘い気がするんですよね。
…団体には少なからず上下関係があると私は思っていて。
その団体の代表が「やりましょう!」って言っちゃうと、その後輩たち、部下たちは、「あまり気乗りしないんだけどな…」って思いながらも、断り切れずに手伝うと思うんです。
代表者はやる気満々なんだけど、その団体が必ずしも全員やりたいわけではない可能性が捨てきれなくて。
そこは依頼する側が配慮して「あくまで賛同してる人だけ手伝ってね!」って言わせる空気が必要だと思います。頼む側にも、団体側にも。
特に学生団体なんかは「その場のノリ」を重視する傾向がありそうなので、ここで外れたら今後参加できないかも…なんて頭をよぎるかも。
政治に関心が高い人=自分たちを同じ候補を支援しているとも限らないし。
お願いする立場にいると、そこの個人の想いが抜けてしまう気がして。
これはこれで、自主性を損ないそうな気がするし、最悪の場合「もう政治なんていいや」って思っちゃうかもしれません。
そういうところが気になりました。
全体を通して思うこと
今の日本の選挙って、本質からずれてる気がします。
各候補の話を聞いて、
「その考え方なら応援しよう」
「蹴落とすネガティブなことをいう人は建設的ではないからやめとこう」
などなど。
(これは私の判断基準なので、それは個々の判断ですけどね)
誰が自分に近いのか、そしてその政策が実行された時、日本は今後どうなるか。
そこを考えて1票を投じるのが本来かな、って思ったりします。
少なくとも私はそうありたいと思って投票しています。
(というかもう済んでます。)
誰に入れようか迷っている人には、自分の推しを勧めてもいいと思います。
でもそれ以外はご本人の意思を誘導することなく、ご本人の意思で決めてもらうべきかと。
これができてないから、日本は何十年と時代に応じた進化してなくて、それ以上の潤いをもたらす大きな変革が起きていないんだと思います。
有権者の1票って、過程や理由はともあれ、その方の考え方なので、それが反映されてしかるべきだと思っています。
例えば、政党Aは今までダメだったから政党Bまたは政党Cにしよう。
それだってその方の心理として明確な民意です。
それすら否定される方が一定数いることが、「私は」好ましくないと思っています。
(※個人の意見です)
政党や候補者を周りで応援する方はあくまで「応援する」だけであって、政党や候補者の皆様は、この場を議論の場として捉え、否定をすることなくご自身の政策、主張を愚直に訴えて頂いた方が私は好感が持てますし、この「選挙」というものを通して、候補者の皆様に是々非々の議論をしてもらい、それを有権者に判断してもらうことが理想だと思っています。
私が推してる候補の方は、愚直に訴え続けることのできる方で、今も一生懸命遊説されてます。きっと結果になると私は信じています。
先週一瞬「あれ?感覚的にまずいか?」とは思ったけど、それ以降はさほど心配してません。(一切根拠ないけど)
そもそも候補者様にご挨拶するときも「頑張ってください」と言ったことはありません。
「これからのこと、お願いしますよ!」としかお声掛けしてません。
私みたいに「応援する側」の有権者は、その行動を陰で支える。
候補者の精神面でも、実働部隊としてともに訴えるでも。
地味コツ作業も自分たちで頑張るなど。
何か一つできていれば、それが応援だと私は思っています。
何か一つ掛け間違う、出過ぎた真似をすることは選挙に水を差すだけのような気がしてきました。
私が思うこととしては、何の根拠もないけど
「ご自身の訴えがしっかり浸透させることができ、共感を得られる人」
が地域の代表になると思います。
私自身は、自分なりに考えて、この方ならやってくれると思って推しの候補者を決めています。
そしてその想いは、きっと多くの方が共感できるものだと思っていますし、この候補者こそが地域の代表になるはずだと思っています。
その先のことは、決めかねている人へお願いはするにしても、最終的に決めるのはその地域の有権者の総意なので、私がどうこうするって話でもないと思っています。
いい加減、他者批判なんかしないで、政策論争で地域の代表を決めてほしいものです。
…マスコミがつまらないこと煽りすぎなんだよ!
が正直な印象です。
我々も大いに反省するところはありますが。
有権者としてのお願いです。
建設的な議論と政策論争で選挙をしてほしいです。
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