起業しようかどうか迷っている人に伝えたいこと
私はこれまで、人生を変えるような大きな決断をしてきました。
ひとつめは会社を辞めて留学を選んだことです。
マーケターという仕事はとても楽しいものだったのですが「もっと社会に貢献したい」という気持ちが強くなり、キャリアを白紙から考えようと思いました。
会社を辞め、ハーバードビジネススクールに留学したのが30歳のとき。
先輩たちからは反対されました。「ビジネススクールで学ぶよりも会社にいたほうが学べるよ」と。「それも一理あるな」と思いつつも、自らの直感を信じて留学を選びました。
もうひとつの決断は、ビジネススクール卒業後すぐに起業したことです。
同級生たちが有名な企業から高給なオファーを手にして卒業していくなか、私は起業することを決めました。
いまでもよく覚えているのが、起業前に銀座のビジネスホテルに泊まったときのこと。
窓から高層ビルだらけの夜景を見て「こんなに大企業ばかりの世の中で、自分ひとり会社を立ち上げたところで、相手にされるんだろうか」 と不安に思っていました。
リスクをとったからこそ、今がある
こういう話をすると「よくそんなリスクをとれましたね」と言われることがあります。
たしかにそれは「リスク」だったのかもしれません。
でも、そのリスクをとったからこそ、今があるわけです。
会社を辞めて留学を決めたときも、安定したキャリアを捨てることに迷いがなかったわけではない。ただ、その「リスク」をとったおかげで「予防医療」という一生をかけるに値するテーマに出会えました。
起業を決めたときも、うまくいかなければキャリアに穴があく「リスク」はあったでしょう。
しかし、あのとき起業ではなく就職を選んでいたら、当然ながら今の会社も、今の私も、ありません。予防医療の世界にマーケティングを取り入れることで多くの人を救うこともできていなかったでしょう。
それは本当に「リスク」なのか?
ただ、今回お伝えしたいのは「リスクをとらなければリターンもないよね」というあたりまえの話、ではありません。
多くの人が考える「リスク」って本当に「リスク」なのだろうか?
ということです。
ひとつエピソードを紹介させてください。
2007年、ハーバードへの留学中、アフリカのケニアに行ったことがあります。ハーバードビジネススクールには「フィールドトリップ(現地調査旅行)」というプログラムがあり、私はヘルスケアの事業を立ち上げる調査のためケニアを訪れたのです。
そこで目の当たりにしたのは、経済的に困窮しているアフリカの生活でした。テレビで見て頭ではわかっていたものの、やはり実際に訪れてみるとその衝撃は大きいものでした。
衛生状態が悪くて安心して水も飲めない。レントゲンがなくて盲腸の手術すらできない。先進国ではふつうに治るような病気で次々に人が死んでいく。
そんな容赦ない現実がそこにはありました。
私は運に恵まれていただけだった
現地の日本人が運営している学校も視察しました。そこでは子どもたちが一生懸命に勉強をしていました。
その光景を見たときに思ったのです。
「もしこの子どもたちが懸命に勉強をすることでハーバードに行けるんだったら、みんながんばるだろうな」と。
ケニアの子どもたちの多くは、どんなに勉強をしても留学することは難しいでしょう。経済的な問題があるからです。私は「もし経済的な条件をクリアしたなら、きっとこの子たちにはもっといろいろな選択肢があるだろうな」と思いました。
私は会社員時代、ハーバードビジネススクールの試験に受かるため、毎日朝5時に起きて3時間勉強する生活を5年間続けました。私はその努力のおかげで留学の機会をつかんだ、と思っていました。
しかしケニアでの光景を見たときに「それは違うな」と思いました。
私がハーバードに留学できたのはそもそも「努力できる環境」にいたからです。「努力すれば、あらゆる可能性が広がる場所」にいたからです。一方で、目の前の子どもたちは「選択肢が多い」とは言えません。
「努力が報われる社会」に生まれた私と「努力しても報われることが難しい社会」に生まれた子どもたち。そこにどんな差があるのかといえば「運」しかない。私はそう思いました。
この時代、この国、この家庭環境に生まれ落ちたことは、努力のおかげでもなんでもありません。単に運がよかっただけ。
これまでは、恥ずかしながら「ビジネススクールに合格できたのは、自分の努力のたまものだ」と思っていました。でもケニアの学校を訪れたときに「運が99パーセントで、自分の努力の介在する余地は1パーセントくらいしかなかったんだ」ということを思い知らされたのです。
リスクをとることのできる人間の使命
世の中には思いどおりに教育を受けられない環境にいる人もたくさんいます。それどころか、明日の生活にも困るほど追い込まれている人たちも多くいます。
そういう環境で育った人は「仕事を辞めて留学する」とか「留学して起業する」ようなことは難しいでしょう。仮にやるにしても、そういう人たちにとってはものすごく大きいリスクになります。
だから、思うのです。
リスクをとることのできる我々のような人間が、とれるリスクをもっととって社会を変えていかなければいけないのではないか。
「努力が報われる国」と「努力が報われる時代」に生まれたのは、完全に「運」のおかげ。そういう環境にたまたま生まれ落ちた人間は、そうではなかった人たちのために、とれるリスクをとって社会を変えていくべきではないか……。
そのときの「リスク」というのは、大したリスクではありません。
大借金をするなら別かもしれませんが、多少キャリアに穴が開こうが、ビジネスで失敗しようが「そこに何のリスクがあるんだ?」と思うわけです。
もちろんここを読んでくださっている方全員に「社会を変えるためにリスクをとってほしい」などと言うつもりはありません。
それに、ケニアの人たちにはケニアの人たちなりの生き方があり、幸福があります。だから私がとやかく言うようなことではないのかもしれません。むしろ、先進国にいる人のほうが窮屈な思いをしていることもあるでしょう。
ただ、もしリスクを取ってチャレンジできる環境にいるのであれば、それだけでもとても幸せなことなのではないかと私は思うのです。少なくともケニアの人たちよりも多くの「選択肢」を持っているはずです。
もし「運」があると思ったら、自分のビジネスや自分の人生のために存分にいかしてほしい。そしてもしどこか余力があったら、もう少し視野を広げて考えてみてほしいのです。