ハーバード見聞録(36)

「ハーバード見聞録」のいわれ
 本稿は、自衛隊退官直後の2005年から07年までの間のハーバード大学アジアセンター上級客員研究員時代に書いたものである。


リス(9月19日の稿)

「リスはどこにいるの!」

6月下旬の蒸し暑い日の午後、ボーゲル夫人ことシャーロットさんが、タンクトップに短パン姿で三階のわが屋根裏部屋に急階段を上がってきて、やや気色ばんでいきなりこう切り出した。長身の白人とはいっても、60歳代半ば過ぎではないかと思われる夫人の「臍だしのタンクトップ姿」に私はやや面食らった。

6月3日の夜アメリカに到着し、ここボーゲル邸に身を寄せた私は、到着の翌朝、物珍しさもあり新居の中を隈なく見て回った。屋根裏の三角形の空間を活かして部屋をしつらえ、屋根そのものに開閉式の大きな天窓(一辺が1メートル余の正方形)を三つも設け、屋根の重みを支える柱代わりに赤レンガ造りの煙突が二つも付いている。こんな家の造りなど日本では見たことが無く、興味が尽きなかった。

サムナー通りに面した窓の外にはかなり大きな樅の木がある。樅の木からふと目線を手前に移すと、クーラー横の庇の上に肥ったリスが昼寝をしていた。その窓は、クーラーを取り付けているため、開閉できないように固定されていた。

この部屋の先住人であった陸上自衛隊ОBの鈴木道彦先輩が、当地ご滞在当時に頂いたメールに、「ボーゲル邸にはリスが住み着いている」という記述があったのを思い出した。

それにしても庇の上に昼寝しているリスは大胆なヤツだと思った。私が窓ガラス越しにすぐ近くで見ていると言うのに、伸び伸びと手足を伸ばし、微動だにせず熟睡している。しばらく見ていたが、矢張り、全く動かない。何か変だなと思って、窓をノックしてみた。それでも動かない。今度は力をこめて平手打ちで思いっきり窓を叩いて見た。だが、ピクリともしなかった。

「死んでいるんだ!」と、この時になって始めて気が付いた。なんだか、アメリカに到着早々、いやな気分になった。

数日して、午前中にわが大家さんに当るシャーロットさんに引越しのご挨拶に行った。シャーロットさんは、オハイオ州のケース・ウエスタン・リザーブ大学の教授をしておられ、隔週木曜日に帰宅され月曜日にオハイオに戻られるという生活だそうだ。

「フクヤマさん、何か困ったことはありませんか。」と聞いた。何と答えようかと迷った。

「リスの死骸くらいのことを言うべきだろうか?でもリスが、腐乱して、蛆が湧いて階下の庭に落ちたり、悪臭がしたら大変だろう」――こう考えて、例のリスの話をした。

夫人は「リス」と言う言葉を聴いた瞬間、異常な関心を示した。「リスは、大変な動物なのよ。噛まれると、傷口から毒性の強いウイルスが人の体にはいる恐れがあるのよ」――などと早口でまくし立てた。

私は犬が嫌いだ。それは、子供の頃「チビ」という名の近所の柴犬の雑種の頭を撫でようとして「ガブリ」と噛まれた記憶がトラウマになっているからだ。きっとシャーロットさんも、子供の頃リスに手痛い思いをさせられたことがあるのだろう、と思った。

シャーロットさんが3階にある我が部屋に上がって来たのはその日の午後だった。例のタンクトップ姿は、週末恒例の音楽に合わせてやるフィットネスのためのイデタチだったのだろう。すぐに庇の上でリスがノビているのを確認してから、ひとしきりリスの「悪口」を述べ立てた。

「中国(あるいは韓国と言われたのかもしれない)から来ていた○○さんがこの部屋に住んでいた時のことよ!リスが家の外の排気口から乾燥機の中に入り込み、乾燥機のドアを開けた途端飛び出してきて、家の中を駆け回り、大騒ぎだったのよ。電線は齧るし、屋根の上を飛び跳ねてうるさいし……」

「リスはもう排気口からは入って来ないですか?」

「その時以来、排気口には金網を取り付け、リスが入らないようにしてあるから大丈夫だわ」

リスの死骸の処分については、「私の甥が、ケンブリッジ消防署にいるから彼に梯子に登ってやってもらうつもり。その時はフクヤマさんも手伝ってね」と早速「宿題」を貰った。

仕事はそれだけではなかった。「リスの罠を持ってくるから、フクヤマさんが台所の横のベランダに仕掛けて捕まえて欲しいの」と、リスの捕獲まで頼まれた。

彼女の行動は実にすばやく、その日のうちに新品のリスの捕獲器を持って来た。それは、日本のネズミ捕りに似たやや大きめの金網製の籠だった。中に餌を載せたる小さな鉄製の皿があり、これにリスが乗ると蓋が落下して閉まるようになっていた。シャーロットさんはこの皿の上にチーズを乗せていた。

早速ベランダに仕掛けた。そして翌朝にはもうリスが捕まっていた。リスは金網の中で暴れたり、ひっそりと身を縮めたりしていた。私がベランダに出て近づくと、大暴れした。「ペッ、ペッ」唾を吐くような奇声を発して私を威嚇した。私が捕獲器の取っ手を握ろうとすると、黄色がかったオシッコをひっかけて来た。「イタチの最後っ屁」ならぬ「リスの最後のショウベン」か。取っ手を持ち上げると、どうした弾みか蓋が開いてリスが飛び出した。まるで脱兎の如く飛び出すと、2メートルほどもジャンプして、木に飛び移り逃げた。そして一定の距離をとると忌々しげに木の上から私を睨みつけているようだった。

捕獲器の蓋が開いたのは、日本のネズミ捕りと違い蓋がバネで閉まるのではなく、落下式であったためだ。この場合、一旦リスが掛かったら、蓋が開かないようにフックを掛ける必要があった。

私はその後数回もリスを捕獲したが、シャーロットさんがオハイオの大学に行ってしまって留守で、リスを引き渡しようがなく、そのたびに逃がしてやった。

リスが捕獲器に掛かる様子は、窓越しに見ることが出来た。リスはあまり警戒心が無い。アメリカでは、リスに危害を加える人間が殆どいないせいかもしれない。ベランダの上をトコトコと捕獲器に近寄ると、しばらく周りを回って様子を確認すると迷わず中にはいり、餌を食べようとすると蓋が閉まり捕獲された。

日本の目白のほうがアメリカのリスよりよっぽど利口かも知れない。少年の頃、故郷の五島で、目白を竹の鳥籠と一体になった捕獲籠で、捕まえた記憶がある。目白は中々警戒心が強かった。目白は、囮の呼び声に引き寄せられて、籠の回りに近付いては来るが、中々警戒心が強く、捕獲籠の中に並べた蒸し芋や蜜柑などの美味しい餌には中々見向きもせず、籠の中の囮と突きあって遊んだり、籠に近寄ったりは離れたりしながら、息を呑んで見守っている子供達をイライラさせた。

リスの餌は、チーズだけかと思ったら、パンでも、クラッカーでも、その他人間が食べるものは殆ど何でも食べることが、その後の「実験」で分かった。従って、リスは生ゴミ漁りもするらしく、ボーゲル邸のゴミ収集用の大きなコンテナには、リスが齧ったと見られる歯痕があった。

もう一つ分かったことがある。リスは、捕獲しても一向に懲りないことである。学習効果がまるでないようだった。同じリスかどうか分からないが、兎も角いくらでも掛かる。恐らく捕っても捕っても際限なくやって来るのだろうと思った。「これでは、捕獲する意味がない」と悟った。

シャーロットさんによれば、捕まえたリスは、自動車で、遠くに運んで逃がすつもりだと言っていた。しかし、「予備」のリスは近所にワンサカいるので、全く効果は無いだろうと確信した。「俺は、アメリカくんだりまで『リス捕り』のために来たんじゃないんだ」と自戒し、リスへの関心を遮断しようと思ったが、叶わなかった。

次の週末、シャーロットさんが帰って来た。そのタイミングに、リスが上手く掛かってくれた。私は、そっと、リスの入った籠を階下に下ろし、庭の土の上に置いた後、シャーロットさんを呼んだ。

シャーロットさんはやや興奮気味に、金網の中で暴れ回るリスを見ていたが、英語で何やら囁いて、小枝で籠を叩いたりした。
「もう我が家には来ないように!!」と言ったのかもしれない。
私も、シャーロットさんに釣られて、暴言に近い言葉――日本語――を吐いた。

「シャーロットさん、コイツをそこにある池に浸けて殺しましょうか。私が子供の頃は、鼠を捕まえると小川に籠ごと持って行って、水に沈めて殺したものです」

「それはいけません。動物愛護の人が見たら訴えられますよ」

私は、「リス捕り」から逃れるために、この機を逃さず訴えた。

「シャーロットさんが不在の間、何匹も捕まえましたが、一向に抑止効果はありません。従って、これ以上リスを捕獲することは無駄なことだと思うのですが。捕獲器はしまっていただきたいのですが」

渋々のようだったが、シャーロットさんは納得した。私は晴れて「リス捕り」の任務から開放された。

もう一つ残された課題は庇の上のリスの死骸の処分だった。翌々週の週末、シャーロットさんは消防士の甥を連れて来た。空軍に勤務したこともあるという見るからに頼もしい青年だった。彼が来てくれたことで、私が一人だけでリスの死骸を排除するため、10メートル近くもある3階の庇まで登らなくて済むと思った。当初私が一人でやるつもりだったが、年を考えると矢張り消防士に任せた方が正解だった。アメリカまで来て、大怪我するところだった。

甥は、さすがに消防士だけあって、手馴れたものだった。伸縮式の鉄製の梯子を私と二人でリスの死骸のある庇の下まで運んだ。重いものを持ち上げて運ぶには、二人で呼吸を合わせなければならない。初対面の青年だったが、上手く息が合った。私が壁に立掛けた梯子を抑え、消防士の青年がロープを引っ張って梯子を伸ばしていった。

「これからリスの死体除去に関する、日米共同作戦の開始だ!」と言ったら、青年もシャーロットさんも大喜びだった。

私は梯子が左右に倒れないように、梯子の中間付近を二本のロープを付けこれを両方に延ばして木に固定してやった。更に、梯子の根っこが動かないようにとシャーロットさんと私が足で固定する中、青年はスルスルと登って行き庇に手が届くところまで来ると、持参した箒でリスの死骸を掃いて落とした。死骸は完全に乾燥していて干物のようで、フワリ落ちた。そのリスの死骸を庭の土に埋め「作戦」は完了した。

「日米共同作戦の成功よ」と、今度はシャーロットさんが言った。シャーロットさんは、一見取っ付きにくい印象が当初あったが、リスの仲立ちで「好い大家さん」になった。大家さんがリス嫌いだから、私はそれ以来リスが窓際に来ると、ガラスを叩いて、追い払うことにした。

秋も深まり、木の葉が散ってしまった此の頃、わが屋根裏部屋周辺へのリスの訪問回数が増えつつある。冬に向けて、餌のある人家近くにリスが群れるからだろうか。

11月いっぱい妻が一時帰国し、一人になってしまった。あれほど大家さんが嫌うリスも、良く見ると可愛く見えるようになって来た。最近では、窓ガラス越しに、リスと密会するのが楽しみになりつつある。

いいなと思ったら応援しよう!