ハーバード見聞録(35)

「ハーバード見聞録」のいわれ
 本稿は、自衛隊退官直後の2005年から07年までの間のハーバード大学アジアセンター上級客員研究員時代に書いたものである。


赤い靴(9月12日の稿)

1922年(大正11年)に、野口雨情作詞・本居長世作曲で発表された『赤い靴』という童謡がある。ある薄幸な女の子が異人さんに連れられて異国に旅立つという歌詞に悲しげなメロディーつけられた歌だ。
 
赤い靴はいてた 女の子
異人さんにつれられて いっちゃた
 
横浜のはとばから 船に乗って
異人さんにつれられて いちゃった
 
今では青い目に なっちゃて
異人さんのお国に いるのだろう
 
赤い靴見るたび かんがえる
異人さんにあうたび かんがえる
 
この歌の由来はこうだ。
赤い靴をはいていた女の子の名前はきみちゃんという。きみちゃんの母親のかよは貧しく、きみちゃんをアメリカ人牧師の養女に出さざるを得なかったそうだ。かよは、きみちゃんの父親とは離婚し、きみちゃんを手放した後に再婚した。その再婚相手が鈴木志郎という新聞記者だった。鈴木志郎はこの歌の作詞者の野口雨情や詩人の石川啄木の仲間で、三人はちょうどその頃、小樽日報社に勤めていた。ちなみに、啄木は遊軍記者だったという。野口雨情は鈴木からきみちゃんの悲話を聞き、作詞したのだという。

きみちゃんは養女に出されたものの、病弱でアメリカへは行けないまま、東京の孤児院で結核を患い死んだのだという。母親のかよは、その悲しい事実を知らなかったそうだ。

私は子供の頃、この歌を口ずさむたびに、その物悲しいメロディーと共に、歌詞の内容を通じて子供心にも女の子の不憫さが思いやられ、涙が出そうになったものだ。

子供の私は、この童謡のストーリーをこう想像したものだ。
 
〈主人公の女の子は、きっと切実で悲しい家庭の事情から、子供が授からなかった豊かなアメリカ人夫妻の養女に貰われたのだろう。そして、継ぎ接ぎだらけの薄汚れた和服と草履の代わりに、当時アメリカで流行していた子供用の洋服を着せられ、赤い靴を履いて、泣き泣き横浜の波止場から太平洋航路でサンフランシスコに渡った。〉
 
『赤い靴』の悲話は、現在のアメリカでもあるらしい。先日、あるアメリカ夫人から、今日も「赤い靴の女の子」に似た話が沢山あるという話を聞いた。アメリカは今も「養子大国」であるそうだ。日本で、養子縁組といえば、血筋を重視し、ましてや決して氏素性の定かでない養子は貰わないといってもいいだろう。いわんや、外国人の養子を貰うことは殆ど考えられない。ところがアメリカ人の懐の深いところは、人種に拘らず、外国からもどんどん養子を貰っていることである。

私は、1979年(昭和54年)、札幌市内にある陸上自衛隊北部方面総監部・援護室に勤務していた頃、アメリカの札幌総領事館のクリストファー・J・ラフルーア総領事から自宅でのクリスマスパーティーに招待して頂いたことがある。総領事のご自宅にお邪魔すると、ご家族を紹介された。ところが不思議なことに、ご夫婦は白人なのに、二人の姉妹は、どう見てもアジア系と黒人だった。私は、失礼になると思い一切これに関しては質問しなかったが、事情は十分に察することが出来た。ご両親の子供達に対する愛情はむしろ実の子供以上だった。クリスマスの祝日に相応しく、豊かな「人間愛」を見せて頂いたという感動が今も忘れられない。

アメリカへ貰われて来る養子は世界各国にわたるそうだが、アジアなかんずく中国が多いと言う。中国は「一人っ子政策」があるからだろうか。儒教思想の名残だと思うが、日本と同様に中国でも「男系継嗣」の考えが今も根強いと言う。「一人っ子政策」が施行された当初は、中国の地方の農村では、既に産まれた長女を井戸に投げ込んで殺してまで、長男の出生を可能にしようとした事例があると「世界週報」誌(時事通信出版局)で読んだ記憶がある。

親が自分の子供を愛しないはずがない。中国では、様々な事情で「一人っ子政策」にはみ出して産まれてきた子供達の生きる道が新天地アメリカにあるとすれば、誰しも親としてはアメリカへ養子に出す術を考えることだろう。

これが「外貨稼ぎ・私腹肥やし」のビジネスに出来るとなれば、頭の良い中国共産党当局者が見逃すはずがない。「中国人が食べない足のあるものは『机』だけ」と、中国人の食への拘りを例えているが、ことビジネスにおいても、中々したたかな商才を持っているようだ。今日、アメリカでは台頭する中国を脅威と見る向きが多くなりつつある中で、中国の子供達を養子に迎えることは、今や広範なビジネスのレベルにまで盛んになっているという。

中国は更に遠大な戦略を持っているかもしれない。これらアメリカに送り出した養子達(彼らを扶養しているアメリカ人家族も含め)を、計画的に中国人(中国シンパ)としての自覚を持たせ、将来優秀な中国系アメリカ人が「ワスプ(White Anglo-Saxon Protestants)」に替わりアメリカの枢要な地位に就かせることを企図してみてもおかしくない。「人」というファクターはそれ程「遅効的」だが、「決定的」な力がある。

今日、中国の子供達は、「赤い靴」を履いて、波止場から船に乗るのではなく、空港から飛行機で太平洋を越えてアメリカに入ることだろう。

話は変わるが、中国が関与している更に驚くべき人命に係わる情報をハーバード大学医学部に留学しているある先生から聞いた。それによれば、中国では死刑囚の臓器を日本人の患者などに移植する手術がビジネスとして行われていると言う。中国では、死刑囚は国家の財産とされ、これを国家レベルで、一種の外貨稼ぎのためのビジネスにしているという。事の善悪を論議するのもいやになるくらい、複雑な倫理上の問題を内包している。

この先生から、中国の臓器移植に関する根拠情報(ウエブサイト)をいくつか紹介して頂いた。
(筆者注:2023年9月現在、以下いずれも閉鎖)
 
① 徳山大学経済学部教授 粟屋 剛先生のウエブサイト

http://homepage1.nifty.com/awaya/hp/ronbun/r008.html

② 「安信メディカルネットワーク」という名前の日本の移植仲介業者のウエブサイト

http://www.ansin2000.jp/newpage1.html

③ 「中国国際臓器移植支援センター」という名前の中国側が日本向けに作成したウエブサイト

 
このエッセイを、もう一人の日本人留学生に見せたところ、次のような感懐を頂いた。
 
「中国が臓器移植をビジネスとしてやっていることは、驚きに値するのは確かだ。しかし、日本人がそれを非難できるだろうか。事実生体移植は、主として日本人患者が受けているという事実がある。謂わば『共犯』という立場ではないか。またアメリカに養子に出すことも「堕胎」よりも遥かにましである。日本では一説には、妊婦の20パーセントもが堕胎していると言う(筆者注:その後、同留学生から調べて頂いたデータによれば、平成9年の出生数119万1665人に対し、人工中絶の実施件数は33万7799件(20%強)となっている(厚生省統計))。 この年間30万件を超える『堕胎』とは、親が、自分の子供を公然と『殺人』していることなのである。これを生業とする産婦人科医はその『共犯者』でもある。こんな風に考えれば、日本人は決して中国人を非難できないはずだ。日本人も面子を捨てて、もう少し養子を貰う事にフランクであるべきだと思う。」
 
一方、中国死刑囚の臓器移植について情報を頂いた先生の方のお考えは、「倫理の問題はいつの時代も難しいと思います。私個人としては中国の死刑囚の臓器移植と日本の堕胎は、命を粗末にする点では同じですが、後者は少なくともこれで国際ビジネスをすることは無いので、やはり別個に対応したほうが良いと思っております」――だった。

実に切ない話ではあるが、アメリカの懐の深さを裏付ける話題がまた一つ増えた一方で、13億人の人口を抱え、発展途上の中国が、人間・人命そのものを含め、何でも商売になるものは見逃さないというしたたかさを持っていることを裏付ける話題でもあると思った。

 
 
 


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