ハーバード見聞録(28)
「ハーバード見聞録」のいわれ
本稿は、自衛隊退官直後の2005年から07年までの間のハーバード大学アジアセンター上級客員研究員時代に書いたものである。
アメリカ・ウォッチャーの大先達(7月25日の稿)
「福山さん、ゴミ出しの日は、レイバーデイ(9月5日)の為一日延び明後日になりました。ナショナルホリデーの後のゴミ出しは一日先送りになるのですよ」
夕闇迫る頃、半ズボンにシャツ姿で、大きなゴミ箱を道路脇に並べようとしていた私に、帰宅して車から降りたエズラ・ボーゲル先生がそう教えてくれた。
先生と一緒に車から降りたもう一人の人物、それが松尾文夫氏であった。ボーゲル先生が私を松尾氏に紹介してくれた。
松尾文夫氏(72歳)は、共同通信社に入られ、ニューヨーク・ワシントン特派員(1964~69)、ワシントン支局長(1981~84)を歴任された「アメリカ通」で、共同通信マーケット社長退任後、2002年ジャーナリストに復帰され活躍中である。
アメリカについての研究を始めた私にとっては、文字通り「アメリカ・ウォッチャーの大先達」であった。まさか「ゴミ出し」をしていてこんな方に会うとは。私にとっては「奇縁」とも言うべき出会いであった。
「僕はここから2~3分歩いたところにあるホテルに泊まっているので、良かったら少し話しませんか」とお誘いいただいた。
熊本から来られたお客様がお土産にくれた日本酒とつまみの酢昆布を持って出かけた。松尾氏はホテル入り口の椅子に座って待っていてくれた。
松尾氏は二・二六事件で岡田総理と間違われ重機関銃で射殺された松尾伝蔵大佐(総理大臣秘書官)の孫で、叔母(松尾伝蔵の長女)の清子さんは瀬島隆三氏の妻だそうだ。
松尾氏は小学生時代、ドーリットル空襲(昭和17年4月18日)に遭遇、低空を飛行する指揮官機のコックピットに座るジミー・ドーリットル中佐と「目と目を合わせた」と、私に語られた。それが、アメリカに強烈な関心を呼び覚ます切っ掛けになったそうだ。
松尾氏から数々の興味深いお話を伺った。松尾氏は共同通信勤務以来、日米関係をライフワークの一つにされているようだ。現在取り組んでいるのは「日米間の『棘抜き』」である由。今も日米両国民の心の中に残る第2次世界大戦・大東亜戦争のわだかまり・怨念を取り除こうとしているらしい。
松尾氏によれば、米独間においては、1995年「ドレスデンの和解」により既に「刺抜き」が完了していると言う。1945年2月13日夜から14日に掛けての2日間、ドレスデン市に対して、米英あわせて1067機の爆撃機が3波に渡って合計7049トンの爆弾・焼夷弾を投下した。旧東西ドイツ時代の市役所の発表としては3万5千人が犠牲者となった。因みに東京大空襲の犠牲者はドレスデン市の犠牲者を遥かに上回る8万3793人に上る。
1995年2月、ドレスデン市爆撃の犠牲者に対する50周年追悼記念式典が行われた。東西ドイツ統一後、二代目のヘルツォーク大統領は演説の中で「死者の相殺は出来ない」(筆者注:ナチスがユダヤ人をホロコーストしたからと言って、アメリカとイギリスが無辜のドイツ国民を空爆で殺したことを免責することはできないと言う意味と思われる)と言う理論で、アメリカ、イギリスに対し、非戦闘員爆撃の責任を認めるように言外に迫り、その上で、旧連合国との「和解」を宣言した。
この追悼式出席者の中にはイギリス女王名代ケント公の他アメリカからジョン・シャリカシュビリ統合参謀本部議長、イギリスからは国防幕僚長を交代したばかりのナウマン・インジ将軍つまりアメリカとイギリスの制服組のトップが顔をそろえていたという。
松尾氏はこの例に倣い、日米版の「ドレスデンの和解」として、「ブッシュ大統領に広島で花束を手向けてもらう」ことを提案し、日米のメディアに訴えていると言う。
松尾氏は、上記の趣旨の論文を「中央公論」誌9月号に寄稿されたほか、米国のウォールストリートジャーナル紙(2005.8.16)の「OPINION」欄にも「Tokyo Needs Its Dresden Moment」と題する一文を投稿されている。
因みにウォールストリートジャーナル紙への寄稿では「President Bush laying a wreath at Hiroshima Peace Memorial on his next visit. By having the U.S. president respect the dead at the symbolic center of all bombing deaths , including the world’s first nuclear attack, the thorn in our psyche might possibly be removed.」と持論を展開されている。
日米間の先の戦争にわだかまる「刺抜き」の必要性について、アプローチの方法は別としても、米国紙上に堂々と持論を発表される勇気と信念と行動力には驚かされた。
私もアメリカに来て、僅か4ヶ月足らずだが、日米双方の相手についての思い違い―― パーセプションギャップ――が気になり始めた。松尾氏はこれを「日米のすれ違い」と表現され、これが大東亜戦争の原因だったと指摘された。
松尾氏の理論では、アメリカの行動原理の根本は「アメリカの民主主義は神意にかなっている」とする「明白な天命(manifest destiny)」であると言う。
成る程、何だか日本の「八紘一宇」というスローガンと似たようなものだが、これが諸外国にはアメリカの「傲岸さ」に見えるところで、ベトナム、ソマリア、アフガン、イラクへ介入するメンタリティなのかもしれないと思った。
松尾氏によれば、日本はこのアメリカの行動原理を十分に理解しておらず、「日米の擦れ違い状態」は今も解消されていないという。
ハーバード大学アジアセンター上級客員研究員として、いろいろな問題に興味がある中で、日米関係は大きな研究テーマの一つだが、松尾氏のお話を承りながらこの問題の重さと奥の深さを改めて思い知らされる気がした。
松尾氏は次に米朝関係に話題を転じられた。松尾氏の話を簡単に要約すれば「米朝関係は水面下では緊密に繋がっており、ブッシュ政権の表面上の北朝鮮に対する強硬姿勢だけを見ていると判断を誤る」と言う論旨である。松尾氏は、米朝の「水面下での繋がり」について次のように述べられた。
私は、アメリカと北朝鮮との表裏両面の接触の話を松尾氏から聞いて、ある感懐を持った。アメリカの国鳥は、白頭鷲である。国防省などの紋章にも採用されている。因みにアメリカの紋章に描かれた白頭鷲の頭は一個である。同じ鷲のデザインの紋章の中で、ハプスブルク家の鷲は二つの頭を持つ「双頭の鷲」である。私はアメリカに来て最近、アメリカのデザインの白頭鷲の頭も眼には見えないが、ハプスブルク家のそれと同じように「双頭」ではないかと思うようになった。
「米国という白頭鷲」は北朝鮮外交に見られるように、一方の頭では「対立」を装いながらもう一方の頭では「水面下のアプローチ」を抜け目無く行っている。1972年のニクソンの電撃的北京訪問もそうだった。
現在、米国は「対テロ戦争」と「台頭する中国への対処」が大きな課題である。「対テロ戦争」では、イラクをはじめテロの攻撃に手を焼いているようにも見えるが、もう一方では「対テロ戦争」と言う「錦の御旗」を振りかざし、その下に世界を揺るぎ無い「パックスアメリカーナ体制」に作り変える方便に利用しているのではないかと言う疑念も生じる。
また「台頭する中国への対処」と言う課題についても、ハーバード大学の中の「中国研究熱」から見て、「対決の構図」だけではなく、米中で共通の利益を分け合う「親和の構図」が存在すると見るべきであろう。このようにアメリカの「思考回路」は「双頭の鷲」による「dual approach」をするのが常套的なやり方ではないかと思った次第。
いずれにせよ、この夜松尾氏のお陰で、「アメリカ学」についての「特別講座」を受けることが出来た。心から感謝している。
【追記】松尾氏は、2019年2月26日未明、訪問先の米ニューヨーク州内のホテルで死去した。85歳だった。高齢による自然死だったという。心からご冥福を祈りたい。