ハーバード見聞録(25)
「ハーバード見聞録」のいわれ
本稿は、自衛隊退官直後の2005年から07年までの間のハーバード大学アジアセンター上級客員研究員時代に書いたものである。
終戦記念日に思う(7月4日の稿)
私は、60回目の終戦記念日をアメリカ・ニューイングランドのケンブリッジで迎えた。
日本の夏の忌まわしい「年中行事」は、8月6日の広島と9日の長崎の原爆記念日、そして15日の終戦記念日であろう。
この日は、まるでクマゼミの大合唱のように、「大東亜戦争は日本の軍国主義が仕出かした犯罪である。悪いのは一切合切日本である」と、まるで日本人は「カインの末裔」であるかのように「一億層懺悔」するのが習わしとなってしまった。
終戦記念日における立ち位置は、それぞれの組織・個人により異なる。コミンテルン・ソ連親派の左翼陣営(政党・メディアなど)は、敗戦を利用して反体制・反米さらには共産革命を期待している様子だ。まるで「お祭り騒ぎ」のように戦争にかかわった過去の「先人=英霊」や現在の日本・政府に鞭打つ。それは、ソ連・ロシア、中国、南北朝鮮と同じスタンスだ。
アメリカをはじめ連合国にとっては「戦勝記念日」であり、日本人の「一億総懺悔」を見て、「War Guilt Information Program(日本人洗脳計画)」――戦勝国の一方的な自虐史観の押し付け――の成功を確信しつつ、「ジャップは二度と俺達には歯向かえない」と、ほくそ笑んでいるに違いない。
共産陣営も連合国も日本の自虐ぶりには驚いているに違いない。広島平和都市記念碑の碑文には、「過ちは繰り返しませんから 安らかにお眠りください」と刻されている。アメリカから原爆を落とされたのは「日本が過ちを犯したからだ。一方的に日本の責任だ」といわんばかりの文言になっている。連合国は、「ベトナム、イラク、アフガンなどの強かな国家に比べ、なんと『馬鹿正直で御目出度い単純な民族・国家』なのだ」と嘲笑していることだろう。
日本の「過ちは繰り返しません」というフレーズに着目し、中国や北朝鮮(核保有国を目指している)は、将来、日本に核攻撃をする際には、一方的に難癖をつけることで正当化できるロジックが構築できると喝采していることだろう。
終戦から60年という歳月が流れた2005年夏、日本人の民族的トラウマはどう変わり、癒えているのだろうか。世代交代が進む中(現在の日本人にとっては戦争を行ったのは祖父・祖祖父など「先人」である)、今後、日本人は、自虐史観を克服できるのだろうか。
ここアメリカのケンブリッジでは、今年は、私の家のケーブルテレビに配信している20チャネルの中のたった1チャネル「History Channel」だけ、第2次世界大戦シリーズの番組を、映像を主体に数日に亘って放映していた。大東亜戦争後も数多くの戦争をおこなったアメリカ人にとって、大東亜戦争はことさら回顧するほどのものでもないようだ。
私が見た「History Channel」は、沖縄や硫黄島など日本の「負け戦」、アメリカにとってはマッカーサーやニミッツによる「破竹の進撃」の映像であり、日本人同胞の屍が累累と横たわっているものばかりだった。
元自衛官の私としては、今見ても悔しい思い・怨みがこみ上げてきた。アメリカ人が撮った広島と長崎の被爆の映像は、原爆の直撃を受け、焼け焦げた死体や、生々しいケロイドに病んだ子供達の姿など、日本のテレビには出さないような悲惨極まりない映像で、目を背けたくなるものばかりだった。
広島に原爆を投下したB-29爆撃機「エノラゲイ」の乗員へのインタビューでは、アメリカ側の決まり文句の「これ以上犠牲者を出さないために、原爆を使って戦争をやめさせたのは良かった」というものだった。
現在のアメリカ人にとって、対日戦争(大東亜戦争)はどう映るのだろうか。アメリカは対日戦争(1941~45年)の後も、朝鮮戦争(1950~53年)、ベトナム戦争(1960~75年)、湾岸戦争(1991年)、アフガン戦争(2001年)、そしてイラク戦争(2003年)など主なものだけでも数回もの戦争を行っている。因みに、イラク戦争は一旦戦争終結を宣言したものの、その後自爆テロなどによる反撃は止まず、今も事実上戦争が継続している状態にある。
従って、アメリカ・国民にとって、60年も前の対日戦争(大東亜戦争)は「昔の古い戦争の一つ(One of old wars)」と映るに違いない。
それどころか、未だイラク戦争の出口が見えない中、次なるイランや北朝鮮の核開発問題などが抜き差しならない状況にあり、中国の台頭にどう対処するかという喫緊の課題も待った無しで浮上している。世界の超大国アメリカといえども、忙しくておちおち60年も前の第2次世界大戦(大東亜戦争)を懐古している暇は無いというのが、正直なところではないだろうか。
ボストン総領事館の高島副領事によれば、時々地方の退役軍人会から呼ばれて、第2次世界大戦の戦勝記念式典に総領事代理として出席することもあるそうだ。「面白くないが、これも日米外交の一部だと思い、務めを果たしています。」ということだった。
いずれにせよ、上記のような理由だけでも、第二次世界大戦(大東亜戦争)に対する日本人の「思い入れ」とアメリカ人の「perception」との間に相当なギャップがあるのは事実だろう。
良し悪しは別にして、同様に中国人や韓国人と日本人の大東亜戦争についての認識にもそれぞれの置かれた立場などに由来する大きなギャップがあるのも当然だろう。
この季節には、日本から被爆者団体などの訪米が相次ぎ、その悲惨さを訴えるが、時の経過とともに風化しつつある印象だ。アメリカ人にとっては「9.11」の悲惨さの方がより身につまされて理解されるのは確かだろう。
大東亜戦争末期においては日本も海・空からの特攻を開始し、長野県松代の山中の地下深く大本営を構築し、国民には婦女子に至るまで竹槍訓練を行い、本土決戦を準備した。しかし、広島、長崎への原爆投下を契機にポツダム宣言を受諾するとの聖断が下り、マッカーサーの進駐を受け入れ、その後占領政策が殆ど混乱無く行われた。
歴史の「もし(IF)」という話だが、無条件降伏の聖断が下らずマッカーサーが本土に上陸してきた場合、日本国民は現在のイラクのようにアメリカ軍に対し執拗にイラクの自爆攻撃に相当するようなゲリラ攻撃などを挑んでいたであろうか。
興味深いことに、第2次世界大戦後のアメリカの戦績はあまり芳しくない。朝鮮戦争では、4万人もの戦死者を犠牲にしても、当初の「国境」だった北緯37度線に近い非武装地帯(DMZ)でほぼ原状に戻しただけで、南北朝鮮は分断されたままだった。
ベトナム戦争は、事実上の敗北だ。湾岸戦争では、ブッシュ(父)が中途半端に戦争を止め、サダムの復活を許した。
アフガン戦争においても、今もタリバンの残党が生存しており、今後に不安を残したままだ(筆者注:米軍は、2021年8月31日、アフガンから完全撤退した)。
イラク戦争においても、ご承知のように現状では先行きは見えてこないと見る向きが多い。このように見てくると、アメリカの日本とドイツに対する攻撃・占領とその後の占領政策は数少ないサクセスストーリーと言えるのではないだろうか。
日本は、大東亜戦争でアメリカに敗れ占領を受け入れたものの、その後講和条約と日米安保条約を締結し、空前の復興・経済発展へと飛躍し、国民は豊になった。このような過程の中で、「原爆を2発も投下し、ホロコーストを行ったアメリカ」に対する「恨み(反米感情)」はどこへ行ったのだろうか。
戦後の吉田政権はアメリカの占領政策を上手に受け入れ、驚くべき復興を遂げ、国民が現状に対する不満よりも将来に対する希望の持てる環境を作為することにより、「恨み」を表面に噴出させる「隙」を作らなかったと見るのは間違っているだろうか。
ただ、日本人の心の奥深く(deep in mind)には今もフツフツとアメリカに対する恨みは残存しているのではあるまいか。それゆえ、日米安保条約の改定などのような局面になると「怨念のマグマ」が地表に噴出するという現象が起こるのではなかろうか。もっとも安保改定に伴う騒動は、アメリカに対する恨み(反米感情)だけではなく、当時の冷戦構造下におけるソ連の日本に対する対米離反工作がなされていた所産と見る向きもあろう。
日本国民の立場から見れば、マッカーサーの占領を契機に民主化が進み、生活も豊かになったことで、「敗戦」というよりも「開放」という印象が強く、米軍も「占領軍であり、同胞を殺戮した敵の軍隊」というよりも「解放軍」という意味合いが時間と共に強くなっていったのではないだろうか。
「結果良ければ全て良し」として、反米感情は左翼でさえも中途半端に腰が引けているように見える。共産党はもとより旧社会党、現在の社民党も日米安保条約には反対するが、米進駐軍がにわかに作って押し付けた日本国憲法に対しては「護憲、護憲」と有難がっているように、その考え方には一貫性がない。共産党にしてみれば、「暴力革命」をやるうえでマッカーサーお手製の「平和憲法=憲法9条」の方が、都合がいいのだろう。
また、天皇の戦争責任を棚上げし、象徴天皇制に変えたことも、マッカーサーが占領下の混乱を回避し、「恨み(反米感情)」を押さえ込む大きな作用があったことは論を俟たない。
日本人の特徴的な気質の中に「自己を抑制する」という傾向が強いのも「恨み」を表面化させない一因ではないだろうか。それとは逆に、中国や南北朝鮮政府・国民の日本に対する非難、一部のアラブ諸国の対米非難など世界の国家・国民の多くは、それぞれの怒りや感情をストレートに表す(言葉のみなら行動(テロ)にまで及ぶ事もある)傾向が強いように見える。
これに比べ、日本人の健気な自己抑制気質は異様にさえに見えるくらいだ。数年前、アメリカに留学中の日本の高校生が、ハロウィーンの仮装をして、ある家を訪問したら、「Freeze」と銃を向けられたが「Please」と間違え、前に出ようとして射殺されるという悲劇が起こった。この事件で、日本人の高校生の両親は、最終的には相手を許し、訴訟には踏み切らなかったと承知している。
横田めぐみさんのご両親を始め、北朝鮮から肉親を拉致された方々の言動も極めて抑制されているように見える。他の国家・民族であれば、まるで半狂乱の体で、北朝鮮の非道を訴えることだろう。場合によっては、北朝鮮系の「在日」に対し、暴力的な行為に及ぶかもしれない。
日本人が自己を抑制するという態度は一見美徳のようにも見えるが、このことを大東亜大戦に関して言えば、「恨み(反米感情)」は何時までたっても解消されず、心の深層のなかに沈潜したままになってしまうのではとの懸念は当たらないだろうか。
朝日新聞の論調の中の「反米」は、とりもなおさず国民の中に今も息づく声なのだろう。
日本人は、戦後速やかに、一時期でも良いから半狂乱になって原爆や悲惨な戦争の「恨み(反米感情)」を叫び、徹底的にアメリカと激論・闘争すべきではなかったろうか。そうすれば言葉は悪いが「ガス抜き」ができ、「中途半端な反米感情」を引きずらなくても良かったのではないかとも考えて見た。それが出来なかったから、日米関係は今もすっきりしないものが残るのだろうか。
日本は、戦後、冷戦構造の中で必然的にアメリカの傘下に入り、占領政策が成功し、復興がスムーズに出来たために、徹底的な『反米』行動という『発熱』の機を逸した。このため終戦60周年の今も熱は解消されず『微熱』が続いているのではないだうか。
アメリカのエズラ・ボーゲル邸の屋根裏部屋の天窓から、流れる雲を眺めながら8月15日の終戦記念日を機に日米関係についてあれこれと考えて見る私だった。
宛:CIA・FBI諸氏へ
私が、ボーゲル邸の屋根裏部屋で書いたエッセイは貴方がた(CIA・FBIなどの情報機関)が興味深くモニター(盗聴)していることだろう。「元陸将の福山が普段何をしているのか、アメリカをどう見ているのか(本音)」ということは、様々な意味で興味深いことだろう。大いに読んでくれ、〝余〟にとっては、アメリカ当局の読者がいることは、名誉なことである。
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