読書めも ユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』第三部 人類の統一
私の読書メモを元にしてまとめてみました。実際に書かれている内容と異なる箇所があるかもしれませんが、面白そうだと思われましたら、本書を読んでみてください。
歴史は統一に向かって進み続ける
人間社会は、人工の本能ネットワーク、つまり「文化」を持つことによって自然状態で維持できる大きさを超え、複雑になっていった。
神話と虚構は常に矛盾を抱えており、折り合いをつけようとする試みが変化をもたらすことになった。
善きキリスト教徒が最高の騎士になることを証明するため十字軍は遠征を行った。近代の政治秩序は、平等と個人の自由の相反する二つを両立させようとしている。このような矛盾は文化の原動力となり、創造性と活力の根源となった。
絶えず変化する人類の文化には方向性があるのだろうか。
紀元前1万年頃には地球上に散在する何千もの社会が、紀元前2000年頃にはその数は数百程度まで減り、1950年頃には人類の9割近くがアフロ・ユーラシア大陸という単一の巨大世界に暮らしていた。今日、人類のほぼ全員が同一の地政学的制度、経済制度、法制度、科学制度を持っている。
この地球規模の人類統一の背景には、「貨幣」「帝国」「普遍的宗教」の3つの普遍的秩序という概念の誕生があった。
最強の征服者、貨幣
人類は農耕革命によって、生産作業が分担化され、お互いに物を交換する必要が出てきた。物々交換から始まり、穀物などの価値のあるものを仲介させ、次第に仲介する物自体に価値はない貝殻や金が使われるようになった。
我々は、金や銀の貨幣を価値あるものだと考えているが、かつての金は食べることも飲むことも、織ることもできず、柔らかすぎて道具や武器にも使えない役に立たない黄色い金属でしかなかった。貨幣には価値があるという心理的概念を共有していなければならないが、金や銀は、そのような心理的概念を疑わず信じさせる、魔法のような力を持っていた。
これまでに考案されたもののうちで、貨幣は最も普遍的で、最も効率的な相互信頼の制度だった。普遍的な交換媒体であり、富を蓄え、運ぶことも容易だった。金と銀に依存した貨幣が広まることで、単一な貨幣圏が出現し、グローバルな交易ネットワークが実現した。貨幣への信頼は絶対的なものとなり、見ず知らずで、言葉も通じない、信頼しあっていない人間同士でも、貨幣を通して交易を行った。
グローバル化を進める帝国のビジョン
かつて帝国が行ってきた征服や支配、破壊や搾取の歴史を学んだり、スター・ウォーズに出てくる帝国軍のイメージが植え付けられているため、多くの人が「帝国=邪悪」と捉えている。
しかし、帝国は人類の過去2500年間で、最も一般的で非常に安定した政治組織だった。
歴史的には、帝国は、外部からの侵略や、エリート支配層の内部分裂によって飲み倒されている。征服された民族は、帝国の支配からめったに逃げることはできず、帝国の文化に染まり、固有の文化は消え去って行った。そして、その帝国が崩壊しても独立できず、新しい帝国に吸収されることが繰り返された。
帝国は、征服から得た利益を、哲学や芸術、道義や慈善にも回し、思想、制度、習慣、規範、テクノロジーなど、帝国内の標準化を進めた。また、支配している諸民族から多くを吸収し、文化の変容と同化が起こった。
今日の文化の大半は、帝国の遺産に基づいており、すべての文化は、帝国と帝国主義文明の遺産と切り離すことはできない。
宗教という超人間的秩序
狩猟採集民の時代に生まれたアニミズムは、動植物はホモ・サピエンスと対等の地位にあった。
農耕民になっていく過程で、動植物を所有し操作するために、人類の地位を高め、動植物は人間の所有物、資産となり、格下げされた。これは、人類の大きな意識変革であり、宗教革命だった。神々の主な役割は、人間と口のきけない動植物との仲立ちをすることになり、多神教となった。
多神教の神々は、世界を支配する至上の存在だったが、人間のありきたりの欲望や不安や心配には無頓着だった。
ユダヤ教は、ユダヤという小さな国民とイスラエルという辺鄙な地をえこひいきする局地的な一神教だった。しかし、キリストの磔刑という事件によって、新たな解釈が生まれました。
「神は存在する。神は私に何を欲するのか?」というキリスト教の問に対して、「苦しみは存在する。それからどう逃れるか?」と問いかけたのが仏教だった。
歴史の必然と謎めいた選択
私達のグローバルな世界は、必然的な結果だった。現在から遡って見渡せば、常に方向性を持ってきた様に見えるかもしれない。しかし、歴史の変換点にいた人々は、その重要性に気づかなかったり、結果がどの方向に向かうのか理解していなかった。
歴史の選択は、人間の利益のためになされるわけではない。進化と同じで、歴史は個々の生き物の幸福には無頓着だ。文化は一種の精神的感染症あるいは寄生体で、人間は図らずもその宿主になっていると言えるかもしれない。