おじいさんの心に宿るふるさとの味
以前、一風変わったアンテナショップで働いていた。その店は生活感漂う、地域でも安いと評判のアーケード商店街にあった。
その中で私が働いていた店は気取っていた。木製の商品棚は横に長い菱形をしていた。変わった形ゆえに商品数を置くことができず、ごく少量を陳列した。珈琲も出していてカフェテーブルがあり、奥のカウンターは真っ赤でハイチェアが並んでいた。
販売していたのは東北の主に福島の特産品だった。道の駅にありそうな味噌や梅干やジャムや米などで、いたって素朴で地味だった。
気取った空間に田舎の特産品。ちぐはぐなバランスだったが、そのおかげで個性的な人を引き寄せた。年配のお客さんの中には一時間以上ふるさとの話をしていく人もいた。印象的だった二人の話をしたい。
あるおじいさんがいた。黒い革ジャンにハンチング帽、クロコダイルの鞄を持って靴は光るほど磨かれ黒い自転車に乗ってやってきた。珈琲通で、うちの珈琲どうですかと聞いても、うん、と言ったきり、何も答えてくれない時も多かった。
「あのね、いかせんべいって食べたことある?」
ひひひ、と笑いながら聞かれる。
「食べたことないです。」と答えると「青森の美味しいね、お菓子なんです。食べる?」
数日後。例のやつ持ってきたよ、とその「いかせんべい」を掲げてやってきた。ゴマたっぷりの南部せんべいのような硬い生地に、サキイカが踊るようにくっついている。湿気ているのかと疑う程、しっとりしている。イカ臭い!おじいさんに似たインパクトだ。
その方は青森の北の海の町出身で網元の息子として育ち船に乗る青年だった。高度経済成長期に事業を立ち上げ、曲折経て工業地帯の横浜の鶴見に出てきたらしい。
革ジャンの決めた格好で近所のスーパーをよく偵察しに行き、よい魚があったときは嬉しそうに報告してくれた。
スケールの大きさと狙っていない個性の強さが荒ぶる海を連想させた。洒落ているのだけれど、どこかいつも青森の匂いを残している。
また別のおじいさんは福島県西会津町出身だった。リュックサックを背負って電車に乗って店に来てくれた。彼が語るふるさとがまた魅力的だった。
会津は信号機の高さ位に雪が積もる地域だ。まだ小学生だったおじいさんが雪の壁を体でかき分けながら、早朝1時間以上かけて小学校に通ったこと。冬になれば雪で家から出られずたくさんの内職をしたこと。木槌と石で一粒ずつ豆を叩いて打ち豆を作ったこと。その打ち豆をいれた味噌汁や煮物がなんとも言えずおいしいこと。
おじいさんは白い肌とピンクのほっぺたをしていて、色と質感は雪を連想させた。語る情景からは、てんてんてん、とんとんとん、と絶えず誰かが手を動かし家の空気を動かしている雰囲気が伝わってきた。
お二人の話から、おじいさんの中の小さな男の子がみえるようだった。土地土地の厳しい自然がどーんとあり、暮らしは制約され、折り合いをつけるように知恵を巡らせて工夫し力を合わせて生きていた。自然と家族に抱かれて小さな男の子がいた。記憶は美しい思い出となり、おじいさんの心に生きていた。聞くこちらもうっとり旅をする気分だった。
先日、岩村暢子さんの『日本人には二種類いる 1960年の断層』という本を読んでいたら、1960年を境に国を挙げて米からパン、和食から洋食へ移り、インスタント食品が増え朝食を抜く人も増えるなど、食のスタイルが激変していく様子が記されていた。
今では家庭の料理に地域ごとの特色は薄くなり、食の記憶もみな似たり寄ったりになっている。便利になった結果とはいえ、昔の思い出をあれだけ嬉しそうに話すお二人の表情を思うと、貴重なものを失った気もしている。