『味をつくる人たちの歌』『食は広州に在り』『荒野の胃袋』〜食の本紹介〜
近所にできた「みんなでつくる本とアートの実験室」ラムリアにて、シェア本棚を借りました。食関係の本を棚に並べています。100冊の本をNOTEで紹介することをとりあえずのゴールにしています。今回は3冊を紹介します。
8.『味をつくる人たちの歌』牧羊子
詩人であり中華料理研究家であり、開高健の妻である牧洋子さんのエッセイ。
兵庫県竜野の醤油蔵、愛知県岡崎市の味噌蔵、和歌山吉野のこんにゃく畑、出羽三山の山菜自慢の宿など、全国あちこち訪ねあるく。
後半は舞台は中国へ。ローカルな味を求めて上海・蘇州広州・北京へ。物理学部卒の詩人はおいしいものを味わうだけでなく、つくられる工程に関心を寄せる。
古本屋でたまたま手にとった。表紙からしゃれたエッセイかと思いきや、土の匂いがするような話や地方のまちの地名ばかりがでてくる。ギャップに惹かれた。
今でこそローカルブームだが、昭和56年にもそういう趣向の人はいたのか、という驚きがある。
筑波山を円弧の中心にみたてて、そのまわりを大きく一周する旅をした、というくだりがあって、醤油で知られた野田をふり出しに、下妻、結城紬の結城、窯場町益子に入る、という。
「メイン街道をさけて、暮らしの詩どころを点点と縫い、時に筑波山の麗姿を車窓に眺める」友人との車旅。
いいな。山の周りを回る旅って楽しそうじゃない?!この人と友達になりたくなってきた。
ちなみに、夫である開高健さんの文章が私はどうしても好きになれない。でも妻であるこの方には興味がある。
調べてみたら二人は仲が悪く、稀代の悪妻、と言われていたそうで。逆にますます興味がわいてきた。
9.『食は広州に在り』邱永漢
実においしそうな中国の庶民の食と、悠々とした文化に触れ元気が湧いてくる。
食べることに並々ならぬ情熱を注いだ台湾の父のもとにそだち、味覚のセンスが身についた著者。
センスは食にとどまらず、商売に株に言語と多才で、日本で直木賞を受賞した他、株の神様としても知られたそうな。
日本、台湾、香港、中国と股にかけているせいか、中華料理を語っても故事を語っても、中国万歳とならずちょうど良い距離感で、そこにおかしさがある。
紹介されているのは、醸豆腐・塩焗鶏、蛋花湯・蒸肉餅・蘿蔔糕・清炒蝦仁・・・。
漢字の間から匂いや汁気がにじみでてくるよう。ぼんやりと料理を想像できるけれどもディテールはわからないから、想像の中でおいしさが2倍増しになる。
日本料理は静的な印象があるけれども、中国は動を感じる。ゲテモノを食らえば、油もたっぷり使う。勢いがある。その隣にはお粥や飲茶文化もあるわけで、中国の食の懐の深さを感じる。最後の丸谷才一さんの書評も良い。
ああ、胃袋が若いうちに、中華料理を食べに、飛行機に乗って旅に出たい、と前からの願いを再認識した。
10.『荒野の胃袋』井上荒野
井上荒野さんがおいしいもの、主に思い出について書いたエッセイ集。
文字が大きくて読みやすい。しかも井上荒野さんの『あちらにいる鬼』という作品に出てくる家族の話でもあり、迷わず購入。
『あちらにいる鬼』では、なめらかでない家族について自伝的に書いている。作家の父は外で女の人をつくり放蕩三昧。母も娘たちもそれを知っていて、その女が誰かなのかも、よく知っていた。
それでも食卓は3食一緒に家族で囲んでいたのだそうだ。
母は食い意地のはった父を喜ばせるために毎日ひたゆら一生懸命料理をする。昼からうどんを打つくらいに必死に。「母の料理に対する情熱は異常でした」。
さっぱりした文章のあいまに、実は語りたいことを隠している気がする。でも、あえて多くを書かず、潔く、短く語るのが良い。ゆえに食べ物のうまさが引き立つ。
背後で荒野さんがニヤッと笑っている気がする。それはすべてを知りながら一生懸命食事を作り続けた荒野さんのお母さんの姿勢に通じるのかもしれない。
この本を読むと、無性に一緒に食べる人が欲しくなって、寂しい。ただおいしいものを一緒に囲む時間が、こんなにまぶしく恋しく、それだけで尊かったかと。
「食卓のおかげでわたしたちは家族だった。」という帯の言葉が心にずどんと残った。
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