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「後輩・部下・子供」への教育をする大人への提言

教育という言葉は間違った認識をされています。

目上(年上)が目下(年下)に教えること

「戦時中の軍隊の慣習が脳ミソにこびりついて生れてきたのか!?」と思うほど(笑)


学のある人がない人に物事を教えることを教育という人もいるでしょうけど、今知識はインターネットの方が、量も質も圧倒的に優れています。教育で伝えるべきことは知識では無くなっているのに、未だに知識詰め込み教育の人が多いのではないでしょうか?

では何を教えるべきなのかあなたは分かるでしょうか?

本日の記事は教育におけるポイントまとめていきます。

マウントを取る教育者

先程のように目上が目下に教えるという構図は上下関係が生まれます。上司と部下、先輩と後輩、親と子。それが必要になる場合もあれば、悪影響を及ぼす可能性もあります。つまり「見下す」という状況。最近では「マウントをとる」なんて言い方もしますね。

そういった環境下で、果たして相手は学びに集中できるでしょうか?高圧的になられると、人は本能的に恐怖を感じ、防衛反応が出ます。

脳が学ぶことよりも守ることを優先しているのです。

そんな脳内状況で質の良い教育になるわけがありません。上司のパワハラに怯え仕事が手につかない部下、先輩の目が気になる後輩、親の暴力に怯える子供。全ては教える側の「対等に扱えるかどうか?」という前提条件で決まります。


ポジティブな絶対評価

人はネガティブポイントを発見しやすいです。何故か?

「自分より強いものからは逃げろという防衛本能が働くから」

自分より下手、出来ない、知らない相手からは逃げる必要がありません。自分の力を誇示して存在を示すことが出来るからです。これは人に限らず生き物の本能だと言えるでしょう。

教育をする人にとって相手は目下であることがほとんどです。


・自分の方が知っている
・自分の方が経験がある
・自分の方が出来る

こんな視点で相手を見ていると、ネガティブポイント「知らない」「経験がない」「出来ない」しか見えてきません。しかもそれを他人と比べがちです。これを相対評価といいます。


・○○と比べて知らない
・○○と比べて経験がない
・○○と比べて出来ない

これらは対象を見ているのではなく、他人を通して対象をネガティブに見ているだけです。教えているのではなく指摘する粗探しをしていると言ってもいいでしょう。このような評価は成長を著しく邪魔します。

相対評価と対称になるのが「絶対評価」です。これは「以前のあなたはこうだったけど、今はここまで出来るようになった」という対象の前後で見比べているものです。

そうなったら人間プラスにしかならないのが分かるでしょう。誰しも年齢、経験を増やしていくのが人生です。減っていく人はいません。他者と比べるからマイナスに見えるのです。それは個人的な主観でしかないことを教える側が学ばないといけません。


叱るより体験させる

人間の脳は、ネガティブな経験によってパフォーマンスが落ちます。叱られるというのも同様で、その後のリカバリーには何倍もの時間を要します。

教育という視点で見た時、そのリカバリーの時間は学びに繋がりません。もちろん精神的にタフになるといったポジティブな面もありますが、対象によってはビルから飛び降りる可能性だってあるわけです。

だからこそ、学びを体験させる手法が必要になります。

その環境を整えられないというのであれば、それは教える側の準備不足、知識不足ではないでしょうか?それが出来ない理由はたくさんあるでしょう。

・忙しい
・1人1人を見る余裕はない
・私も1人の人間だ

出来ない理由ににすがって自己満足の教育をし続けるのも自由です。しかし、成長を願うのであれば何においても体験を提供しなければなりません。

つまづいても転んでも人は誰かのサポートがあれば立ち上がれます。でも転ぶことをこちらがコントロールしたら、立ち上がり方は学べないんです。


ホルモンの重要性

体験という最高の学びをするためには「ここは安全だ」「自分を出していい」「ここでは自分の意見が言える」という環境を用意することが求められます。「率直な意見をどうぞ」というなら、その環境を用意しましょう。みんながみんな人前で話すことは得意ではないのです。

特に子育てにおいて重要だと私自身も実感しています。子供は先ず家庭に安心感があることで、自由に好きなことに取り組めるのです。自由な発想が出来るのです。子供が最も伸びるテーマは何でしょう?


「好きなこと」です。

「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますね。ゲームや漫画ではありません。あれは暇つぶしの道具です。もちろんその道に進む人にとっては大切なものですが、子供にとっては「誰かを喜ばせる」ことが好きなことなんです。


・お手伝いをしたら母親が喜んだ
・字が上手いと父親に褒められた
・宿題を頑張ったら先生に褒められた

誰かが喜ぶことを子供はもっとしたいと言います。それは他者の笑顔を見ることでオキシトシンという「幸せホルモン」が分泌されるからです。この脳内ホルモンが出る時こそ、人は成長することが出来ます。誰かの役に立っているという実感を得ることが出来ます。

誰かのために仕事をすることは基本だったはずです。いつからでしょう?ネガティブな部分だけを見るようになったのは?教育の本質は伸ばすことなのに、いつからマイナスだけを見るようになったのでしょうか?


知識だけのインプットはオワコン

知識はインターネット上に人生を終えても学びきれないほど転がっています。しかし「人の知恵」はなかなか見つかりません。何故なら、知恵とは言葉に重みと体温が乗ったとき伝わるからです。ネット上の文章では重みと体温は伝わりません。今読んでいるこの文章も実は同じです。これを読んで「学んだ」と思ってはいけません。

言葉の重みと体温については、是非コチラの動画をお勧めします。


私はこれまでの学びを通して、多くの人へ気づきを提供したいと考えています。

・リハビリ専門職としての気づき
・経営者としての気づき
・男としての気づき
・父親としての気づき
・人としての気づき

そんな気づきが人生を変える体験を私は何度かしてきました。それは学びというものを本質的に理解しようと努力しているからだと考えています。


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理学療法士 ふくちゃん

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