【私案】おつとめから考える段階的成長
コアLv▶▶▶▷▷
こんにちわ、福之助福太郎です。
今日はおつとめの構成から思いを巡らせたいと思いますが、初めての方はまずこちらをご覧ください。
教えについての分かりやすい説明や教理の一般的な解釈を載せるつもりの投稿ではないという事をあらかじめご理解いただければと思います。
おつとめの構成
"おつとめ"の地歌である『みかぐらうた』は、1866年から1875年にかけて段々と教えられましたが、"おつとめ"はその順番とは異なる流れでつとめられます。
説明の都合上、第一節から第五節までの節名が便宜的につけられており、現在も用いられる呼称なのでここでも節名を用いたいと思います。
おつとめについては、二代真柱さま著の『ひとことなはし その三』、『続ひとことはなし その二』などに詳しくまとめられています。
また、第一節から第三節は朝夕のおつとめや月次祭の座りづとめとしてもつとめられますが、"かぐらづとめ"の地歌としての意味合いが最も重要だと考えており、そのため第四節と第五節の"てをどりづとめ"とは一線を画しているようにも感じます。
以下、各節ごとに感じたポイントを書いていきます。
第一節
キーワード:悪しきを払う
心の悪しきを払う事に重点があり、核心は自分の心。
性質:自己完結
心の悪しきを払うのは自分自身の行い。出す一方の太陽的性質。
本質:誠の心
教えの角目の例:「八つのほこり」
第二節
キーワード:夫婦を拵え
この世の始め出しは夫婦を拵えたという事に重点があり、核心は自分と何かの相補的な関係。人間において一番身近な例は心と体の関係。
性質:他 との関わり
夫婦に代表される他者との関わりには自分以外の「他」が必要。受けることに重点があり太陽の光を受ける月的性質。
本質:二つは一つ
教えの角目の例:「十全の守護」
第三節
キーワード:甘露台
甘露台を据える事に重点があり、核心は中心(元)をもつ事。人間においての例は魂。
性質:中心をもつ
「自」と「他」の調和を保つには中心となるものが必要。
本質:順序、元
教えの角目の例:「元初まりの話」
↑かぐらづとめ
↓てをどりづとめ
第四節
キーワード:万代の代(世)、立教
「よろづよ八首」という呼称からも万の代(世)が重点と言え、核心は"ぢば"においての神による立教の宣言。
性質:時の流れ
物事が成ってくるには時間という要素が必要。「時」に関連するのは"をもたりのみこと"。
本質:成立
第五節
キーワード:"ぢば"、国々
"ぢば"と国々それぞれにおける内容で、神とも人とも受け取れる文言から核心は神と人の和楽。
性質:場の展開
物事の発展には空間の広がりが必要。「場」に関連するのは"くにとこたちのみこと"。
本質:発展
自由度
上記のように見ていくと、節の展開と共に要素の数(自由度)も増え、次元で表される世界とも関連があるようにも感じます。
〇心:次元1(線)
〇自+他:次元2(面)
〇中心:次元3(立体)
〇時間:次元4(可逆の時間)
〇別軸の空間:次元5(時間的空間的制約を受けず任意の座標を再現)
人間は神さまを認識できない?
話は逸れますが次元について、
「ある次元にいるものは自分より高い次元にあるものを認識する事はできない。仮に高い次元のものが、低い次元を貫いたり通ったりした時には低次元のものにも認識できるが、自分と同じ次元のものとしてしか認識できない。」という説明があり面白いと感じました。
認識できない例を分かりやすくすると、
・机の上にあるペンを紙で覆って見えない状態にしたら、写真で見るように平面的(二次元)な探し方では絶対に見つからないが、覆っている紙をめくるという立体的(三次元)な探し方をすれば簡単に見つける事ができる。
という感じです。
もし、神さまが人間よりも高次元に存在するとしたら、人間には認識できず、できたとしても認識できるようにしか理解できないというのは個人的にはとても納得のいく解釈です。
第一節~第三節の展開
上記のように各節の性質を見てみると、
・第一節:自己完結・誠・出す一方
・第二節:他 との関わり・二つ一つ・対象が必要
で、その性質から
・自己完結:感謝
・対象が必要:祈願
的な特徴で、
・第三節については、
①心の悪しきを払う [自己完結]
②一列を澄ます [他 との関わり]
の次の段階としての
③甘露台が象徴する原点 [中心・順序、元]
が特徴とも言えると思います。
そこから一例として、
【おつとめ】
感謝:朝夕のおつとめ、お礼づとめ
祈願:お願いづとめ
原点:月次祭
【具体例】
自己完結:つとめ
対象が必要:さづけ
「元」に関連:証拠守り、をびや許し、御供 など
が該当するように感じます。
第一節~第三節の構成をこのように考えると、
・土台となる要素
・展開する要素
・押さえるべきポイント
が段階的に示されており、第一義は感謝・喜びで次に「他」に対しての行い、その上で「元」を守るという順序で発展していくようにも思います。
"かぐらづとめ"と元の理
かぐらづとめにおける手振りは、
第一節:てんりわうのみこと→十全の働きを表す十通り
第二節:ふうふ→夫婦を表す二通り
第三節:かんろだい→全員同じ一つの手振り
となっています。
この10→2→1という数は「元初まりの話」における、
・10:月日親神+雛型と道具
・2:いざなぎのみこと+いざなみのみこと
・1:"子"という存在
また、
・めざるの胎に男五人女五人の十人ずつ
・人間の胎に男一人女一人の二人ずつ
・一胎に一人ずつ
という数と一致します。
この数と手振りの対応を、「元初まりの話」における人間の成長に当てはめると、
第一節:~一尺八寸
第二節:一尺八寸~三尺
第三節:三尺~
となります。
そして、
「次いで五尺になった時、人間は陸上の生活をするようになった 。」
という事から考えると、"かぐらづとめ"では水中の住居で成人する様子が表現されており、続く"てをどりづとめ"(第四節、第五節)は陸上の生活を表しているので上段でつとめられるとも言えるように思います。
また個人的には、かぐらづとめにおいてつとめ人衆が前後に動いてつとめられる様子は鼓動のようでもあり、母親の胎内がイメージされます。
最後に
前回の「天の理」による解釈と近い内容でもありましたが、おつとめの構成という観点からも段階的な展開が感じられたので今回書いてみました。
またかぐらづとめについて、第一節は手振りから、第二節は内容からしか「元初まりの話」との関連は感じていませんでしたが、このように見ていくと第一節~第三節と「元初まりの話」全体との関連が感じられるようにも思いました。
もちろん今回も捉え方による解釈の一つですが、とはいえかなり飛躍した解釈になりました。それでも単なる理屈や分析ではなく、自分や周りの人の喜びへのアプローチの目安として実験的に活用できたり、神さまの実感や信仰心の深まりに繋がるのであれば思いを巡らせてみる意義はあるように思います。
お付き合いいただきありがとうございました。