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うっかり、受け止め、紡ぐ。|居城柚那|2023-24 essay 05

所属や分野・領域の垣根を超えて多様な人たちが集まり、対話し、実践的に学び合う「ふくしデザインゼミ」。2度目となる今年は、28名の学生と若手社会人が、東京八王子、伊豆大島、滋賀高島、長崎諫早の4地域をフィールドに「福祉をひらくアイディア」を考えてきました。

正解のない世界を漂流する2ヶ月のプロセスのなかで、若者たちは何を感じ、何を思うのか。このエッセイでは、ゼミ生一人ひとりの視点から、ふくしデザインゼミを記録します。
essay 05, 06は、1月に終えたキックオフからフィールドワークをむかえるまでのプロセスの足跡です。


こころがやわらかくなる魔法のことば

「うっかりする。」
1月のキックオフを終えて私の心に一番残ったのは、この言葉だった。それはたぶん、わたしにとって、とてつもなく苦手なことだからなんだと思う。

23年間の人生のかなりの部分が、「しっかりしなきゃ」という呪縛にとらわれていて、余白と呼べるものは少なかった気がする。物事を前に進めることはできても、無理をしているので自分にとってはしんどい。おまけに余裕はまったくなくて人との距離も詰められない。そんな自分に辟易する。

だからこそ、自然体でフラットに人とかかわれる人への憧れが強い。

「どうやったら素を出せるのか」

恥ずかしいけれど、結構本気で悩んで悩んで悩んできた。

「うっかりする」というパワーワード。「なんだ、そんな単純な発想の転換でいいんだ!」と心が軽くなった。そんなわくわくした気持ちで、ふくしデザインゼミはスタートした。

竹端ゼミってなにするの?

私が所属する竹端ゼミ(長崎・諫早)のメンバーは、福祉施設で働く社会人、社会学を専攻する大学院生、心理学を学ぶ大学生、高校生のまちづくりをサポートする大学生などさまざまなバックグラウンドをもつ若者7人。講師の竹端寛先生、アシスタントのよりちゃん、社会福祉法人南高愛隣会からは、職員の下田さんと渡部さんが加わり、一緒にゼミに取り組んでいる。

私たちは、2月20、21日に長崎・諫早にある南高愛隣会を訪ねる。4つのゼミのなかではフィールドワークのタイミングが一番遅いので、準備の期間が最も長い。だからこそ、フィールドワークにいくまでの「プロセス」を大切にしている。

私たちのフィールドワークのコンセプトは「会いたい人に会いに行く」だ。
このコンセプトになったのは、「友達みたいな関係性になれたらいいよね!」というメンバーのあっこちゃんの言葉がきっかけだった気がする。

職員さんや当事者の方と、肩書や立場を超えて「個」と「個」として出会うこと。お互いに一人の人として出会い、何度か顔を合わせて気にかける存在になったうえで「ようやくお会いできてうれしいです!」と本心からいえたら本望だ。

キックオフで、ゼミ生、竹端さん、下田さん、渡部さんとともに
竹端ゼミの作戦会議。

そして、ゼミ生たちと、職員さんや当事者の方たちとが出会うところから、ゆるっとふわっとした人とのつながりから、生まれてくる面白いものがあるんじゃないか?ゼミのテーマである「福祉に余白をつくりだす」ことができるんじゃないか?と考えている。

そのために、オンラインで南高愛隣会のサービスを利用されている方と、そこで働かれている職員の方とのお話会を開催することにした。

好きなことや苦手なこと、ふだんどんなことを考えて何をしているか。そういうことを丁寧に拾い上げる時間をまずは大切にしていきたい。そう思いながら急ピッチでお話会の準備を進めた。

うっかりさせ上手

はじめてのオンラインでの竹端ゼミでは、「キックオフを終えてどんな時間を過ごし、何を感じていたのか」などなど、メンバーそれぞれが思い思いに話す。

第1回竹端ゼミ。南高愛隣会の下田さんと渡部さんも参加してくださった!

キックオフのとき以来の、ふだんなら思っていても言わないようなことが口から滑り出す感覚。無理せず自分が自分でいられる感覚。かと思えば、お話会に向けてやるべきことを整理しつつ活動のペースをすり合わせたり。

しっかりするところはしっかり、うっかりなところはうっかり。。さじ加減が絶妙なのだ。

お話会の方向性も形になりはじめ、依頼のお手紙も着々とできあがった。職員さんや利用者さんとの「うっかり」な出会いが楽しみすぎる。

当事者の方へお話会を依頼するお手紙(かめかめ作。折り紙つきは、アツい。)


職員さんへお話会を依頼するお手紙(おひよ作。似顔絵みんなにそっくり!!!)

目と耳と心をすまして。

私たちは「みんなで一緒に前に進む」ことを大切にしているように思う。
いや、「誰かを置いてけぼりにしない」のほうがしっくりくるかも。

第2回のゼミでは、「そもそも、なんでみんな諫早に行くの?」「みんなの興味関心はどこにあるの?」という話を改めてすることになった。一人ひとりの想いやほかのメンバーの話を聞いて思い浮かんだことを言葉にする。

否定する人は誰もいない。ただ、話す人の言葉に耳を傾ける。
ふと湧いてきた疑問や考えを伝えてみる。それに対してまた言葉を紡ぐ。

そんな場が2時間近くつづいた。

私はまとまらないまま話し出して、うっかり、ふだんあまり話さない自分のコアの部分を話していた。予想していないなかったところに話が終着して、なんともいえない新鮮な感覚だった。まさに、まいまいが共有してくれた「このゼミでは、ちゃんとしたことを言わなきゃという重荷がない」という感覚。

「この人たちになら話してもいいな」と思える空気感と、些細な言葉に「なぜ?」と問いかけてくる聞き手。この2つが揃うと、話し手を本人すらも知らないどこかに連れて行ってしまうんだと知った。

チェックアウトで、「受け取って応答するのがこのメンバーのよさだと思った」と、こもちゃんが言った。この私たちのよさは、どこかの誰かを知らないところへ「うっかり」連れていく力があるのかもしれない。

「福祉に余白をつくりだす」

キックオフで「余白とは何ぞや」とひたすらもやもやした。定義はしきれなかったけど、「そこら中に散らばっている『余白になりそうな物』を発掘してつなげていく」という、そこにあるけど認識していなかったものに気づくプロセスこそ、余白をつくりだすことにつながるんじゃないかと考えた。

キックオフでテーマを分解! 余白??つくりだす??どういうこと??

第2回のゼミでは、おひよが「余白って、『私も入り込める』と思えるもの、なのかも」というアイディアを出してくれた。そのあとの、なっちゃんの「外側だったものが入り込むことで内側になる」という言葉。なんだろう、すごくしっくりきた。

「福祉に余白をつくりだす」っていうのは「私も福祉に入り込めそう」と思えること、「うっかり」福祉の内側になってしまうこと、なのかもしれない。

気づかれずそっと潜んでいるものを見つけだして、私とお隣さん、福祉とお隣さんの垣根を低くして、「うっかり」出会っていく。諫早に行ってそんなことができたらいいな。うっかりさせ上手な私たちなら、きっとできちゃうんだろうな。

そんなことを一人勝手に妄想している。みんなでうっかりするの楽しみだなあ。

|このエッセイを書いたのは|

居城 柚那(いじろ ゆうな)
広島の福祉法人職員1年目

お知らせ ~公開プレゼンを開催します!~

3月3日(日)には、正解のない世界を漂流した2ヶ月のプロセス、そしてアウトプットを共有し、みなさんとともに思考と対話を深める、公開プレゼンテーション〈「ふくしをひらく」をひらく〉を開催します!
エッセイを綴るゼミ生たちがみなさんをお待ちしています。ぜひご参加ください!


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