健康の結論を読んで5 リスカと自殺。過度な共感や、「自分がなんとかしてやる」という気持ちは逆効果
日本人の自殺リスクを考慮する上で一つ注目すべき現象が若者の「自傷行為」だ。
日本では10代のおよそ10人に1人は自傷の経験があるという。
自傷行為の中で最も多いのは刃物で手首に傷をつける「リストカット」だ。
自傷とは、心のつらさ、苦しさを何とかしようとしたときに代替的に行う行為である。死にたいほどつらい気持ちを体から切り離そうという気持ちから派生することが多い。
時折、SNSで「死にたい」とつぶやく人や、リストカットをする人たちを「どうせ本気で死ぬつもりはないだろ」とか「死にたいという人に限って死なない」などと言われたりもするが、実はそれは間違いである。
そもそも自傷や自殺をしてしまう人は、「辛いときに人に助けを求めない」という共通の行動パターンがある。
とはいえ、誤解をおそれずにハッキリ言ってしまえば自傷行為をするような「メンヘラには関わりたくない」というのが多くの人の本音だろう。
「死にたい」と言われても、その気持ちにどう応じればいいのか分からない。助けたい気持ちはやまやまだとしても
「重い・・・」「面倒くさい」と感じるのはもはや当然だ。
限られた自分の時間を他人の「痛み」に費やすのは現実的に苦しい、というのが率直な意見だろう。
そしてそれは「当たり前な感情」としてまず受け入れる、認めることが結果的に多くの人を助けられると考える。
「なんとか力になりたい」と考えることと、「相手にとことん付き合う」のは別の話だ。
過度な共感や、「自分がなんとかしてやる」という気持ちは共倒れになったり、助けているうちに支配的な関係になったり、かえって事が複雑化することがある。
恋人や友人、親子、兄弟など近しい関係であってもどちらか一方が「助ける」「頼りきる」という状況は時に精神的に不健全なパワーバランスを生む危険がある。
そもそも自分一人で助けられる範囲はそれほど大きくはない。
友人や知人だからこそ言えないこともあるし、他人の方がむしろ踏み込んで相談できる問題もある。
自分が突き放したら最悪の事態になるのではないかと心配するかもしれないが、「できないと相手に伝えること」と、「ただ突き放すこと」は全く違う。
「それは無理」「でもこれはできる」と、自分ができることを明確に表現し、できる範囲で関わっていくことが結果的に多くの人を救える手段である合理的な方法である。