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真剣に生きるとは
「辞められるもの」でない限り「惰性で続ける」という概念は存在しない。人生をいつでも終わりにできるという漠然とした勘違いこそが、「惰性で続ける人生」という勘違いを生む。
死を思うこと、リアリティのある死を定義することこそが途中で止めることのできない生と言うものを実感させた時、「惰性で生きる」と言う事の不可能性を自覚させる。そして人生を死をもって途中で投げ出そうとも、自らの苦悩から逃げ出す事は根本から不可能である可能性が高い。
この意味で言えば、惰性で続く社会を生きるということこそ、この社会のいつかの終わりを自覚しているという事に他ならない訳であるのだが。
自分の人生を「真剣に生きる事」は、社会的に求められる立場をやらされる事ではなく他人の評価軸に生きる事でもなく、自らの決定の中でより良い状態を追求し続ける事だったはずである。しかしながら、「真剣に生きる事」を許さないのは己の心持ちだけではない様だ。
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