『シン・エヴァンゲリオン』を巡るいくつかの考察
(*このご時世、今さらかもしれませんが、「ネタバレ」を多く含みます!)
文:たまきお(宇宙サービス、福岡音楽研究所)
もう、封切りの2021年から2年経ちましたし、ネタバレサイト(って言うんですか?)も多数あるんでしょうから、僕が『シンエヴァ』公開直後に見た時の感想メモを公開しようと思います。テキストにした際に再編集しました。
考察
1. サブテキスト
2. 一足跳びの仮説
3. 庵野監督の「リアル」
4. 「リアル」から生まれた「オリジナル」
5. 「オリジナル」が生んだ映像効果
6. 私自身の「リアル」
○サブテキスト
・TV版放送直前の庵野の声明(「我々は何を作ろうとしているのか」)
・スタジオカラー「大きなカブ(株)」❨YouTube❩ ・「パラノ」「スキゾ」は読んだことがない
・庵野が、映像で表現しようとした「気分」と「リアル」
・「4年間壊れたまま何も出来なかった自分」の「気分というものをフィルムに定着させ」ることで目指した「オリジナル」
○一足跳びの仮説
・「壊れた=アル中(精神病)」、「ネルフ≒アル中(精神科)病棟」
・シンジ、ミサト、ゲンドウ、リツコ
・ネルフクルー≒医療スタッフ
・「エヴァ」に乗ること≒アル中治療のメタファー(アニメ製作という作業療法)
・禁断症状(被害妄想)≒使徒
・精神科での治療を、特撮マニアのイマジネーションで作劇する事が、一貫したテーマ
○シンエヴァの場面を庵野監督の「リアル」として解釈する事とは
・ミサト率いる「ヴィレ」とは?
ネルフ(精神科)を独立して、新たに開業した医療機関。古い精神医学であるフロイト主義(ネルフ)に反発
・「第三村」での農作業とは?ご飯を味わうとは?
ジブリ、宮崎駿、風立ちぬ(「大きなカブ」より)
・DSSチョーカーを着けて、「エヴァに乗るな」とは?
断酒剤(シアマナイド)(吾妻ひでお『アル中病棟』に詳しく)
・シンジとゲンドウの対決とは?
フロイト精神主義における「父殺し」、フロイト主義の古い精神科(ネルフ)の否定
・シンジの母ユイに似たクローン、綾波レイとは?
母=マザコンのメタファー
・カジの息子による生態系の保護(種のDNAを保存する事)とは?
自然回帰(ジブリ)に対する、環境保護とは「人による介入」が必要という主張
○「リアル」を描き出す事で生まれた「オリジナル」とは?
・登場人物の設定に含まれる「多層的意味」(「トリプルミーニング」と仮称)
シンジ=「アニメのキャラクター」、「庵野自身」、「視聴者自身」
ミサト=「アニメのキャラクター」、「庵野自身」、「看護スタッフ(ネルフのスタッフ、ヴィレの院長)」
ゲンドウ=「シンジの父」、「精神科(ネルフ)の院長」、「視聴者の父親」
エヴァに乗るな=「ニアサードインパクトの責任」、「もう酒を飲むな」、「作業療法(エヴァの製作)を止めろ」
○二重、三重に意味を「ぼやかされる」事により表れた効果
・絵画で言う「シュールレアリズム」の効果
・「登場キャラクター」、「庵野のリアル」、「視聴者自身」の3重に解釈できる
・視聴者それぞれの精神の葛藤が、3重の意味でアニメーションに投影される
・各々の人生の「ストーリー」が、各人のケースに応じて作品の中に浮かび上がって、多様な意味を見せ始める
・各人の思い入れを全て飲み込んだ先に、クライマックスとして描かれたのが、シンジとゲンドウの対決=親殺しによる人間の成長
○私自身の思い入れの投影
・以上の言説は、結局のところ、私自身の思い入れがスクリーンに投影されたものに過ぎない。そして、それ故に、私自身の心の葛藤が救済される瞬間に繋がるのだけれども
・精神を病んだ事のある庵野監督が、自身の治療の経験をアニメにしたと私は指摘するけれど、そして、それも私自身の投影に過ぎないのかもしれないけれど、「トリプルミーニング」でぼやかされる事により、多くの視聴者の心の葛藤を救う作品になっているのではなかろうか
○以上、あくまでメモの羅列ですが、シンエヴァは観客の数だけ解釈が生まれる、「サイコマジック」の作品として、名作だと思っています。
「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」
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