自分で気付けたなら、それで良し♪
皆さん、お盆はいかがお過ごしでしたか?私は…漫画の一気読みや読書、パズルゲーム(足掛け二年でクリア・涙)をしたりと『どこも、混んでいる!』を言い訳にして、相変わらずのインドア生活を満喫していました・笑。写真は百道浜の海です。今回も一人、貝殻拾いをしました・笑。砂浜を歩く時の楽しみは可愛い貝殻と犬さんの足跡を見つけることです。我々のとは違うまるでスタンプのようなその足跡を辿りながら、『どんな犬さんが歩いたのだろう?』と肉球を含め想像するだけで楽しいです。
現在、コロナの影響でレッスンのお休みも出ているため、当初の予定より余裕のある夏休みとなっています。あっ、私はいつも通り元気なのでご安心下さい!!
【子どもの気付きを妨げず待つ】さて、子ども達を見ていると、例えば、引き算の問題で足していることがあります。(その逆も然り)または、作文の際、「は」を「わ」と書いたり。そのような時、気付いてもあえてすぐには指摘しません。本当は「違うよー!よーく見て!」と思っています。その念が通じるのか?しばらくすると、「あれ?」と子ども自身、間違いや勘違いに気付くようで、ちゃんと直しています。私はこの《自分で気付く》これこそが、大事だと思っています。目の前で間違った答えを書き込む子どもに対し、あえて見て見ぬ振りをすることは正直、心苦しくもありますが…そこはグッと我慢した方が結果的に子どもを伸ばすのだと経験上、知ったからです。子ども自身の気付きが、やがて力となります。そのわずか数秒、時には数分の時間を待てるかどうか?問題は子どもが間違うことではなく、大人側の忍耐力とも言えます。『間違えちゃったー』と言う子に、『でも、自分で気付いたね!』と声を掛けます。《自分で気付けたらな、それで良し♪》「あれ?何か変だな?」「おかしいな?」という感覚を大事にしてほしいので、これでいいと思います。お子さんの間違い、ミスに対し、心配される保護者の方の声も聞きますが、やっぱり私の答えは同じです。『しばらくして、ちゃんと自分で気付いたのならOKですよ』とお返事しています。子どもには《考える時間》大人には《待つ時間》が必要です。
娘とゲームをして遊んでいた時のことです。協力プレイを楽しんでいたのですが、私なんぞ、20分もゲームをしていると目も肩も疲れてきます。段々とプレイが雑になっていることがバレたようで、イライラした娘が(私に向け)良くない言葉を口にしました。たとえ集中力が途切れ掛けていた状態でも、私が聞き逃すことはありません・笑『そんな言葉は使わない!』と指摘しました。娘もゲームに熱くなっていたのでしょう。その後、すっかりそのことを忘れていた私。ところが、夕方頃、娘が私の所へやってきて、『さっきはごめんね。あんな言葉を言って』と自分から謝罪してきたのです。(何て珍しい!!)娘に『でも、何で今になって?』と訳を聞くと、『お母さん、何だか悲しそうな顔をしているから…気になって』と言っていました。実際はゲームでのことはすっかり忘れていた私…。悲しそうな顔に見えたのは、多分、別のことで(ここでは書けないような)現在、悩んでいるからなのですが…。やはり、子どもは敏感ですね。侮れません。とりあえずは、娘の謝罪に対し、『そうだね。ゲームに夢中になっていたのは分かるけど、あんな言葉はよくないね』と言い、『でも、自分でそれに気付いたのなら、それで良し♪』とその場を収めました。ちょっとズルかったかな?私。
勉強においても、それ以外でも《子ども自身が気付くこと》これが大事です。あれこれと親が先回って指摘してしまうことは、逆に子どもの成長の機会を奪うことにもなりかねません。じっと《待つ》ことは忍耐も要りますが、その先には《子どもの成長》という大きなプレゼントが待っています。とは言え、私自身もまだまだ、気付けていないこと、気付かない振りをしていることも多いので、偉そうに言える立場ではないのですが。
自分に喝!ある種の決意の意味を込めて、今日の記事を書きました。『あの時、気付いて良かったー』と思えるいつかのために。
それでは、次回もどうぞお楽しみに。
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