生きてるだけでアクション映画
ファンタジーなアクション映画が得意じゃない。大抵の男の子はいわゆる“闘い”というものが好きだ。古くで言えばキン肉マン、ドラゴンボール、ワンピースなどなどと定期的にバトル漫画、バトルアニメが流行り続けているのはそのためだろう。しかし、その熱に私はうまく乗れた試しがない。
そのきっかけとなった原体験を私は鮮明に覚えている。当時小学生だった私は、多分に漏れずワンピースというファンタジーバトル漫画を読んでいた。子供の私なりに物語に感動し、熱くなったりしていたと思う。しかし、読み終わって本を閉じて息を吐いた時、ある言葉が自然と脳裏に浮かんできた。それは「こんな世界、本当はないんだよな」ということであった。なんと面白味のないガキだろうか。家庭環境がしっちゃかめっちゃかだった私は、逃げ場としての受け皿が多分にあるファンタジーをおとなしく享受しておけば、いくらか救われた経験をしたはずだろうにそうはならなかったのだ。そこからの私は「現実味」を追い求めるようになった。「現実にだって起こりうるかもしれない」と思わせてくれるものが好きになった。そのため、しっかり現実との繋がりを示唆してくれているハリーポッターシリーズは芸名の由来にするほどいまだに愛しているし、中学の時からモーニング系のほのぼの漫画が好きで周りと話が合わない学生生活を過ごすことになったのは、しょうがないことである。
最近、Audibleという本を朗読してくれるアプリをよく活用している。月額定額を支払い、入っている本は聴き放題。本版のNetflixのようなものだ。文章を読むのは苦手だが音声として摂取するのは得意な私にとっては、神のようなアプリである。私は現在、人生でこんなに読書(聴書とでもいうべき?)をしたことがないくらい、本にハマっている。あらゆる視点が自分に入ってくるのがたまらなく、どこかスリリングで病みつきになる。そんなこと誰も今まで教えてくれなかったよ。もっと早く知れていたら、人生はもっともっと豊かになっていただろうに、と日本の学校教育を少しばかり呪う。さて、私は今そんな渦中なわけだが、ここ10年以上まともに本を読んでいなかったピッカピカの本一年生の私は、右も左も分からないのでとりあえず芥川賞受賞作品を気になったものから聴き倒している。いわゆる純文学というもの。これがとにかく面白い。商業的な臭さをあまり感じず、登場人物の心情なりなんなりがこれでもかと言語化されている。なんて素敵な世界なんだろう。私はギャンブルをやらないので合っているか定かではないが、明らかに脳汁的なものがブシャーっと出ている感覚がする。本もひとつの合法的トビ方なのかもしれない。純文学は型がないからわかりづらいと思う人も一定数存在するらしいのだが、私には非常に合っていて、今更ながらどっぷりと言葉の世界に浸かっているのだ。
ファンタジーなアクション映画がなぜいまいちハマれないのか。私はこのことを少しコンプレックスに思っている。最近親友が「あまり人に言うことではないけど、俺はみんなが好きなものは、自分は好きじゃないと思っている」と打ち明けてくれたことがあった。その言葉にはすごく救われた。そうだよね、好きなものって自分のフィルターを通してしっかり大事にすればいいものだよねと。でもなぜハマれないのかという疑問は残って。それで純文学を聴いているときにふと、ある結論に達した。別に大腕振って書くことではないのだけど。自分には多分、うまく生きていけていないという自覚があって、だからこそ空想を求める人はたくさん居るのだろうけど、私はそこには居場所を求めていなくて。この現実という場所で、みんな大変だけど生きてるよね!と思いたいのだと思う。だって、こんなにただ生きているだけなのに、色々なことが起こるんだよ?もう生きているだけで、ファンタジーでアクションでアドベンチャーでバトルじゃないの。だから、日々の中の大変なことや頑張ったこと、苦しんでいること、美しいものを描いているものを見ると、自分も頑張って生きていこうと思えるし、そう強く思いたいのだ。私というアクション映画の主人公の私。なんて頼りないんだよ。