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場所のこと。
広島市にある縫製工場
当社八橋装院株式会社は昭和34年創業、被服を縫製する会社。前の記事にも書いてるんですが、広島の玄関となる広島駅から公共交通機関で約30分くらいの安佐南区の西原にあります。
縫製でできることを追求し続けて半世紀。国道183号に沿った4階建ての風情ある建物に、ところ狭しとミシンやアイロン台を敷き詰め裁断する人、縫う人検査する人、間接業務を行う人などなど、それぞれの役目を務めながら縫製でできることを日々追求しています。
というわけで、こんにちは。FUKUNARYの田村と申します。さてさて今日は「場所について」を銘打った記事を書いてみようと思っています。
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先代が広島に導かれた理由
広島はもともと手しごとの多くが浸透していた地域。いろんな歴史を辿ると針やらゴムやら鉄やらわりとなんやかんや、手工業や軽工業が盛んに行われていました。そのあたりのことも記事にできたならいいなぁと思います。
というわけで当社が広島を場所とした理由をお話するには、先代の少年期に遡ることとなります。いい感じで伝えれるかなあ。想像力をフル回転させながら文字にしてみたいと思います(笑)
先代である高橋英臣は島根県飯南出身。頑固一徹の大工さんのお父さんから6人兄弟の3男として昭和8年(1933年)に産声をあげました。
若かりし頃に自衛官を志した時期があり、自分の学ぶ道を定めた15歳ごろ高校進学のために広島に来ることとなります。
そんな先代は裕福とはいえない大家族の3男。ということもあり学費や生活費を自分で調達する必要があり「昼間はアルバイト + 夜に学校に行く」という結構なハードスケジュール。
今でこそ奨学金制度がありますが、戦時中に開発されたしくみだそうなので、そのころはまだないわけで。そう考えたら先代の学びはとっても忙しい中でのことだったのかなと思います。
その時の昼間のアルバイトが「木本縫製」という会社。今は存在していない会社ですが、縫製という仕事に出逢ったここで八橋装院誕生のフラグを見つけることができます。
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工場をはじめる
志した自衛官の道。この頃の自衛官は目がよくないと成れないということもあり、志半ばその夢に対する想いは遠のいていきます。その頃から仕事に対しての取組みもアルバイトで終わってたまるものかと、縫製という分野にのめり込んでいきました。
その頃は世界に安定感が備わっていない争いの多い時代。ようやく戦争が終結した第二次世界大戦後の広島は、ご存じのとおり焼け野原が拡がる何もない土地。そんな爆風で屋根が飛んだ瓦礫を片付けた場所に第一工場を作ることとなります。
流行語にカミナリ族(爆音をひびかせてオートバイを飛ばす若者たち)や、がめつい(強欲で抜け目がない)、タフガイ(日活がつくった石原裕次郎のイメージ)などが上がる1959年。先代25~26歳の頃、当社八橋装院を創業し現在の場所で縫製業をスタートしました。
現在存命ではないため、その頃に思っていた詳しい気持ちや、この地域の背景などを伺うことはできませんが、先代が過ごしてきた学生時代の生活基盤を作るところが「縫製」というキーワードが出てくることに、人ひとりの歩みが轍をつくるもんなんだなあと感慨深い気持ちになりました。
広島は軍都とよばれていた
ここでこぼれ話。
広島は明治期から軍都と呼ばれています。呉で戦艦をつくる「造船」で知られる歴史もありますが、広島市内にも軍都としての役割を備えるものがありました。
それは軍服や軍靴をつくる「旧陸軍被服支廠」。広島市南区に残る被爆建物で広島の近代史を体現している唯一無二の場所です。レンガとRC(鉄筋コンクリート)で構成され、見たものを圧倒させるレトロ×モダニズムが共存している歴史的な建物です。
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最近取り壊しが話題になっているので広島人にとっては関心がある建物。昨今ではこの建物の活用について考えていくためのワークショップなども行われています。
ここで縫われていた装備をまとって兵役という仕事を行っていたひいじいちゃん、おじいちゃんの代があって現代にぼくたちが過ごしている。そんな歴史の面にも残る「広島と縫製」というワード。
先代がアルバイトをしていた頃の日常の話題にも「あの先輩はちょっと前まで軍服を丈夫に仕立て上げるお仕事で活躍してらっしゃったんよ。」みたいな会話もあったようで。
その後実際に当社が雇入れした職人さんに、そういう業務に従事していた職人さんがいて、当社のモノづくりのDNAにはこうした国家事業に認められた技術や環境もあったのだろうなと。そう考えると過去の轍に身近なドラマをムネアツな感じになってしまいます。
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西原という地域
そんなこんなで先代が縫製業をはじめて12年。1971年に現在の場所に縫製という生業を根付かせた先代。住所は西原という町名ですがちょっと調べると遡るのは鎌倉時代。
古代の太田川が800年〜700年前の大洪水で古川流路を流れるようになり、西原と東原は川で分断されると、中世の「はらの庄」は今の古川を境にして西側を西原村、東側を東原村と呼ぶようになった。その後大正9年4月1日に両村が合併して「原村」となるまでは長期間西原村、東原村と称していた。なお、原村は昭和18年11月30日に祇園町と4ヵ町村が合併したので消滅した。
地名にそんな由来があるのだな、と初めて知ることも多くて面白い。さらに平安時代の終わり頃は川舟で運ばれてくる年貢米を一時保管する倉敷地があったらしく、このあたりは交通•経済の中心地として繁栄してたみたい。
それがまた原爆で吹っ飛んじゃった後に復興されて今の姿になっていくわけで、こういうふうに歴史を紐解いていくことで新しい発見や感覚を呼び起こすヒントにもなるなあと感じました。
僕がまだ学生時代だったころ(1990年代)は、まだまだ畑や田んぼが多く長閑な地域でしたが、ここ20年くらいでバイク屋や車屋がなぜか多い今の雰囲気の街並みになっていき、現在の工場前の国道は、込み合う時間があって車がビュンビュンと行き交う地域になっています。
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そんな場所から
つらつらと長い話になっちゃいましたが、時代の流れや先代の過ごしてきた軌跡から、広島市のこの場所に当縫製工場があるわけです。
建物の大きさで言えば中型くらいの町工場。4階建てで奥行がけっこうある工場スペースには、ミシンなどの縫製機材の他に、UVプリンターや自動裁断などの新しいテクノロジーが便利な設備も最近になって増えてきました。エネルギー資源見直しと経費削減有効策からソーラーを設置したりも。
そんな会社の中で、従業員数35名くらいの規模で昼夜工夫しながら縫製でできることを行っています。
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たまに本社のガレージや2階の多目的スペースを使ってマルシェや夏祭りなどをしたりして、地元の人たちと楽しい時間を過ごさせてもらっています。
そんな当社の目印は1階の国道沿いに面するFUKUNARY0号店。鮮やかでスポーティな青や黄色のカラーインパクトあるボール生地で作ったバッグたちが、大きなガラス張りのウインドウからご覧いただくことができます。
ぜひお近くにお立ち寄りの折には遊びにいらしてください。その時には「直接この場所から発信し続けているお話し」をさせていただければ幸いです。よろしくお願いいたしますね。
というわけで
よりブランドへ親しみを持って頂けますように。
引き続き更新をお楽しみに!
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広島出身、クリエイティブな活動が好き。FUKUNARYの創生から係わっています。作ることが好きで自宅アトリエにて彫金創作も行っています。その他、縫製、音楽、お絵かき、他には言葉を紡いだり。たくさんの学びを経て、やりたいことを素直に。全ての手仕事に尊敬をこめて。
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FUKUNARY feat. MIKASA
7.場所について。