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【試し読み】H・ローザ(著)出口剛司(監訳)『加速する社会』(訳者解説より)

私たちには時間がない、あふれんばかりに勝ち取っているはずなのにーー
近代の技術革新は、なぜ人々を時間欠乏から解放しないのか? 近代社会のパラドクスに潜む加速の論理を解明し、その起源や個人・集団の生への影響を考察した理論書の待望の邦訳!

 『加速する社会ーー近代における時間構造の変容』が2022年7月4日に発売しました!
 社会学をはじめとする社会科学や人文学の研究者・学生はもちろん、時間管理をしているにもかかわらずいつも時間がない方、息つく暇もなく個人を活動に駆り立てる社会に疑問を感じるすべての方に強くおすすめします。

 ここでは試し読みとして、監訳者の出口剛司先生の「訳者解説」から一部を公開します。
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(本書の詳細はこちら。各種ウェブストアにもアクセスできます)

*本記事は2022年7月4日発売の『加速する社会』から該当部分を転載したものです。また、下記の転載部分中の太字箇所には、書籍では傍点があてられています。

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訳者解説

 本書は、Hartmut Rosa, Beschleunigung: Die Veränderung der Zeitstrukturen in der Moderne, Suhrkamp Verlag, 2005の全訳である。筆者のハルトムート・ローザは、一九六五年、フランス、スイスとの国境に近いドイツ南西部の町レラッハに生まれ、フライブルク大学で修士号、ベルリン・フンボルト大学で博士号を取得、さらにイェーナ大学で教授資格を取得した後、二〇〇五年より同大学の教授職にある。大学での担当分野は、一般社会学および理論社会学であり、文字通り現代を代表する社会理論家の一人である。また二〇一八年には、国際エーリッヒ・フロム協会(Internationale Erich-Fromm-Gesellschaft)よりエーリッヒ・フロム賞を授与されている。
 本書は、ドイツ語の原書で五三七ページに及ぶ本格的な社会学の専門書ではあるが、その議論の射程は狭義の社会学から人文諸学、社会諸科学に至るまできわめて広い。しかし、本書が世界中から注目を集め続けている理由は、その射程の広さだけではない。むしろ、加速というテーマが、多忙な日常を生きる現代人にとって、切実な関心事となっていることに由来している。たとえば、日常生活で以下のような疑問を感じたことのある読者は少なくないだろう。日々の生活のなかで、私たちは真に価値のある事柄よりも、期限の迫った仕事をつねに優先してしまっていないか。その結果、何が本当に大切で優先すべきか、自分のなかでも見えなくなっているのではないか。あるいは、私たちは時間に追われ、多忙な毎日を送っているが、ふと気づくと、自分自身も周囲も、まったく進歩も、変化さえも経験していないのではないだろうか。本書はこうした体験を「時間経験のパラドクス」「超高速静止」という概念で特定し、そのメカニズムを解明していく。それ以外にも本書を読み進めるなかで、以下のような問いに直面する。新しいテクノロジーは、豊かな時間資源をもたらすどころか、逆に私たちを時間逼迫へと追いやるのではないだろうか。効率化を進め、仕事のマルチタスク化を実現すると、さらに高度なテクノロジーを要請せざるをえなくなるのではないだろうか。なぜ、かつて産業や経済の領域で成果を誇った画一的な時間管理(フーコー的な学校や工場での規律訓練)は、いまや時間の無駄と非効率しか生み出さないのだろうか。政治的立場を判断するための言葉は、なぜ革新と保守という時間の流れに関係しているのだろうか。現在、規制緩和と技術革新に熱心なのは保守であり、革新=リベラル派ほど規制導入を支持し、テクノロジーに懐疑的なのはどうしてだろうか。こうした疑念や疑問に対し、加速理論は正面から取り組んでいる。
 以下の訳者解説は、そうした数々の問いを念頭に置きながら、長大な本書を読み進めるための見取図を読者に提供することを目指している。まず本書の冒頭部分(第Ⅰ部第1章)と結論部分(第Ⅳ部第13章および第14章)を手掛かりに加速理論の特徴を解説し、著者ローザが「時間」という主題に込めた意味と真のねらいを明らかする。続いて、加速理論を構成する主要な概念群とその布置連関を順次本書の構成(第2章から第12章まで)に従って紹介し、本書の骨格を示していく。そして最後に、近年日本の現代思想でも注目を集めている「加速主義」との関係について簡単な整理を行う。
 本書の特徴を表す重要なキーワードを三つ挙げておこう。「時代診断」としての社会学、「後期近代」という同時代認識、「批判理論」としての加速理論の三つである。
 元来、「時代診断(Zeitdiagnose)」はドイツの亡命社会学者カール・マンハイム(一八九三〜一九四七)に由来している。マンハイムは、時代診断において、断片化し流動化した社会を固定的な対象として捉えるのではなく、諸部分が刻々と変化を遂げる動的全体性として把握しようとした。本書はマンハイムにちなんで、変化し続ける現代社会の全貌を「加速する社会」として描き出す社会学的時代診断の学(soziologische Zeitdiagnostik)と呼ぶにふさわしい。しかし今日、複雑で不透明な現代社会の「全体」を捉えることなど、はたして可能であろうか。今日の社会学者は、社会の全体性を語ることを断念する一方、社会の「部分」を研究対象として切り取り、そこで自らの専門性を担保している。本書は、こうした全体性を捉えることへの懐疑や諦念に対し、時間の診断によって応答しようとする(第Ⅰ部第1章)。ではなぜ、時間なのか。全体社会であれ、社会の部分システムであれ、また個人であれ、歴史の流れであれ、時代の「時間構造(Zeitstruktur)」から自由なものは何一つないからである。たとえば一例として、全体性の認識を困難にする社会の断片化それ自体は、加速理論によってどのように説明されるのだろうか。ローザは脱同期という時間論的な観点から解答を与える。すなわち、加速の力学がもたらす「空間・時間秩序(Raum-Zeit-Regime)」の歪みによって、統一的で抽象的、直線的な時間構造が解体し、社会の各部分がその「固有時間(Eigenzeit)」に従って作動しはじめる。その結果、各部分システム間の脱同期が進展し、社会の「脱統合(deintegration)」が起こる。こうして、全体社会の断片化、不透明化が進展するのである。さらに本書の魅力は、理論的な脱同期メカニズムにとどまらず、家族的結合の弱体化、雇用関係の流動化、アイデンティティの状況化など、部分システムのリアルな動態が、全体社会の時間構造の変容と密接に関連づけられながら詳細に記述されていく点にある。加速理論は、社会にあまねく存在する「時間(Zeit)」の分析を通して「時代(Zeit)」を診断しようとする、現代における「時代=時間診断(Zeit-Diagnose)」の試みなのである。
 続いて、第二の特徴である「後期近代(Spätmoderne)」という時代認識について解説しよう。その前に確認しておかねばならないのは、本書が私たちの予想に反し、「時間社会学」あるいは「加速の社会学」という新しい社会学の立ち上げを目指しているわけではない、ということである。社会学には同じくマンハイムに由来する連字符社会学(Bindestrich-Soziologie)という言葉がある。連字符社会学とは、家族社会学、地域社会学、産業社会学、労働社会学、文化社会学、歴史社会学、音楽社会学、芸術社会学、スポーツ社会学、国際社会学のように、個別の領域もしくは現象を新たに「冠」として掲げ、そうした領域や現象を社会学の理論と方法によって分析しようとするものである。そして現代における研究も、こうしたいずれかの「冠」の下に自らを位置づけるのが一般的である。それに対して、ローザは連字符=領域社会学から一定の距離を置き、「近代社会」の特徴をトータルに把握しようとする。そもそも専門科学としての社会学は、一九世紀末から二〇世紀初頭にかけて「近代社会の自己認識」として成立したという経緯がある。加速理論も「近代化(Modernisierung)」という社会変動、それによって誕生した「近代性(Moderne)」あるいは「近代という新しい時代(Neuzeit)」の時間=社会構造を領域横断的に分析する理論として構想されている。こうしたことから、ローザは本書において、第一の問題系としての自然支配・ドメスティケーション(マルクス)、第二の問題系としての合理化(ヴェーバー)および機能分化(デュルケーム=システム理論)、第三の問題系としての個人化(ジンメル)という古典社会学に由来するテーマ群をそのまま、技術、(文化的、構造的)社会変動、生活(アイデンティティ)領域における加速(理論)の構成契機として取り込んでいる(第Ⅰ部第2章)。そうした意味において、加速理論は強い社会学理論の復権と位置づけることができよう。
 ただし、本書が近代や後期近代という古典社会学的な時代区分を継承する背景には、もう一つ別の理由がある。ここで、二〇〇五年という本書が刊行された二〇〇〇年代初め(構想されたのはおそらく一九九〇年代後半)の時代状況を思い起こしておこう。一九八九年のベルリンの壁の崩壊に始まる旧ソ連邦、共産主義国家の瓦解(東欧革命)を経て、一時期は自由主義を謳歌する「歴史の終焉」言説がもてはやされた。しかし一九九〇年に湾岸戦争、二〇〇一年に同時多発テロ、それを受けて二〇〇三年にはイラク戦争が勃発する。二〇〇〇年代前半という時代は冷戦が終焉する一方、新たな混迷の時代の幕開けでもあった。こうした時代背景のなかで「今」という時代をどのように規定するかは、二〇二〇年代の現在よりもはるかに重要な意味をもっていた。むろん、執筆当初の時代状況と現在の状況との差異をローザ自身も認識しており、そのことは重厚な日本語版への序文に明記されている。とはいえ、一九七〇年代以降の社会学においては、同時代を規定する二つの立場が存在してきた。近代との「断絶」を強調するリオタール以来のポストモダン派と、近代との「連続」を重視するギデンズ、ベックら第二の近代派(再帰的近代派)である。そのなかで、ローザは「後期近代」というドイツ社会学では馴染みのある表現を使用し、「今」という時代を近代との「断絶」と「連続」の双方において捉えようとしている。本書のテーゼに従えば、後期近代としての現代は、加速プロセスが継続するという点では近代と「連続」し、しかしその加速が臨界点を超えて、近代的な社会制度を解体する意図せぬ結果を引き起こしている点において、古典的近代から「断絶」した後期近代と規定されるのである(第Ⅳ部第9章および第13章)。
 本書の第三の理論的特徴は、フランクフルト学派の批判理論との関係である。もう一つの大著『共鳴する世界―世界関係の社会学』(Resonanz: Eine Soziologie der Weltbeziehung, Suhrkamp Verlag, 2016)とは異なり、ローザが批判理論に積極的に言及するのは、わずかに第Ⅳ部第13章の末尾と最終章(第Ⅳ部第14章)のみである。とはいえ、近代社会を特徴づける加速プロセスが臨界点に達し、加速を可能にしてきた近代の諸制度そのものを侵食するというローザの時代診断が、合理化を推し進める啓蒙がやがて合理性や啓蒙そのものを掘り崩すとする『啓蒙の弁証法』の論理にきわめて類似していることは容易に理解できよう。加えてさらに、ローザの次なる大著『共鳴する世界』を見据えると、そこに批判理論の別の地下水脈を発見することができる。
 ローザは、第三世代の批判理論家、アクセル・ホネットに従って批判理論の特徴(ホネットはそれをヘーゲル左派の遺産と呼ぶ)を、第一に現実を批判し社会病理を診断する批判や診断の規準(規範的基準)もまた、現実そのものに見出されなければならない、第二に批判理論は人々の苦悩のなかにさまざまな社会病理を見出し、そこを批判の立脚点にせねばならないという二点に求めている。しかし、その際の理論と社会の接点として歴代の批判理論が注目してきた生産関係(批判理論の出発点)、了解関係(ハーバーマス)、承認関係(ホネット)の有効性に対して、ローザ自身は懐疑的である。それに代わって、時間関係こそ現代における時代診断において、特権的な重要性をもつと主張している。なぜなら、西洋近代のリベラルな社会は、個人化とほぼ制約のない自由や自律を理想として掲げる一方、現実社会は背後から人々に対してシステムへの適応を要求しているが、こうしたジレンマのなかで、適応への強制力を発揮するのが、時間の規範的暴力だからである。独裁的、権威主義的体制でないリベラルな社会においては、時間構造が人々を強制する暴力性を帯びる。そこにこそ時間の批判理論が要請される。その際、必要かつ不可欠な作業となるのが、時間の構造的強制力がいかに人々の日々の実践や行為を方向づけていくかを解明する「加速の批判理論」なのである(第Ⅳ部第14章)。
 加速理論の特徴は、自然との融和(アドルノとホルクハイマー)、理想的発話状況(ハーバーマス)、承認の三つの基本形態(ホネット)といった、不十分な形であれ、批判の契機として現実のなかにすでに潜勢力=可能性として内在しているとみなした「あるべき状態」を過度に前面化するのではなく、あくまで「自由」と「時間的強制」の間の現実的な矛盾に定位し、時間構造を通して強制力が行使されるメカニズムを経験的に解明することに自らの課題を限定した点にある。とはいえ、価値ある「よき生(gutes Leben)」が、加速社会のなかでどのようにして「満たされた生(erfülltes Leben)」「うまくいった=成功した生(gelingendes Leben)」へと矮小化されるのか、こうした社会学的=倫理学的な問いに直面したとき、世界関係の社会学(Soziologie der Weltbeziehung)という次なる構想がローザのなかに生じたことは間違いない。こうした経緯も、日本語版への序文で明らかにされている。そしてここにおいて、ローザの社会理論は、批判理論のもう一つの地下水脈というべき―批判(Kritik)とは異なる―倫理(Ethik)の潮流、すなわちフロムの生の技法(art of living)、アドルノのミニマ・モラリア(Minima Moralia)、そしてホネットのよき生(gutes Leben)の探求と再び出会うのである。またこうしたローザの志向性が、彼をエーリッヒ・フロム賞の受賞へと導いたことも想像に難くない。だが残念ながら、ローザの試みがステレオタイプ化された疎外論や近代的ヒューマニズムをどのように刷新したのかという魅力的なテーマについては、稿を改めざるをえない。

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出口剛司(でぐち・たけし)
1969年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。一橋大学社会学部卒、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。理論社会学、社会学史。主な著作に、“Critical Theory and its Development in Post-War Japanese Sociology”(Elliott, A., Katagiri, M. and Sawai, A. (Eds.), Routledge Companion to Contemporary Japanese Social Theory, New York: Routledge, 2012)、“Erich Fromm and Critical Theory in Post-War Japanese Social Theory”(Funk, R. and McLaughlin, N.(Eds.), Towards a Human Science: The Relevance of Erich Fromm for Today, Gießen: Psychosozial-Verlag, 2015)、“Sociology of Japanese Literature after the Great East Japan Earthquake”(Elliott, A. and Hsu, E. L. (Eds.), The Consequences of Global Disasters. New York: Routledge, 2016)、“Post-Truth Politics as a Pathology of Normalcy”(Fromm Forum 23, 2019)、『作田啓一vs.見田宗介』(共著、弘文堂、2016年)、『社会の解読力〈文化編〉――生成する文化からの反照』(共編著、新曜社、2022年)、アクセル・ホネット『私たちのなかの私――承認論研究』(共訳、法政大学出版局、2017年)、同『理性の病理――批判理論の歴史と現在』(共訳、法政大学出版局、2019年)など。
Twitter:@Fromm_Deguchi



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