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今を生きる人達へ。

noteを開いていただきありがとうございます、
福村です。


2020年5月23日、木村花さんの訃報を目にしました。



言葉の暴力の大きさは計り知れない。

芸能人になる以上、スポーツ選手になる以上、テレビに映る以上、海外に住む以上、

何故たたかれる覚悟を持たなきゃいけなんだろう?

何故戦わなきゃいけないんだろうか?

そもそも何故、最初から戦うフィールドがある前提で話されているのか?



どれだけ有名であろうが、著名であろうが、普通の会社員であろうが、子どもであろうが、関係ないですよ。一人の人間です。どの国籍であろうが、どの立場にいようが、言葉の暴力に対して本当なら戦う場所も戦う必要もない。なのに何故、有名になるからといって、言葉の暴力を受ける覚悟が必要なんですかね。



言葉はナイフになる。

ナイフを投げる側はそれだけでいいんですよ。

でもね、ナイフを受け取る側は無防備な心でそのナイフを受け取らなきゃいけない。そして、一生受け取ったナイフと決して消えない傷と生きていかなきゃいけなんですよ。

そしてその傷を、見られないように隠したい人もいる。さらけ出して進める人もいる。けれど生きていくうえで、傷跡は一生消えないのは同じなんです。

それを心の強さだけで測るのは違う。

何が正解で何が間違いかなんて人の数だけ価値観がある世界では通用しないかもしれないし、それだけじゃないのも分かってるけれど、ナイフを投げることも間違ってますよ。



もちろん、誰だってナイフを持つことはあると思う。

きっと自分も言葉のナイフは持ってるだろうし、いくらでも作り出すことはできますよ。

でも、投げちゃいけないよね。

投げて与えてしまう傷なんて、何も良いことは無い。



外見はいくらでも守れるけれど、心の盾はきっと一人では強く張れないと思う。だからこそ、こういう時に言葉でそっと寄り添えるような人間になることが大切なんじゃないの?何故それを暴力に使ってしまうの。


「傷つけられて、人は強くなる。」という言葉があるけれど、それすらもない世界があればいいのにと思ってしまう。

綺麗事かもしれないし、実際今の世界ですぐにそうすることは難しいのも分かってる。


インターネットやSNSはこれからもっと発達する。だからこそ、今のインターネットやSNSの在り方や使い方、言葉の使い方を見直さなきゃいけないし、勉強していかなきゃいけない。

今の子供たちには学校で勉強する必要だってあると思うし、これは年齢関係なく考えなければいけないことだと思う。

誹謗中傷する人たちを誹謗中傷するのも違う。

今の世界にはインターネットやSNSを通して、言葉のナイフを可視化することが簡単にできてしまう。便利になっていくことがこんな風に悪意に満ちている世の中であってほしくない。




何世紀も後に生まれてくる未来の子供たちのために、今を生きている人達が少しづつ変えていかなきゃいけない。

そして、今を生きている人の中で、傷ついた人や戦っている人を助けなきゃいけないし、言葉のナイフを投げない世の中にしていかなきゃいけない。


それができるのは、今を生きている人達だけ。


言葉はもっと大切に使ってほしい。

自分の大切な人たちを幸せにしたり感動させたりするように使ってほしい。助けを求めている人がいたら、温かい言葉を渡してあげてほしい。知らない人にも思いやりが詰まった言葉を送ってほしい。自分自身が持っている言葉をもっと大切に大事に丁寧に使ってほしい。



何故、この世界に言葉があるのかを考えてください。

歴史的に見たら残酷なこともあるかもしれないけれど、そうやって自分たち人間も、使う言葉も、伝え方も、時代の流れとともにたくさん変化してきている。



だったらもう、言葉は幸せを生むために使いましょうよ。

そうやって言葉を使う世の中に変えていきましょうよ。



改めて言葉の使い方を深く考えなきゃいけないと思った。自分は言葉のナイフを投げません。そうじゃなくて沢山の幸せを届けたいし、傷ついている人がいるならそっと寄り添えるような人でありたい。そして、温かい言葉を送りたい。戦っている人がいるなら、その人の心の盾になれるような人でいたい。


そうやって優しさや思いやりが伝達していく世の中になることを本気で願っています。



変えていけるのは、今を生きている人だけ。




最後に、

木村花さん
心よりご冥福をお祈りいたします。




それでは。

#38  福村 香奈絵/KANAE FUKUMURA


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