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ビオン『ブラジル講義』周辺1
ビオン『ブラジル講義1973』
1968年1月のカリフォルニア移住以後、ビオンは何度か南米に招待されてセミナーを開き、スーパーヴィジョンを行なった。その経緯は、フランチェスカ・ビオン「私たちの人生の日々」で確認することができる(全集第15巻『未刊行著作集』邦訳86-91ページ参照)。
近日刊行予定なのは、全集7巻所収の『ブラジル講義』である。全集に収録されても、新たに手を加える編集は最小限で、他の巻にあるクリスによる解題もない。明らかに新しいのは、冒頭にある手書き原稿の写真である。しかし、その本文は、電子化された全集で検索を掛けても、該当箇所は不明である。版元に確認したが、メモの断片なのか手紙の一部なのかも不明で、ビオンの直筆である以上のことは分からないと言う。クリスが存命のうちに尋ねるべきだったが、それはもはや叶わない。他の手掛かりはないだろうか。
ブラジルで出版された初版には、彼の地での編者の序論が付いていた。それは以後のどの版でも採録されていないようなので、ここに復元しておく。
ビオン博士のセミナーへのささやかな序文
これらのセミナーはブラジルのサンパウロで催され、W.R.ビオン博士自身によって改訂された。それは、人間の心の最も隠されて偽装された現れについて研究し調査してきた、長い経験と幅広い関心の結果である。
ビオン博士の方法は、彼が最初に挑発的と見做す話題を扱い、その後すぐに提起された質問に答えようとするように進んだが、それは彼の精神分析に対する誠実で偏見のない献身と、質問者の意見や確信、疑念あるいは誤解にさえ対する彼の大きな敬意を証言している。
ここに集められた資料の全体は、その根底にある増大していく連なりや、吟味されたさまざまな話題の見かけ上の変動の中にある統一性を示し、また、もたらされたあらゆる連想を貫く、相互に関連し合う発展の現実の連鎖を示しているように思われる。
長年にわたってビオン博士の仕事に関心を持ち、『再考』が登場する前に彼の論文をすべて読んだ人たちは、彼の仕事の仕方にある程度の考えを抱いてきた。私たちは、「思考作用の理論」が非常に強力で新しいものを提唱したと考えている。この論文は新しい水準の理解を示しており、私たちはそれを、以下の3つの主要な側面が強調されている、と要約するかもしれない。
第一に提供される仮説は、「思考作用は思考の圧力によって精神に強いられた発達であって、その逆ではない」というものだった。ビオン博士は「註釈」の中で付け加えて、「さらに探究するために」「思考は思考者なしに存在する」という考えを定式化したと言っている。
第二点は、自己についての期待に関わる。「前概念作用の装置は、乳児の生存に適した状況の狭い範囲にある現実化に適している」。したがって、「生存に影響する一つの状況は、乳児自身のパーソナリティである」。
第三点は、二つ目の続きである。ビオン博士は、メラニー・クラインが「過剰な」投影同一化について語るとき、「過剰な」という用語を投影同一化が用いられる頻度ばかりでなく、万能性への確信の過剰にも当てはまると理解すべきだと考えている。それから「母-赤ん坊」モデルが続き、彼はそれについて何度も語っている。私たちはそれを、〈赤ん坊〉⇔〈母親〉と表現したい。
もう一つの印象的な点は、ビオン博士が精神分析の実践で行なっていると私たちが「感じる」仕方である。彼は、分析者と被分析者のどちらもがセッションの中で、現実の不安を感じるべきだと考えている。思っていることのやり取りでは、被分析者は、自分に解釈として示唆されたことに同意するかどうか述べることを、許容されているべきである。ビオン博士は、分析者が結論に飛びついて自分の解釈を与える前に、被分析者の発言に耳を傾けられなければならないと考えている。分析者は自分の無知や疑念に耐えることや、疑問を答えられないままにしておくことさえできなければならない。
ビオン博士が強調しているのは、被分析者から伝えられる或る事実あるいは諸事実のまだ知られていない意味について、精神分析者が無知であることを深く認めることの必要性である。それは不可欠な証拠が出てくる瞬間までそうだが、この強調は、少なくともこれまでは極めて異例だった。付言するべきなのは、彼のこの強調は私たちが知る限り現在の精神分析の実践において、十分に留意され究明されていないことである。しかし、もしも分析者が完全に適切な解釈に達することを目指すのであれば、それが便利であって望ましいことだろう。
しかし、彼は自分が精神分析に独創的な貢献をしたと思うかと問われて、こう答えた。「私は一つも知りません。実際、私は何度も何度も言ってきましたが、あなた方が私の著作を読んでも、あなた方がそこに描かれている経験を完全に熟知していることに気づくときにしか、それを理解できないでしょう」。 そしてこう続けた。「コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』には、これのかなり面白い例があります。ホームズがある推理をすると、ワトソンがこう言います、『ああ、その通り、なんて簡単なことだ!』。シャーロック・ホームズは言います、「これの最悪は、僕が推理をしてすべてを明らかにすると、そこには何もないと皆が思ってしまうことだ」。 そして実際、分析者の運命は、自分の存在を不要なものにすることです。ある意味でこれは、親たちの運命とも言えます。あなた方が子供をきちんと育てたら、子供は親たちを必要としなくなります」。
要は、最も重要な問題・困難・誤解、精神分析者の面接室での日常業務で直面され生きられているよく起きやすい状況、分析者の目の前に示される、頻繁で説得力があり、一見簡単だが逆説的な患者の行動の表現、これらすべてが、啓発的実践的で有益かつ直接的な仕方で、ここに描かれ論じられている。
「思考は思考作用より前に来る」のだろうか。彼の以前の著作からのこの引用を受けて、ビオン博士はこう言った。「ああ!思考は思考者なしに存在します。そしてそれはまさに理論的言明の一種で、それについてはなにも言うことができません。なぜなら、誰も思考者のいない思考について、何も知らないからです。しかし、そう言えることは役に立ちます」。
ビオン博士が使う言語、彼が聴衆の中に掻き立てる疑念や思考、彼の鋭い問いかけに続いて起こる沈黙・躊躇・不安、彼の言葉が引き起こす生産的な思考作用と驚きの量は、比較的少ないページ数のこの豊かな小著の中に、簡単に手に入り、辿って観察することができる。
凝縮はされているが、この臨床的・理論的・技法的な精神分析的素材の大半と、ここで提示されている人間的な知恵は、それを読む特権を行使する実践している精神分析者にとって疑いなく実り多い経験となる。
ロサ・ベアトリス・ポンテス・デ・ミランダ*
ゼネイラ・アランハパウロ・ディアス・コレーア**'
パウロ・マルション**
ジェイミー・サロマオ**
*リオデジャネイロ・ブラジル精神分析協会会員。
**リオデジャネイロ・ブラジル精神分析協会準会員。
この序文からは、参加者たちが事前にビオンの著作を読み込んでおこうとしていたことが窺われる。実際、講演と同じ年に直ちに出版するには、事前に相当な用意を要したことだろう。ただ、編集の際の省略の多さは『ロサンゼルス・セミナー』と比較すれば、歴然としている。ビオンの言葉が最優先なのはいいとして、会合がどのような体裁で行なわれ進行したのか、司会者はいない方が変だが、登場しない。ビオンの言葉にしても、切り詰め過ぎではないかと思われる。
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それで、実際の経験はどのようなものだったのだろうか。「ビオン博士が使う言語、彼が聴衆の中に掻き立てる疑念や思考、彼の鋭い問いかけに続いて起こる沈黙・躊躇・不安、彼の言葉が引き起こす生産的な思考作用と驚きの量・・」とあるが、「躊躇」は確実で、「生産的な思考作用」が見えるようになるのは、40年以上後のことのようである。https://www.routledge.com/The-Clinical-Thinking-of-W-R-Bion-in-Brazil-Supervisions-and-Commentaries/Levine-deMattosBrito-JunqueiradeMattos/p/book/9781032553467?srsltid=AfmBOor-G6C13jvym0vMXBrQXh25eRtlC6PEOrBoQHfAZaZD_OqQFx-R
倍の分量である第2巻1974年分の序文は、参加者たちの困惑をもっと率直に記録している。
ビオン『ブラジル講義1974』へのブラジル版序文
私たちがビオン博士を招いて我が国でセミナーを開催したとき、私たちの意図は、私たちの幾つかの精神分析協会とその会員、そしてこれから会員になろうとする人たちに、この一流の分析者という特異で無比の人物に会う機会を与えることだった。実際、ビオン博士を特異で無比の人物と呼ぶことは、彼を正当に扱っていない。私たちは皆、特異で無比の存在である。私たちのような者は、かつて居たこともこれから居ることもないし、他の「自己」もそうである。これは自明の理truismのように聞こえるが、この場、ビオンの『ブラジル講義2』のこの版の序言は、自明の理を説くところではない。しかし、これは自明の理のように聞こえるし、多くの人がこの事実をこのように使うことができ、私たちはこれを「レッテル貼り言語」や「決まり文句」と名づけらるけれども、真であるtrueことは、ビオン博士が全ての分析者たちに、そのような言語的誤謬の危険性を警告したことである。
読者はこのテクストを読み進めることで――再び/初めて――元の講義の衝撃を経験するだろう。いずれにせよ、読者はビオン博士の言葉が引き起こすと知られている不安に、直面せざるをえないだろう。彼の思考をよく知らない人や彼を読んだことのない人――そのような人がまだいるとすれば――には、私たちは、ビオン博士の答えは安易で予想されるものではなく、長く深い情動的な関与の産物であり、高度に発達した精神分析的直観の結果であると忠告する。
私たちは、この優れた精神分析者の考えや理論を説明するつもりはない。他のもっとそうする資格のある人たちが、既にそうしている。さらに、「説明」するだけでは不十分だろう。彼が伝える経験は、役に立つためには「生きられる」必要がある。だからといって、それが誰の臨床にも転用できたり、しなければなかったりということではない。また、これらの講義はただ読んでしまっておくだけのものでもない。それらが蓄積された知識を豊かにすることはないだろう。それらは挑発的であり、そうであろうとしており、人に考えることを強いる。
講演が行なわれた時、役に立つラベルのコレクションが増えなかったので落胆した人たちもいれば、無事に手に入れていたと思っていた、永遠の真実を失ったことに、落胆した人たちもいた。他方、多くの人たちは高揚した――そして自分たちに分け与えられたものの価値と意義を認識して家路についた。
その証拠は、第10セミナーを読み、そして読み直し、提示された素材へのビオン博士の批判が、公衆に与えた影響を思い起こせば十分である。
彼はコメントの冒頭で、その提示された患者が分析者を訪ねた理由として考えられることについて、矢継ぎ早に質問した。そして皆を仰天させたことに、自分ならその患者を断っていただろうと言った。「失礼ですが」と彼なら言ったことだろう。「私にはしないといけないことがあります。本当に何かを話したくなったら、また来てください」。
それからビオン博士は、対象者の完全かつ真実の同意と積極的な協力が、分析の成功のためには重要であることを説き、分析過程の一部として患者自身に属する責任を患者が負わないまま分析を始めることの危険について述べた。時には家族の明確な同意を得ることが必要な場合もある――例えば、境界例や精神病性パーソナリティの場合である。
彼は討論されている症例に関して、有効な治療がそもそもあるのかどうかについて、深刻な疑いを表明した。その結果、司会者、分析者、聴衆は白熱した議論に参加した。ビオン博士によれば、初回面接に一人で来て『来られません』とか『話すことがありません』と言う患者を、そのまま帰してはならない。患者は自分が来ていることと、分析されたい欲望を表したことに対して、「最低限の正当な理由」を述べることを求められるだろう。
彼はどの理由を、優れていて十分だと考えたのだろうか。ビオン博士は、自分には分からないとだけ告白した。彼は、そのような状況では、多くのことが欠けていることのみ分かっていた。その上、彼は『患者』を見られないでいた。彼は『人』、『個人』しか見なかった。これらの発言やそれに続いた他の発言は、大きな動揺を引き起こした。例えば、ビオン博士は、条件は千差万別なので、それらを列挙することは到底できないと言った。ビオン博士が言えるのは、状況がまだ完全には発展していないか、あるいは成熟した段階に達していて、患者がそのように認識されて治療に受け入れられるべきであるかだけである。
彼の答えはすべて啓蒙的ではあったが、混乱させる共通項があった――深い現実的な感覚としての未知であり無知である。これは、皆を大きな不安に直面させた――同じものが、人間の発達の起源となった。それは、人間が外界そして制御不能な未知のものからの脅威に苛まれた彼の内的世界の謎を探究し解決しようとするときである。さて、こうした不安は聴衆の中で、一筋の光線として炸裂すると、精神的な苦痛状態の中で、出口を探し、適切な説明あるいはとにかく何らかの説明を求めて沸き返った。そしてビオン博士は、物事の計り知れ難さや心の限界を主張した・・・
すると幕間となり、そこで解放された。同じことは、分析の間でもよく起こる。時間が終わると分析的カップルは去り、間によって分析の時間に属していた不安の加工が可能となる。第10セミナーの第2ラウンドでは不安の解放があり、理解できるようになったのは、ビオン博士は多くの空虚なレッテルを求められたままに簡単に与えることができただろうが、彼自身および参加者全員を、診断や予後のための1つまたは多くの基準の錯覚と嘘を伴う言葉の虚しさに、出会わせていなかったことである。彼はただ、そうしたくなかったのだ。彼は、偽の会合についての錯覚を剥き出しにしようとしていた。なぜなら、面談の目的は病気を治療することではなく、病人を治療することだからである。そこには2つの要素がある。一人は、自分自身をある程度理解することができるように見える人、もう一人は、隣人にとっても当人にとっても謎の人である。
後に、誰かがビオン博士に、或る人物を詳しく説明して、その人を患者として受け入れるかどうか尋ねると、ビオン博士は分析が可能だと思うと答えた。
精神分析を教えることの難しさは、この点にあるように思われる。それは、自分が分析されることと誰かを分析することを自ら経験しなければ、理解されえない。フロイトはこうしたことについて述べている。理解と訓練は必要だが、分析の実践は教育を超越する、と。それは私たちには、直喩のようである。音楽について知り尽くしても、それを実践してその魔法を創造し、再創造するには十分ではないのである。
その記念すべき機会の終わりに、会場にいた誰もが、ビオン博士のぶれない頑固な勇気を感じた。彼は講義を、軽い調子で終えた。彼は聴衆に、彼のような患者を持つとはどういうことなのかを考えさせることには少なくとも成功したのだ。それは、メラニー・クラインの成功の秘密でさえあるのかもしれない。彼はこう打ち明けた、彼女は彼と5年も患者として会ったのだ、聴衆の皆は幸運だ、たった10日間だったのだから、と。そしてこう締めくくった。「もしあなた方が、あらゆる点で理想的な患者だと思われる患者を持つことになり、その人が本当は私のような人物だと分かった、と想像してください。そう考えるだけで、あなた方は多くの面倒なことを免れるでしょう。最低限の条件という問いは極めて重要であり、常に細心の注意を払って検討されるべきです」。
私たちは、ビオン博士の『ブラジル講義』のこの結論が、この人物の――この唯一無二の人物の――大きさを示していると信じる。 彼は人間として、分析者として、創造的思考者として偉大である。
マリオ・パチェコ・デ・アルメルダ・プラド*
ジョアン・コルテス・デ・バロス*
ルイズ・ウェルネック*
*リオデジャネイロ・ブラジル精神分析協会会員。
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最後にあったらしいやり取りは、最初の版にも含まれていない。同じく、さまざまなジョークや皮肉は、削がれてしまった可能性がある。ブラジルでの会合自体がphonyになってしまったところがあるのは、あまりにもビオンを仰ぎ見て、真似しようとして自分の姿を忘れてしまったからかもしれない。
それでは、全集版からのプレゼントを見てみよう。
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subsequent history. (家紋) The only part of the story which I have here briefly recounted of which I can be reasonably certain is that part of it which passed in the course of the psycho-analytic sessions and was therefore for open to my direct inspection. The remainder depends on his overt statements which were made only rarely and were suspect because they were made by such a disturbed man. I must leave on side my reasons for thinking them worthy of credence: my reasons for citing this example is that I had a record of an early thought about the "cure" of this patient and could compare it with the impression gained at the latter stages.
The "facts" I have recounted would fit in quite well with with the ideas which would form part of the conjunction bound by the title "cure" as originally conceived by me. They
「治癒」あるいは「治療法」の話題は、『ブラジル講義』にも登場する。ただ、正確に対応する箇所は見当たらない。それならば、なぜこの巻にのみ、こうした原稿の写真を付けたのだろうか。
このメモは、9枚目のようである。では、1枚目から8枚目までには何が書かれ、10枚目以降は?それもまた、今では知る人がいなくなっている。