精神分析と芸術――フロイトの『グラディーヴァ』論周辺とその後の展開
フロイト「イエンゼンの小説『グラディーヴァ』にみられる妄想と夢」(SE Ⅸ, 1-95; 全9、1-107)Delusions and Dreams in Jensen’s “Gradiva”(1907a)
Makari, G. (2008) Vienna. In Revolution in Mind. The Creation of
Psychoanalysis. Harper, Ch4, New York.ジョージ・マカーリ『心の革命 精神分析の創造』第四章 ウィーン、pp182-250、みすず書房、2020.
Abella, A. (2016). Psychoanalysis and the Arts: The Slippery Ground of
Applied Analysis. Psychoanal. Q., 85(1):89-119
イエンゼンの小説は、ありとあらゆるエンターテインメントが流布している現在、もっと親近感の湧く設定で精妙なものを目にするし、女性主役のツォーエがなぜハーノルトにここまで好意的なのかが分からないので、作品への好感を保つのも限界がある。以下、小説の内容よりも、これを取り上げたフロイトの経緯とその後の展開についてのメモ。
フロイトは、この小説についてユングから教わったとされることが多いが、それは書簡で確認される1907年5月24日のことで、既に1903年にシュテーケルは原著者に、あなたはフロイトの『夢解釈』を読んだことがあるのではないか?と質問している(Zvi Lothane, 2010)。ウィーン精神分析協会の前身である「心理学水曜会」は、シュテーケルの提案で1902年から始まっており、この小説についてはそこでフロイトに伝えられていたに違いない。それがユング由来となったのは、ジョウンズの伝記のせいだとされているが、シュテーケルへの信頼がなかったのかもしれない。シュテーケル・・
そしてジョウンズの伝記(1953)は、イエンゼンを同姓同名の人物と混同している。ジョウンズ・・
フロイト「イエンゼンの小説『グラディーヴァ』にみられる妄想と夢」は、『夢解釈』(1900)と『性理論のための三篇』 (1905)以降の幾つかの流れの中にある論考である。彼はその前後に、何を書いているだろうか。他にも多々あるが、明らかに関連性があるのは:
・『機知』 (1905)
・「W.イェンゼン著『グラディーヴァ』における妄想と夢」 (1907 [1906])
・「詩人と空想」 (1908 [1907])
・「ヒステリー性空想,ならびに両性性に対するその関係」 (1908)
・「性格と肛門性愛」 (1908)
・「家族ロマン」 (1909 [1908])
・「心的生起の二原理に関する定式」 (1911)
・「症例『シュレーバー』」(1911)
このようにこの時期は、リビドーと空想の展開が論じられているさなかにあり、1911年には空想あるいは白昼夢は一旦、派生物に位置づけられる。しかし系統発生論への関心が高まると、「原空想」という考えが新たに導入され、第二次世界大戦中の「大論争」での概念的な混乱の元となった。
それとはまた別に、フロイトはここでヒステリー性空想とパラノイア性空想を区別しつつも、前者に「妄想」という表現を用いたことが、本論文が精神病論やその治療論であるかのような取り違いの元になった。だが性愛が基本軸なので、精神病的な世界の解体は生じず、ポンペイは往時のまま埋もれている。それは「抑圧された愛を解放する試み」(岩波版、p101)である。
考察対象の小説は副題が「或るポンペイの空想小説ein pompejanische Phantasiestück」で、2000年前の女性が目の前に?というミステリー風味のファンタジー小説であり、迷い込み彷徨っている世界から戻って来る御伽噺と同じ構造をしている。フロイトが「夢と妄想は同一の源泉に〔・・・〕由来しており、夢とは正常な人間のいわば生理学的妄想なのである」と書くとき、精神医学での「妄想」の意味は失われる。フロイトがそうしたいのは、「夢と妄想」が「同一の源泉」に由来する、つまり今〔・・・〕と省略した個所である、「抑圧されたもの」に由来する、とこの時点では考えているからである。その修正は、症例「シュレーバー」で現実の脱備給を説いたところで、根本的な相違への着目として始まっている。
出版後の1907年12月21日の水曜会で、フロイトは再び『グラディーヴァ』をこう論じたという。
「グラディーヴァは典型的な主題の見事な例である。ユングが注目を促した二つの短編小説は・・・愛し合う近親者を扱っている。従姉妹や異母妹である。すると事柄全体の基礎は、イエンゼンと幼い遊び友だちの関係であり、それはおそらく妹である・・・・作者は、結果として満たされない願望を残す強い印象を受けた(おそらくこの連れ合いの喪失)。そして妹を思い出させる浮き彫り像の姿は、突然この願望を再び目覚めさせた。彼はこの経験に、様々な仕方で反応した。この3つの短編小説は、3つの定式によって置き換えられる。(1)『私はもう誰も愛することができない、彼女を失ったので』(おそらく彼の結婚の冷却期間を指しているかもしれない)(2)『たとえ彼女が生きていたとしても、私は彼女を失うに違いないだろう、彼女を別の男に、その妻として渡すことによって。』(3)『私は再び彼女に会うだろう』――自分を慰めるという意味で。復活を信じること。この連れ合い(現実には彼に妹はいなくて空想の中で妹へと高められたか、実際に彼の妹だったのかもしれない人物)は、十中八九病弱な子どもだった。病気は、おそらく足の奇形だが、それは空想の中では称賛によってぼかされていたかもしれない。そこで浮き彫り像は彼に、この欠損が肯定的性質としても解釈しうることを示した」(Nunberg & Federn, 1962, pp. 266-267)。
ツォーエは妹か・・ならば、幼なじみではあっても他人である女性が、こうも親身であるという不自然さを回避できることになるが、それならばそれで、ただ肯定的なのも表面的ではある。
このように、岩波版の訳注・解題・書誌は不十分だが、本論文がユングとの関わりで生まれて書かれたことは確かだろう。フロイトがこの小説を取り上げたのは、主人公の夢を分析することが精神分析理論の例証となり、或る程度までは分析過程自体の説明にもなる、と考えたからである。或る程度まで、とは、基本的なこととして、「医者はあくまで見ず知らずの人間だったのであり、治療後は見ず知らずの人間に戻るよう一心に努めなければならない」からである。ザビ―ナ・シュピールラインに関して相談を受けていた彼は、ユングにこう一言書いておきたくなったのだろうか。
マカーリ本の「第四章ウィーン」は、この論文そのものには一言も触れてはいないが、フロイトの周辺更にはウィーン全体を見渡すのに有益である。精神医学界自体が頭でっかちな議論を繰り広げていたし、彼の内輪のサークルである「水曜会」は、正統派以外のその他もろもろの集まりで、フロイトへの凝集性を欠いていた。グラディーヴァにおける足の美化は、実は奇形に由来するのではないかとは、アドラーを思わせるところがある。
フロイトのもう一つの狙いは、精神分析によって創造の源に近づくことである。しかし今となっては、この論文を読み直して浮かび上がってくるのは精神分析自体の図式で、それ以外には、作品の何かよりもそれを書いた作者の一側面が分かった、という以上のことは言い難い。
アベラは、現代アートまでを視野に入れて、作品の精神分析的な解釈に伴う危険を総括している。彼女は、精神分析的な作品鑑賞の方法として、(1)ダ・ヴィンチ論のように作品を作者の無意識的葛藤から理解するもの、(2)グラディーヴァ論のように登場人物をそのまま患者のように分析するもの、(3)逆転移すなわち作品受容者の反応に基づくものを挙げた。しかしそれらは、「精神分析的」と括られ、「文学的・歴史的・哲学的・政治的・倫理的」と並べられる一項目である。どの観点――頂点?――も、作品理解に独自の何かを提供しうるだろう。しかしながら、美学それも作家自身による創作方法論が入っていないのは一面的である。アベラはあっさりと、それぞれの評価は、首尾一貫性・豊かさ・有益性による、と書いている。しかし豊かさを認めるにも、感受性を要する。それは精神分析という特定の方法から得られるものではないだろう。