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ハンス少年からハーバート・グラーフへフロイト「或る5歳男児の恐怖症分析」

フロイト「ある 5 才男児の恐怖症分析(ハンス少年)」“Analysis of a Phobia in a Five-Year-Old Boy (‘Little Hans’)”(1909b) (SE 10, 1-147; 全 10、1-176)
Midgley, N. (2006). Re-Reading “Little Hans”: Freud's Case Study and the
Question of Competing Paradigms in Psychoanalysis. J. Amer. Psychoanal.
Assn., 54(2):537-559
Brown, R. (2017). The Case of Little Hans: A Ramble. Can. J. Psychoanal.,
25(1):137-157

1月の講読ワークショップでは、「ハンス少年」の記録を取り上げている。フロイトによるこの報告は、さまざまな点について論じられてきたが、フロイト・アーカイヴの関連文書公開によって、その論調は大きく変わった。詳細は、『精神分析の現場へ: フロイト・クライン・ビオンにおける対象と自己の経験』(誠信書房、2015)の第Ⅱ部第2章で述べたことがあるが、その章立てのみ紹介しておくと(『連続講義 精神分析家の生涯と理論』(岩崎学術出版社、2018)の「第1講フロイト」は、出版は後だが、先に同じ内容の紹介である):
第2章 ハンス症例と対象概念の変容――欲動論か対象関係論か
1.はじめに
2.ハンスとフロイト
 A. 治療経過の概要
 B.「小さなエディプス」と分析的接触
 C. 対象選択と母親
 D. 男性の対象選択の寓話
3.ハンスの〈現場〉
 A. フロイトとともに、フロイトに反して
 B. ヒンシェルウッドのhere & now解釈とその問い
 C. もう一つの読解
 D. ラカンの『対象関係』について
4.現場検証
 A. 実証的な資料の開示
 B. 開示前
 C. 2004年の公開制限解除
 D. グラーフ家とフロイト
5.おわりに
 A. 臨床論文をどう読むか
 B. 情動的な方向づけ

今回の講読リストでは、公開制限解除前後の文献を選んでいる。
ミジリーはアナ・フロイト派の子供の心理療法の専門家で、その後さまざまなプロジェクトで活躍しており、来日した際にも子供のためのMBTを紹介している。ここでの彼は、「ハンス少年」の報告を例に、同じ資料を用いても理論的パラダイムに応じて強調点がどのように変わるのかを示している。
彼が挙げる著者は、フロイト・クライン・ラカン・ボウルビーの四人だが、元がフロイトでフロイトが続くのは、彼は1909年のオリジナル報告に対して1926年に『制止・症状・不安』の中で、リビドーと不安の関係を整理し直したからである。それは、前期フロイトでは注目されていなかった「自我」の機能を見直したことに由来する。その結果、「不安」はリビドー(性欲動)の変形物ではなく、現実的な危険への信号として理解されるようになる。
そこでは、「去勢不安」や「エディプス・コンプレックス」の概念は維持されているが、「リビドー」は包括的な説明に不可欠な構成成分というより、前提条件の一つとなっているようである。
ミジリーは続いて、メラニー・クラインが『子供の精神分析』(1932)でハンスの恐怖症を、より早期の不安状況から理解したことを紹介している。そこでは攻撃性が問題である。また、更に時代は下ってボウルビーは1958年に、ハンス症例を母子関係における「分離不安」から論じた。ミジリーは最後に、ラカンがハンスを『対象関係』(1956-7)のセミナーでどう理解したかを要約している。ラカンの観点のみを更に簡単に紹介しておくと、事は「母の欲望」がどう解決されるかである。ハンスの問題は、母子の想像的関係が、父の名/否による近親姦の禁止と象徴的な父への同一化へと移行しなかったことにある。
これらの理解は、いずれもハンス症例について述べてはいるが、それぞれの理論的パラダイムが明確に存在しており、症例はその例証に使われていると言えるだろう。ミジリーは、「同じ臨床素材がこれほど多くの異なる仕方で解釈されることは、精神分析にとって何を意味するだろうか?そのいずれか一つの解釈が、他のものよりももっと「正確」で「真実」であることはありうるのだろうか?」と問うている。彼の結論は、折衷でも排他でもなく、個々の理論のパラダイム/パースペクティヴにそれぞれの有効性と有用性があることを踏まえた上で、更にそれらを生んだ経験の源としての精神分析の方法論に立ち返ることである。それは共通である、はずだが・・

ミジリーは、「マックス・グラーフの妻、オルガ・ヘーニヒについては、僅かしか知られていないが、フロイトは以前に彼女を治療していたことがあり、『美しい』女性そして『素晴らしい献身的な母親』と描写している」という前提で論じている。
ところが、全くそういうことではなかった、ということを示したのが、2004年以降のさまざまな関連文書の開示である。そこには、彼の両親や配偶者へのインタビューが含まれている。事は解釈やパラダイムではなく、事実の問題である。
ロン・ブラウンの「随想」は、口頭発表用のメモのようなものだが、要点を箇条書きにしていて分かりやすいと言えば分かりやすい。
(ちなみに配布資料のpdfは、文献案内の囲みが被ってしまい、地の文が読めなくなっているところがあるので、その個所を再掲しておく:And, as the unconscious would have it, while working on all of this, an old friend directed me to the work of Marie Balmary (1982). In this initial section I will use material from the *JAPA* articles (Chused 2007; Ross 2007; Stuart 2007; Wakefield 2007a) and an earlier one by Wakefield (2007b), focusing especially on Stuart.)
彼は、フロイト自身を含めてハンスにおいて性的探究と不安が強調されて来たのに対して、死と死の不安が顕著だと指摘している。また、ハンスが両親の間の問題を伝えようとしているという読解には、説得力がある。
問題があるとしたら、マリー・バルマリの議論を鵜呑みにしているところである。バルマリ『彫像の男 フロイトと父の隠された過ち』(哲学書房、1988)は、名著名訳で、ミステリと云う勿れという感じの意外な展開を重ねて一気に読めてしまう。
しかし、穿ち過ぎになっているらしいところが散見される。はっきりしているのは、フロイトの誕生日問題である。今知られているのは、1856年5月6日ということだが、実は3月6日だったという説があり、だとすると、フロイトの母は結婚前に彼を身籠ったことになる。だが、これは出生届の日付がMärz(3月)に見えるという主張で、実際にはMay(当時の表記法によるMai)なので、何ら問題ないという(バルマリ訳注より)。
これは、何が置き換えられ偽装されているのか、それをどう判断するのか、物証がない時の困難に触れているとも言える。「クラカウに行く」と言ったら、どこに行くと思うのが普通だろうか。

バルマリ彫像の男


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