映画の感想「WANDA/ワンダ」 バーバラ・ローデン
主人公はワンダ・ゴロンスキー。30歳くらいだろうか。炭鉱のある田舎町に住む。
夫と子ども2人と暮らす専業主婦だった。
しかし家事も育児も苦手で夫に愛想を尽かされ、おまけに縫製工場の仕事までクビになった。離婚調停の日だというのに、二日酔いで姉(妹)の家のソファに寝転んだままなかなか起きようとしない。ようやく起きて裁判所へと向かうワンダの髪にはカーラーが巻かれたままだ。途中知り合いの老人にお金の無心をして誰も乗っていないバスにひとり乗り込む。裁判所へ着くも調停には遅刻。ワンダはタバコを吸い髪にはカーラーが巻かれたままの格好で現れる。夫の口から語られるのは、妻として母としてのロンダの不適合ぶり。
夫は既に再婚相手を見つけていて、ワンダは2人の子どもとも引き離され家庭から追われることになった。
どこか不安げな表情で街を彷徨うワンダ。一杯のビールのために男性と関係を持ってしまうが、男性はワンダをアイスクリーム店前に置き去りにしてしまう。待って待ってと男性に縋り付くワンダは多分人を疑うことを知らないのだろう。
再び孤独に街を彷徨うワンダは映画館へ入りそこで全財産を盗まれてしまう。その後トイレを借りるために入ったバーで強盗犯のデニスと鉢合わせする。ワンダはデニスをバーの店主と思い込みお金を盗まれたこと話し、成り行きでデニスと一緒に行動を共にするようになる。従順に二つ返事で会ったばかりのデニスについて行くワンダ。それまでの不安げな表情が消えたかのように見えたのは、デニスが行くべき道を示してくれる存在として映ったからだろう。後にデニスが強盗犯だと知ることになるが、それでも彼女はデニスについて行く。
デニスに車から降りるように(そして逃げるように)言われてもついて行く。デニスは支配欲が強く神経質、今で言うモラハラ気質の男だ。単純で短絡的で不器用で賢くもない。ワンダと同じように追い詰められた状態にあるといっていいい。
そんなデニスと一緒に行けばどうなるかというのは、少し考えればわかりそうなものだ。
それほどにワンダはひとりぼっちに耐えられない、意志の弱い幼稚な大人なのだろう。彼女にはああしたいこうしたいという望みも欲望もない。
ワンダに小さくても野心(向上心)があればもっとしたたかに生きていけただろう。
しかし望みや欲望や野心の種を蒔く機会というのは、誰にでも等しく与えられるものではないのかもしれない。
やがてデニスは銀行強盗を企て、ワンダもそれに加担することになった。
デニスに反撃する頭取に銃を突きつけて服従させ、よくやったとデニスに褒められ、得意げな笑顔を見せるワンダ。それは初めて誰かに褒められたかのように見える。
切羽詰まり半ば自暴自棄になったデニスの計画は敢えなく失敗し彼は命を落とす。
真っ当に生きるよう老いた父親に諭されても破滅へと突き進んだデニス。気が小さいデニスは悪党になりきれなかったのだろう。
そんな男でもワンダにとっては進むべき道を照らしてくれる唯一の存在だった。
デニスを失い途方に暮れるワンダ。
これから自分はどこへ行けばいいのかという不安と孤独に苛まれているワンダの表情に、デニスへの愛情は感じられなかった。
バーで一緒にビールを飲んだ見知らぬ男に暴行されそうになった時のワンダの激しい抵抗は、彼女にとって初めての抵抗だったかもしれない。
抵抗することはつまり疑問を持つこととではないだろうかと思う。
エンディング、見知らぬ町へたどり着き、見知らぬ人たちに囲まれてバーでお酒を飲むワンダがいた。陽気な音楽が流れ賑やかで会話を楽しむ人たちの中で、何かに怯えたような不安げな顔つきのワンダだけがひとり浮いていた。
犯罪に加担した罪から逃れられない。新しく人生やり直すことも新しく居場所を作ることも出来ない。そんなワンダの行く末を想像するしかない。
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ワンダを笑うことも憐れむことも同情することもわたしには出来なかった。
この映画が突きつけるものは厳しすぎる。
胸が痛いような気持ちにもなる。
一歩間違えればわたしはワンダになっていただろう。
これからだってそうなるかもしれない。
ワンダを笑える人は自らの足で立つ強くて立派な人だと思う。
そして誰だってそうなりたいと望むだろう。
デニスがラジコンの飛行機を見上げて、戻ってこいよと叫ぶシーンがあった。
デニスが彼自身の過去であり、飛行機はデニス自身だろう。
わたしはそう感じた。
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