映画の感想「ショップリフターズ・オブ・ザ・ワールド」
少し前になるが、「ショップリフターズ・オブ・ザ・ワールド」という映画を観た。
簡単だがその感想を書いておきたいと思う。
1987年アメリカのコロラド州デンバーの街を舞台に、孤独や情熱や怒りを抱えた悩める若い男女の姿を描いた映画だった。
ザ・スミス(イギリスのロックバンド)の解散をめぐってストーリーが展開し、ザ・スミスの音楽が流れるシーンも多かった。
純粋に、音楽に対して楽しさだけを求めるというのはなかなか簡単じゃないように思う。音楽に何を求めるかによるのかもしれないが、特に多感な時期はそうではなかろうか。
青春という言葉の響きに、わたしは楽しくキラキラと明るいものばかりを感じない。むしろ憂鬱で暗いヒリヒリとした痛みのようなものを感じる。
1987年、わたしは何をしていただろう。
高校生だったか。
ザ・スミスの音楽はそれほど聴かなかった(この映画について語る資格はあまりないかもしれない)。尾崎豊やU2を聴いていた。
若さはあってもキラキラなんかしていなかったし(今もそうだろう)、将来の夢とか目標とかも見出していなかった。
この映画の登場人物のように自分自身のことが嫌いで仕方なく、かといってどうしたら好きになれるのかわからなかった。自分の存在というものが薄っぺらく透明な感じがして苦しかった。
その頃ほどではないにせよ、年を重ねた今も感じることがある。
いったい何のためにここにいるのかということを。
いい年をして情けないけれども、そういうことは死ぬまで感じることかもしれないと思う。
映画の中で、レコードショップで働くディーンという青年がラジオ局に立てこもる。
そこはヘビィメタル専門のラジオ局だ。DJに銃を突きつけて、ザ・スミスの曲をかけるように要求するのだが、そのうちディーンとDJは互いの恋愛話をするほど打ち解けてくる。
ヘビィメタルとザ・スミスの音楽は対極にあって決して融合することはないような感じがする。しかし音楽をジャンルに分けたとしても、根っこの部分は同じではなかろうか。
なんだかんだとグループ分けをして分断や対立を煽る。
今はそんな世の中だ。
そんなことじゃあ、いつまで経っても前に進まないし良いものも生まれないような気がするのだけれど。
.........