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盆踊りから見える社会・地域
最近あまり時間取れずにできなくなってしまったのだが、大学生の時から読書メモをつけていた。読んだ時に付箋をペタペタ貼って、読み終わったら、その付箋の中から印象的な文章だけノートなりに書き写す。
当時はインターネットを使うという頭がなかったので、どこかのノートに書いたのだと思うが、最近のはnotionなどObsidianなりに書いていたので、いつでもアクセスできる状態になっている。
とはいえ、先に書いたように自分は記憶力がないので、正直「なんでメモしたのか?」というメモも結構ある。ただメモしたからには、その瞬間には何かが重要だと思ったのだろう。メモをそのままにしておくのも味気ないので、メモを取り出して、今の視点から何かここで書いてみることにする。
ということで、今回は『盆踊りの戦後史——「ふるさと」の喪失と創造』大石始 著のメモ。そもそも、なんでこの本を読んだんだろうというくらいではある。
まず、高度経済成長期には経済効率を重視し、無駄を省く考え方が広く行き渡った。こうした思考を広めたものの中に生活改善諸事業があった。なかでも祭礼の支出を浪費として批判し、祭礼自体の廃止や縮小を促した運動として、新生活運動がある。
新生活運動とは、一九五五年に設立された新生活運動協会が推進した事業である。全国的な事業として推進されたものの、直接の担い手をもたなかったため、公民館活動との結びつきが強まった。
(阿南透「高度経済成長期における都市祭礼の衰退と復活」)
新生活運動とは鳩山一郎内閣によって提唱された、民主的かつ合理的な暮らしを目指した日常生活向上運動の一種である。健全娯楽の振興や生活行事・封建的因習の改善、迷信因習の打破、冠婚葬祭の簡素化が全国の婦人会や青年団によって推し進められた。
新生活運動の名のもと、各地域で伝承されてきた祭礼や盆踊りも変容を迫られる。言うまでもなく神社の例大祭や近代以前にルーツを持つとされる伝承型盆踊りの多くは、経済効率とは無縁の目的・意義のもと続けられてきたわけで、新生活運動の目指すものとは明らかに合致しない。そのため、「経済効率を重視し、無駄を省く考え方」のもとで複雑な手続きが簡略化されたり、踊りや歌がよりシンプルになったりした。
戦後に立ち上げられた地域住民のレクリエーション的盆踊りの場合、従来の祭礼に比べれば金も手間もかからず、特別な演奏技術も必要としない。少なくとも新しいコミュニティーにとっては効率がよく、使い勝手がよかった。新しい盆踊りと新生活運動は直接結びつくことはないが、高度経済成長期の空気のなかで醸成された「経済効率を重視し、無駄を省く」というムードとは決して無縁ではない。盆踊りの変革は高度経済成長期におけるライフスタイルや思考・価値観の変化ともリンクしているのだ。
おぼろげな記憶だけど、これは政府側が日常生活向上のための運動を起こしていたんだな~という新鮮な驚きがあったので、メモした記憶がある。よくよく考えてみると民藝も生活文化運動だったし、ある文化を定着・変容させるためにはアクティビスト的な動きが必要なのだなと盆踊りを通して思いを馳せられるのは面白かった。
また、盆踊りが経済的なコストがかからないという点で評価されているのも面白い。低コストが日本中を席巻して、文化を変容させていく。
盆踊りとは本来、祖霊・新仏供養の行事という一面も持っていた。だが、団地という「新しい街」で立ち上げられた盆踊りとは、そうした宗教儀式としての盆踊りからはほど遠い手づくりの地域イヴェントに過ぎない。
若林幹夫はそうした団地の盆踊りや祭りについて、このように論じている。
それはかつてあった村や地域の祭りや、明治以降に地域のイヴェント化した運動会をモデルとして、そこにたしかに「地域」があることを演出し、上演するイヴェントなのだ。祭りの神楽で神々の物語が演じられるように、郊外住宅地を舞台に「地域」の神話が、住民とその子供たちによって上演されるのである。
(若林幹夫『郊外の社会学』)
若林が言うように、確かに団地の盆踊りとは、さも「地域」がそこに存在しているかのように演出する地域イヴェントに過ぎないのかもしれない。そこには古くから伝承されてきた盆踊りにおいて信仰的な軸となる神様も祖霊もいないだろう。
だが、高度経済成長期の新しいコミュニティーでは、確かに盆踊りが必要とされていたのだ。自分たちが地域社会の一員であるという意識を育むため、あるいは「神話としての故郷」を胸のうちに育むため。そして、そうした盆踊りのあり方は、高度経済成長期が終わっても一定の意義を持ち続けた。
これは実感として分かるなという気持ちでメモした。地元の盆踊りはそもそも企業が主催して、その企業の敷地を開放していたものもあった。そこに祖霊・神仏供養といった宗教的な側面は皆無であろう。
企業としては地域貢献になるし、地域の人にとっては、普段入れない敷地で楽し気なイベントがあるのは地域への愛着を生むだろう。
ここまで書いて思ったけど、あの企業でやってた盆踊りはどこが準備して企画していたのだろう。お手製のお化け屋敷とかがあったりして、結構アットホームな感じだったが、プロ的な集団というよりはその企業の有志の人だったのか、地域のそういうところと連携していたのか。
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