自分たちの生きる都市・時代について思いを巡らす|『ジェイン・ジェイコブズ:ニューヨーク都市計画革命』
4/28より上映が始まった都市活動家・作家のジェイン・ジェイコブズのドキュメンタリー映画を視聴。建築学徒にとっては必読書と言われるジェイコブズ著の『アメリカ大都市の死と生』だが、実際のところ、本書が著された1960年代のアメリカがどのような背景でジェイコブズがどのような活動を行ったか、そしてジェイコブズがどのような人物だったかは分からなかった。映像を通してその姿を見ることでより著書への理解が深まる内容であった。
お時間ある方はぜひ見に行ってみてください。
1961年に出版された「アメリカ大都市の死と生」は、近代都市計画への痛烈な批判とまったく新しい都市論を展開し、世界に大きな衝撃を与えた。今や都市論のバイブルとなったこの本の著者は、NYのダウンタウンに住む主婦、ジェイン・ジェイコブズ。建築においては一介の素人に過ぎなかった彼女の武器は、その天才的な洞察力と行動力だった。本作は、当時の貴重な記録映像や肉声を織り交ぜ、“常識の天才”ジェイコブズに迫った初の映画。都市は誰がつくり、誰のためにあるのか? 私たちが暮らす街の未来を照らす建築ドキュメンタリー。
ジェイコブズとは誰か?
ジェイコブズとは何者か?と言おうとすると言葉に詰まってしまう。
特筆すべき経歴があるわけでもなく、建築や都市の専門性を持ち合わせているわけでもない彼女が都市活動家として頭角を現したのは「ワシントンスクエア公園」の道路貫通計画の阻止だった。
「ワシントンスクエア公園」は子どもたちが走り回り、休日には音楽家たちが楽器を持ち寄り大演奏会が行われる、、、といった、当時から市民の憩いの場所であった。一方で当時のNYは都市開発が盛んに行われていた。スラムはクリアランスされ団地が建設され、新しい道路が通されるなど、当時絶大な力を持っていたブローカー,ロバート・モーゼスによって急速に都市は変化を強いられていた。そんな折に、「ワシントンスクエア公園」に道路が通される計画が持ち上がった。
市民の憩いの場であったその場所を失わせまいと立ち上がったジェイコブズは市長に直訴の手紙を送ったり、著名人を味方につけたりなど戦略的な抗議活動を展開した。結果として、当時大統領以上に力を持っていたとさえ言われるモーゼスを打ち負かしたのだ。
「ワシントンスクエア公園」という場所を失いたくない、という気持ちはもちろんジェイコブズにはあったのだろうが、ジェイコブズがこのような活動を起こした背景には自身が所属していた「建築フォーラム」誌で経験した建築家・都市計画家の理論と実際の生活との乖離が影響しているのだろう。そして、そのような状況に対して自分たちの非を認めない建築家・都市計画家たちに対抗するため彼女は立ち上がった。ジェイコブズは「ワシントンスクエア公園」での抗議活動ののちに代表作『アメリカ大都市の死と生』を出版した。
本書でジェイコブズは都市を活性化させるためのいくつかの提言を行った。
1.街路は幅が狭く曲がっていて、各ブロックが小さいこと。
2.再開発をしても、古い建物をできるだけ残すこと。(家賃が安ければ若い学生や芸術家も住むことができる)
3.各地区には必ずふたつ以上の働きを持たせること。(多様な人が多様な目的で、さまざまな時間に訪れる)
4.各地区の人口密度が十分高いこと。
建築や都市の専門性を持ち合わせているわけでもない彼女が行ったこれらの提言は「生活者」の視点から発言されたものだ。「大いなる素人」とも言えるジェイコブズの実感から出てきた言葉は色褪せることなく響くものがある。
今、ジェイコブズを観る・読むこと
さて、1960年代に出版された書籍の著者のドキュメンタリーを今観る・読むことについてどういう価値があるのだろう、と考えたい。
モーゼスがいた意味
まず注意したいのは、モーゼスは完全な悪人ではなかったということだ。物語上、仮想敵として描かれているモーゼスだが、実際問題として当時のNYは急激な人口増加により劣悪な生活を強いられていた人びとがいたわけだし、それを解決することは急務であった。そこで選択されたのが当時急速に広がっていたモダニズムの手法であったのだ。
モダニズムは基本的には「分ける」思想によって展開される供給のための方法論である(もちろん美学的な側面もあるが)。つまりモーゼスが行ったのは都市の複雑性を住む・遊ぶ・仕事をする、など「分ける」ことによって建物の供給速度を早めた、ということだ。
当時のような都市化は誰も経験したことのない事態だった。だからこそ、モーゼスの手法が正解だったのかは誰も分からなかった。そして、モーゼスは失敗したのだ。その象徴がプルーイット・アイゴー団地のスラム化であった。
確かにモーゼスは絶対的な権力を手に入れたことにより、腐敗してしまった面もあった。しかし、その根底にあった問題と解決策は、結果としてジェイコブズに都市の生活とは何か?という気づきを与えたのかもしれない。
ジェイコブズがいなかったら今のNYはなかったかもしれないが、モーゼスがいなくても今のNYはなかったかもしれない。私たちはジェイコブズの活動や言葉からだけでなく、モーゼスの失敗からも学ばなければならない、のかもしれない。
ジェイコブズの抗議活動から学ぶ─「市民参加2.0」から「市民参加4.0」へ
ジェイコブズは書籍を書いたり、抗議活動を行ったわけだが、自ら商いをしたり、イベントを行ったり、都市の活性化に対して一役を担ったわけではなかった。
4/30に行われた建築評論家の五十嵐太郎氏とStudio-Lの山崎亮氏のトークイベントで、山崎氏はジェイコブズのこうした姿勢を「市民参加2.0」と位置付けた。
これはどういうことかと言うと、戦後民主主義など、国民や市民が自分の住んでいる場所に対して能動的に振る舞えるようになったのが「市民参加1.0」、さらに国や市がやることに批判的な姿勢を取り抗議活動を行うようになったのが「市民参加2.0」ということだ。
そして、こと日本で言えば1995年は「ボランティア元年」と呼ばれ、市民が協働することで、行政を飛び越え自ら街や都市、そこに住む人たちへの奉仕を行うようになった、これが「市民参加3.0」である。
今の私たちはさらにAir BnBや各種のシェアリングサービスなどテクノロジーを介したさまざまなプラットフォームを手に入れた。今度は協働なしで個人の小さな力が都市や街を変えることさえできるようになった。(「市民参加4.0」)
つまり、私たちはジェイコブズから学ぶことはできるが、ジェイコブズと同じことをしていてはダメであるということだ。ジェイコブズは抗議活動と言葉を発することを行ったが、私たちはおそらくそこから一歩進まなければいけないのだろう。そして、その萌芽はちらほらと見えている。
人口減少時代に都市を考える
最後に、時代・社会背景について考えてみる。ジェイコブズやモーゼスが活動した時代は人口が急激に増え、都市が急速に成長していた時期だ。実際、今も中国のように急速に都市化が進んでいる国はあるが、日本を考えてみると日本はすでに成熟社会と言われて久しい。人口は減少していっているし、大規模な再開発が起きる、というのも考えにくいだろう(必要に駆られたものではない再開発はあるが)。
そして、今、再開発を行っているのはジェイコブズが対峙したような、行政ではなく、どちらかというと民間の資本だ。これはいつまで続くのだろう。
しかし、開発自体が「悪」というわけではなく、開発のやり方を熟考していくべきなのだろう。
例えば、今回のジェイコブズの映画のプロデューサーであるロバート・ハモンドが関わる「ハイラインパーク」は、古びた高架鉄道を公園にし、市民の憩いの場へと変質させたものだ。
このように、「今あるものをどう使うか」を考えることが重要だ。発想の転換によって都市や街のあり方はいくらでも変わる。
はたまた、4/30のイベントやパンフレットで山崎氏が述べているように開発の「速度」や「時間」を考えることも重要だろう。
早く決めると大抵よくない結果に終わる
とは真実で、建築や都市開発はなぜだか一品ものでつくったら終わり、という考えがどこかにあるのか、決定を早める傾向にある(または、「決定すること自体」が遅められる、その場合は決定してから完成するまでが短い)。建築や都市はできた時ではなく、そのあとの時間が重要である。であるならば、その後の時間も計画に取り込み、少しずつつくりながら悪いところを直していったり、良いところを伸ばしていったり、とPDCAを回していく思想が建築や都市にも取り入れられていくと良いのかもしれない。
かけた時間分は結果として愛着に繋がる。たとえば、自力でビルをつくるというプロジェクト「蟻鱒鳶ル」はまだまだ完成は先ながら多くの人に知られ、多くの人が訪れる場所となっている。
私たちは差し迫って「建てなければいけない」という状況に置かれているわけではないからこそ、「速度」や「時間」を丁寧に考え、自分たちの都市や街を良くするためにはどうすればいいのか考えなければいけない、のだと思う。ジェイコブズ関係なくなってきた。
と言った感じで乱暴に締めますが、色々なことを考えられるので、お時間ある方はぜひ劇場へと足をお運びくださいませ。
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