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なぜ共感される文章が書けないのか考えてみた

私はとても悩んでいた。

6月の上旬。私にとっては、社会人生活3カ月目に入った時期だ。
 悩みの種は、さっぱりユーザーの気持ちがわからないこと。
ここでいうユーザーとは、私が運用代行を担当するInstagramのアカウントを、フォロー、または見にきてくれている人物を指す。

なぜ、ユーザーの気持ちがわからないと困るのか。
私の仕事には、Instagramの投稿文を書くことが含まれているから、というのが答えになる。
ただ文章を書くのではなく、クライアントから依頼されたInstagramのアカウントの世界観や、投稿の目的から外れていない文章を書く必要がある。
なおかつ、投稿を見てくれたユーザーが共感する、または役に立つと思われるような好印象の文章が望ましい。

(※Instagramの投稿文とは、下記画像の右側の文章部分のこと。)
(※添付した画像は、私の所属する部署(福神漬)ではなく、弊社の別の部署が運営する、ライスカレー独自のメディア ハニカムの投稿。)

韓国情報Honeycomb-KOREA-《ハニカム》
ID:honeycomb_korea

「ディレクションの本質は、クライアントと向き合うこと」だと、あかざわは言った。

「オペレーションの仕事は、ユーザーに一番近い最後のアウトプットの部分を担う重要なセクション」と、きがわはnoteで書いていた。

であれば、私が現在取り組んでいる業務(オペレーション)の本質は、「画面の向こうのユーザーと向き合うこと」なのだろう。
ということで、ユーザーの気持ちがわからないのは、とても困るのである。

しかし、インターンを1年経験し、社会人として3カ月目に入っても、ユーザーの気持ちを掴みあぐねていることに、私は少し焦っていた。

▽私が福神漬で働き始めた経緯

ユーザーの気持ちを理解するって…何?


私が向き合うべきユーザーは、いわゆる「ママ」と呼ばれる人たちが多い。
ママについて理解しようとどんなに情報を集めても、空気を掴んでいる感覚だった。


というか、そもそもユーザーの気持ちを理解するって何?
別の人間の気持ちを理解するとか、超能力の域じゃない?
自分のこともイマイチ分かってないのに……?
幸いにも私は性別は女性だから出産できる。
子どもを産んで育児する立場になるしか、
ママの気持ちを理解する方法はないのだろうか……。
おやまの心の声

そんなことを思いながら、画面の向こうにいるママたちに向けて、とりあえず投稿の趣旨から外れないが、さして共感してもらえるわけでもない、Instagramの投稿文を書いていた。

そんなある日、ユーザーの気持ちを理解する上で、何が足りていなかったのかを気付くきっかけとなる、「ある出来事」が起きた。

そのおかげで、私は「ユーザーの気持ちを理解する」ことがどんなことなのか、以前よりほんの少しだけ、わかるようになった。
なお、「ユーザーの気持ちをつかめる文章の書き方」は、また別の技術であり、勉強中である。

このnoteを開いてくれた人は、私と同じように「どうしたらユーザーの気持ちがつかめるのかわからない」と悩む人なのではないだろうか。

どんな要素があると伸びるのか、投稿を戦略的に分析することと、ユーザーの気持ちが理解できるようになることは、似ているけど異なることだ
前者について知りたい方は、他の福神漬メンバーの記事を見てほしい。

今回は、後者の「どうしたらユーザーの気持ちが理解できるようになるのか」と、私と同じように悩むあなたにむけて。

このnoteが解決のヒントになることを祈りながら、ユーザーへの理解を阻む壁、私が体験した「ある出来事」、ユーザーへの理解を深める方法を、書いてみることにした。

ユーザーへの理解を阻む、自覚が難しい3つの壁

まず、私がユーザーへの理解を深める上で、無意識のうちに妨害となっていた3つの要素を伝えたい。

①    データしか見ていない
②    共感には、同じ体験が必要?
③    「人それぞれ」という魔の言葉

これらは、やっていること自体は間違っていない。
それが問題に気付きにくくさせている要因である。
それぞれどこが問題なのか、私なりに考えてみた。

①データしか見ていない

調べたらなんでも出てくる時代だからこその、障壁かもしれない。
私もママについて、自分なりに調べていた。

弊社はSNSマーケティングの会社なので、ディレクションと呼ばれる職種の人が、投稿を分析して、SNSの文脈で「ママがこういう投稿には反応してくれやすい」という傾向をつかんではいる。

私もそれには目を通していたし、自分でもデータを集めようとした。
出産ではこんなことを悩んでいるらしいとか、初産は30歳が平均で、世帯年収はどれくらいで、子供が生まれるとどんなイベントがあるのか、Twitter・インスタのストーリーズに流れてくる愚痴まで。

これ自体は、悪いことではないし、無駄でもない。
ただ、「ユーザーを理解する」というフェーズでは、“ワーママ”、“専業主婦”、“ママ”―――こういった抽象的な言葉で括って、統計的にデータだけで分析しようとするのは難しいのだと、「ある出来事」で気付いた。

②共感には、同じ体験が必要?

共感とは、「他人の意見や感情などにそのとおりだと感じること。また、その気持ち」のこと

出典:weblio辞書

弊社内でよく言われていることだが、コンテンツに「共感」できる要素があることは、ユーザーからの反応がいいコンテンツとして、期待されている。

ただ、自分なりにこれならママとよばれる人たちに「これは共感してもらえるのではないか」、と思って投稿しても、全く伸びなかったり、思いもしなかった投稿の方が反応が良かったりする。

この繰り返しを経て、「も~~~共感ってマジでなに? 」と、当時、インターン生であった大学4年の私は悩み、検索に使っていたスマホを投げ出したくなった。

ただ、最近起きた「ある出来事」のおかげで、「他の人が何に共感するか?」を考えてばかりいたせいで、単純なことが見えなくなっていたことに気付いた。

まず、「いつ自分は共感するのか? 逆に、できない時はどんな時か?」と自分自身に問いかけてみてほしい。

私の考えとしては、そのままそっくり自分が体験した出来事が書いてあるだけでは、共感できないのである。

高校受験、大学受験、就職活動。うん、確かに通った道だけど、この単語だけじゃ私は共感には至らない。であるのに、私はママと呼ばれる人に対して、ママが体験した事柄だけを並べて共感してもらおうとしていた。

単純だけど、無意識にしていた矛盾に気づけたのは、私にとってかなり衝撃的だった。

逆に、全くバックグラウンドの異なる人物、経験したことのないことが書いてあっても、書かれた文章に共感することがある。

例えば、小説や漫画、映画、ドラマで起こる出来事は、多くの場合、体験したことのない出来事だ。
それでも私たちは、煉獄さんに「胸を張って生きろ」と言われた炭治郎を見て同じように涙し、ゾンビに襲われるミラ・ジョボビッチと同じ緊迫感や絶望感を味わう。自分と似た経験を重ね合わせ、自分事化して、「気持ち」まで理解しようとする。

つまり、共感するかどうかの違いは、書いてある事実ではなく、その事実によって動いている感情の部分まで書き切っているかどうかに、かかってくるのだと思う。

ママやパパのインフルエンサーが共感を得られやすいのは、自分の経験をただ並べるだけでなく、そこにプラスして、自分の感情で語れるからなのだろう。企業アカウントが共感を得るのが難しいのは、その性質上、感情で物事を語りづらいという縛りがあるからではないか。

③「人それぞれ」という魔の言葉

人それぞれという言葉は、素晴らしく便利だが、恐ろしい。
たしかに、「人それぞれ」と、個人に対して配慮することは必要だ。

でも、この言葉は「人それぞれ」の中身を個別具体的に理解しないまま使うと、思考を停止させる言葉でもある。

以前の私は、個人差があるからなぁと、①のデータという表面的な情報だけ見て、それがどういった個人の事情を反映しているのか、考えることから無意識に逃げていた。

でも、投稿を読んでくれるであろうユーザーの「人それぞれ」について、個別に理解しようとしないまま「個人差があります」と書く文章は、リアリティがない。リアリティがないということは、ユーザーは自分事化できないし、共感できない。

結果的に、リアリティがない文章にユーザーが期待することはなくなり、アカウントのテーマや価値観に共感してフォローしてくれる確率は、より下がるのではないだろうか。 

ある出来事

もっともらしく語ってきたが、私がこれらの原因に気づいたのは、つい最近だ。
6月上旬の、仕事から帰ってきた肌寒い夜。
ご飯を食べながらスマホをながめていた時、ある主婦の育児愚痴系のバズツイートが、タイムラインに流れてきたのがきっかけだった。
(※ツイート主のプライバシー保護のために、「ある出来事」は、実際のツイートを要約し、ツイート主の情報にはフェイクを入れるなど、私の解釈がかなり入っていることを、ご承知おきください。)
ざっくりそのツイートの経緯だけ抜き出すと、こんな感じ。


夫に育児の愚痴を言った。そしたら、「それだけでキャパオーバーってさぁ、能力が低いってことじゃん」と言われたので、堪忍袋の緒が切れた。「出て行け!!」と怒鳴ると、夫は実際に出て行ってしまい、数日経っても帰ってこない。完全なワンオペで、生まれてまもない我が子を育てる。夫は気楽でいいね。

夫が育児を軽視した言動をし、妻が怒る。
この構図は悲しいことに、Twitterのママアカウントを定点観測していると、かなりの頻度で見かける。

出て行ってから帰ってこないことを鑑みても、ツイート自体はありふれた構造だった。だからこそ、何でバズったんだろう、と、気になった。

私は、このツイート主がどんな人なのか気になって、プロフィールを覗いてみることにした。

ツイート主は、30代後半で3度の流産を経験した女性。
すごく自分の日常を描写するのが上手い人だった。
最新のツイートから遡ると、ずっとずっと、この方が耐えてきたことがわかった。彼女は、妊娠から始まり、出産直前から退院まで、かなりこまめにツイートしている。

流産を3度経験し、ようやく授かった子を死なせまいと切迫早産の入院も乗り越えて、妊娠期間37週間と1日をへて、無事、出産したらしい。
しかし、出産後、ツイートの更新頻度はみるみる落ちてゆく。

彼女のツイートを、最新のツイートから古いツイートへ遡る。
私視点での解釈が入るが、ツイートから彼女の心境を推察すると、次のような日常生活を送っているらしかった。

抱っこしてないと泣く。寝たと思って横にすると、起きる。
洗濯物を畳むことすら、ままならない。

赤ちゃんに何かあったら不安だから、用を足す時もトイレの扉を開けて姿が見えるようにしておく。食事も入浴中もずっと一緒。
赤ちゃんに意識がいくせいで、浅い睡眠を繰り返し、寝ている時も泣き声が聞こえた気がして、目が覚める。

哺乳瓶を使わずに、母乳を直であげている。授乳するペースも多いのか少ないのか分からない。1時間半ごとに授乳して、搾乳もして、乳房は今すぐ取り外したいほどに痛い。それが毎日、続く。

母乳が出過ぎて赤ちゃんはむせてるし、そのせいで服がビショビショになって都度着替えで手間がかかって、直母をやめたくなる。
でも、毎日毎日、1時間〜1時間30分おきに、授乳するためにこの子を見ていると、最初は乳房を咥えることも満足にできなかったのに、最近は上手くなってきたことがわかる。笑う姿は天使みたいにかわいい。

ただ、最近。夫は毎日、帰宅が深夜2:00頃だ。週休2日だけど、休みは疲れてほぼ寝ている。他の家庭の旦那さんは、育児にどれだけ参加してくれているのだろう。こんなに辛いのは私だけだろうか。

愚痴を聞いてもらおうにも、旦那は仕事で精一杯。疲れているせいか攻撃的で、自分の準備すらしてくれなくて。それなのに、「俺なら育児と仕事、両立できるけどね」とのたまう始末。でも、私の周りには、普通に会話ができる大人が旦那しかいない。

母乳を飲ませても抱っこしてもあやしても泣き止む気配がない赤ちゃんを、それでも抱いて。産後、自分ではどうすることもできないほど変化した身体を引きずるようにして生きている。

この辛さを、Twitter以外に吐き出せる先がない。
子どもが静かになった一呼吸の隙に、Twitterへ吐き出す。
どれほど辛かろうが、産んだ以上は面倒を見なければならない。
こうしている間にも、赤ちゃんが泣きだした。
ママだけど、赤ちゃんから距離を置きたくなる。
でも、あやさないといけない、私はママだから。

これが、出産直後の彼女の「普通の日常」なのだ、と私は思った。
睡眠不足と孤立無援で精神が蝕まれていく彼女の気持ちを想像すると、鉛を飲み込んだような気持ちになった。彼女のように、育児放棄しない人間でありたいけど、私だったら耐えられないかもしれない。

そんなことを思いつつ、彼女の旦那さんが出ていく前の出来事を追うべく、下へ下へとスクロールしていた指が、お宮参りの報告のツイートで、手が止まった。

そのツイートは、旦那さん、お子さんと神社へお宮参りをする写真と共に、アップされていた。

画質の良さや夫婦揃って映っていることからして、おそらくプロに撮影を頼んだのだろう。恐らく、撮ってもらった全ての写真を載せたいくらいだけど、迷いに迷って、選りすぐりの写真をあげたのだと思う。(Twitterは4枚までしか上げられないため。)
その証拠に、彼女のインスタを見に行くと、他のお宮参りの写真が似た構図だったとしても、何枚も投稿されていた。

3度の流産を経てようやく生まれて来てくれた、1カ月28日の我が子を、妻と夫が覗き込んで、目を合わせて微笑み、家族で仲睦まじそうに寄り添う、お宮参りの写真。

この写真の撮影自体はおそらく1〜2時間前後だが、この写真を手にいれるまで、彼女は相当な苦労をしたはずだ。

彼女は典型的なワンオペ育児の体制だった。
新生児の育児で完全なるワンオペとなると、恐らく、自分だけの時間は24時間どこを探してもない。

カップラーメンも食べきれないくらいのわずかな時間を、着物を選び、カメラマンを手配し、神社を調べることに充てた。

取り外したいほどの乳の痛みも我慢して、最後にフルメイクしたのが思い出せないほど久しぶりに、美しく身なりを整えて、張り切って着物を着て、撮影に臨んだはずだ。

顔を合わせるたびに軋んでいく夫との関係、一瞬でも目を離したら死んでしまいそうな我が子への不安。
出来上がった写真は、そういう彼女の日常を微塵も感じさせない、美しく、誰が見ても幸せそうな、家族の「特別な」写真だった。

彼女はこの日のことを、どれだけ待ち望んでいたのだろう。

お宮参りは、子供の成長を祝う特別な日ということは、調べていたので知っていた。
でも、このツイートを目にするまで、私の「特別」の認識は、その子の人生で一回しか撮らないならそりゃ特別だよね、という理解だった。
この理解も、全くの間違いというわけではないけれど、あくまで育児の外側にいる人間の視点でしかない。

この人の「特別」と、私のイメージしていた「特別」の重さは、あまりにも釣り合わない。

そのことに思い至った時、私は彼女の日々の辛さを思って、声を上げて泣いていた。
彼女が、普段どんな思いで日々をやりくりし、どんな気持ちで記念写真を撮りにいくのか。彼女にとってどんなことが日常で、どんなことがどれだけ特別なことなのか知らないまま、ママのことがわからないと言っていた己の無知さ、想像力のなさが、恥ずかしかった。
 
彼女のように、ワンオペで育児をしている人がいることは、データとして知っていた。人それぞれだからで片付けて、具体的にどんな人間で、どういう生活を送っているのか、断片的にしか知ろうとしなかったことを後悔した。

私は彼女のことをTwitterに出ている情報以外、全く知らない。
私は結婚したことがないし、結婚相手がモラハラ気質だったことに籍を入れてから気づいた時の絶望感、自分の見る目はこんなものだったのかという諦念を味わったことがない。
流産の苦しみも、産む痛みも、授かってからの悲喜こもごもを経験したことがない私には、ママの気持ちはどうしても推し量ることしかできないのだけど。

彼女に共感してもらえるような、彼女の「特別」に見合うだけの、感情の重みが伴うような文章を、せめて書こうと思った。

というわけで、私はユーザーへの理解不足を痛感すると共に、ユーザーの気持ちを理解するヒントを、この出来事を通して少しだけ得た。

ある出来事から得た、ユーザーへの理解度を高める方法

「じゃあ、ユーザーを理解するには感情移入して泣けってこと?」と思った方、そんなことはないので安心してほしい。
ある出来事の経験を、他のユーザーの理解にも使えるプロセスに落とし込むにあたり、以下の2つ要素が必要なのではないかと気付いた。

  • ユーザーの日常について理解する必要性

  • 自分の一般的な日常の基準を通して、ユーザーの日常を見ていることを自覚する

私は段階を踏んで、上記の要素をとりこぼさないように、ユーザーの日常生活の理解を深める方法を生み出してみた。
手順としては、こう。

①自分の日常生活を言語化
②ユーザーの日常生活を言語化
③ユーザーにとっての「特別」を理解する
④ユーザーを取り巻く環境を知る

①&②は、ユーザー理解のため。
③&④は、ユーザー理解のためでもあり、ユーザーが日々感じていている事柄を、投稿文に落とし込むための準備作業だ。
(今回は、ユーザーへの理解に重点を置いているので、ユーザーを理解した結果、どのように文章を反映するかには、あまり触れない。)
以下、それぞれ詳しく補足する。

①自分の日常生活を言語化

ユーザーの日常生活はユーザーの数だけ無数に存在する。
全く同じ日常生活は一つも存在しない。

「ある出来事」を読んでくれた人には、人それぞれで片付けず、自分自身が体験したかではなく、いかにリアルなユーザーの日常生活に迫り、その行動の背景まで想像することが、ユーザーへの気持ちの理解へと繋がることが伝わっているはずだ。(伝わらない書き方をしていたら申し訳ない。)

つまり、日常生活を理解することは、ユーザーの気持ちを理解することへの足掛かりになる。

ユーザーの日常生活への理解を深めるため、第一ステップとして自分の日常生活を言語化してみるのは有効だと思う。

あなたは、「今日、何か変わったことは起きた?」と聞かれて、すぐに答えられるだろうか。
「特にない」「わからない」と答えた方は、自分の日常生活を言語化して、練習してみるのがいいかもしれない。

なぜなら、一番よく知っているはずの自分の日常を言語化できないまま、よく知らないユーザーの日常を想像するのは、難しいことだからだ。

この問いに答えられないのは、どこまでが自分の日常か把握しておらず、何がイレギュラー(変わったこと)なのかが、わからないからではないだろうか。

例えば、私は朝起きた時にコーヒーを一杯飲み干し、朝出かける時に前日に作っておいた水出しアイスコーヒー400mlを水筒につめて、それを職場で飲みきる。それでも物足りないと感じたら、オフィスの下に入っているファミマやエクセルシオールカフェで買い、帰宅後もコーヒーが飲みたいなと思ったら飲む。最近は寝つきが悪くなるので帰宅後のコーヒーは我慢しようとしているけど、誘惑に負けて飲んでしまうこともある。

これが、コーヒーを切り口にした私の普通の日である。
エナジードリンクではなく、コーヒーを選択する理由がある。
急冷式じゃなくて、水出しにしている理由もある。
何より、私にとって「1日、コーヒーを飲めずに仕事をすること」は「変わったこと」であり「すごく辛いこと」でもある。

このように、朝起きてからのルーティーンに始まり、夜に横になってまどろむまで、事細かにいつ・どこで・誰と・何を・どのように・なぜ・どの程度までやるのかを言語化してみる。

②ユーザーの日常生活を言語化

まず、アカウントのフォロワーを分析して、年齢、性別、職業、住所など、表面的に得られる情報を集め、誰向けに文章を書くのかを、知る必要がある。

アカウントのテーマ・目的にそって、さまざまな特性がある人物像を、何パターンかグループ化してみる。「どういった特性の人物の日常を、言語化する必要があるのか?」を考えるのは、いわゆるペルソナ設定である。

ペルソナとは、サービス・商品の典型的なユーザー像のこと。実際にその人物が実在しているかのように、年齢、性別、居住地、職業、役職、年収、趣味、特技、価値観、家族構成、生い立ち、休日の過ごし方、ライフスタイル……などリアリティのある詳細な情報を設定する。

今さら聞けない「ペルソナ」とは。意味やマーケティングでの活用方法、作り方も解説!

その次に、できたペルソナに、アカウント特有で必要になってくる詳細な情報を組み込む。

私の場合だと、ママ向けに考えることが多いので、育児や出産関係にまつわる情報を集める。
出産年齢や結婚年齢、世帯年収、出産育児にかかる費用の概算、育児で起こるイベント、育児をすると誰もが突き当たる悩み、ママに人気のアカウント、使っているアイテム、普段利用するお店、 Instagramでママによく使われるハッシュタグなど。

これは落とし穴なのだが、年齢と生まれ、居住地、職業といった表面上の特性を把握しただけでは、日常を言語化する対象のユーザーを絞り込めただけで、ユーザーの日常を理解できたことにはならない。

これらの情報を元に、アカウントに集まってほしいターゲットとなるユーザーが決まったら、その人がなぜその日常に落ち着いたのか考えてみる。

朝起きてから夜寝るまで、なんなら寝ている間の様子も、事細かにいつ・どこで・誰と・何を・どのように・なぜ・どの程度までやるのか、みっちりイメージする。

この時、忘れてはいけないのが、「投稿や文章を公開する時点での」ユーザーの日常をイメージしている、という認識。

過去の日常を積み上げてきた延長線上に、今の日常がある。
想像を働かせて、過去の日常をどう過ごして、現在まで変化してきたのか、未来に向けて日常は変化していくことも、頭の片隅に置いておくと、「今」なぜその日常を送っているのか、理解が深まると思う。

具体的にこの作業をどこまでやるのか、だが。
時間が許す限り、としか答えようがない。

一番想像しにくそうな、「なぜ(行動原理)をどの程度想像するのか」の例を出したい。

私が「ある出来事」に遭遇する以前、過去にワーママの一日を調べた時のことだ。
覚えているのは、「夕方、お迎え前のコーヒー。このコーヒーで、その後の家事や育児も頑張れる」的な文章が差し込まれていたこと。
当時の私は流し読みしてしまったが、今の私なら一旦立ち止まって考える。

隙間の時間にコーヒーを飲みにいくのはコーヒー好きだから、というのもあるかもしれない。
でも、一歩踏み込んでこのワーママの日常を想像してみる。
家庭に帰れば母として、職場では上司としての役割を求められ、ママでもなく、職場の役割もなく、ただの「私」でいられる時間が、コーヒーを飲む15分しかないのかもしれない。
無意識か意識的かはわからないが、貴重で大切な時間だと感じている背景があるからではないか?
こんなふうに、「ある出来事」を経た私は推察する。

なお、これは推察なので、全く違う理由から飲んでいる可能性はある。
ただの考えすぎか、全く想像のつかない要因の可能性もある。

このワーママの話だけでなく、ユーザーの日常を想像しても、合っているかどうかの答え合わせは、完璧にはできない。
似た立場にいる人に聞いてみて、大きくずれていたら修正するくらいしか方法がない。

ただ、無駄とは思わず、ユーザーの日常を想像してみることが大切なのかもなぁ、と最近は思う。
なぜなら、自分の本音にすら嘘をつくのが人間で、何が本音なのか、なんなら本人もわかっていないこともある。第三者に言われてはじめて、気づくこともあるからだ。
ユーザー自身がなぜそうするのか、を意識せず生活していることもあるのだ。

最初の予想は外れるものとして、まず想像してみる。
想像した後、できることならユーザーと近い立場の知り合いに、実情を聞いてみる。
周りにいないのであれば、対象のユーザーに限りなく近いSNSアカウントをみつけることも有効だ。
その人の日々のツイートやインスタのストーリーズ、投稿をその人のものだけ追ってみる。その人の日常を加味して、方向性が大きく間違ってないか確認する作業が必要だと思う。
(他の人の投稿が紛れすぎると、一般化されすぎて日常の解像度が曖昧になることもあるので注意が必要ではある。)

③ユーザーの「特別」が何かを理解

②で日常を理解すると、その対比で、何がどの程度だと、特別なのか理解できるようになる。

あなたが簡単レシピを投稿する、料理系アカウントの担当者だったとする。
あなたは、見てくれるユーザーに、投稿を保存して、作るときに見返してほしいと考えるかもしれない。あわよくば、コメントで美味しそうと言ってほしい。そう期待して投稿するはずだ。

ただ、アクションをユーザーが起こすのは、当然ながら「そうしたい」と思った時だけ。
そして、しばしば私たち企業アカウントが促すアクションは、ユーザーの日常(ルーティン)から外れることが多い。

週6で外食または毎日コンビニ弁当の人が、インスタで偶然見かけた簡単レンジレシピをつくる。
職場で食べるランチは手作り弁当持参で、朝も夜も毎食自炊する人が簡単レンジレシピをつくる。

結果として起こす行動は「簡単レンジレシピを作る」で一緒でも、語るべき文脈が大きく違うことが、伝わるだろうか。

イレギュラーな行動を求める時、どれほど日常生活から外れるのか、どれほど特別なことなのか、理解する必要がある。
「普通の状態」の解像度をあげておくからこそ、どの程度「特別」なのか理解が深まるのだと思う。

深く考えず、「レンジでたったの3分!簡単レシピを試してみてくださいね」と、当たり障りのない投稿文を書くこともできる。
また、深く考えた結果、こういう文章に結果的に落ち着くこともある。

でも、浅い理解のままでは、「今回はどんなことが書いてあるのかな」とワクワクする文章、「これは自分のための文章だ」と思われるようなことを書くことはできないのではないか。

④ユーザーを取り巻く環境を知る

掘り下げたユーザーの日常は、他の人間との人間関係で成り立っていることも忘れてはいけない。

Twitterではほぼ毎日、育児系のツイートがバズっている。
そのリプ欄や引用RT を見ていると、実に多様な、育児に対して批判的な意見がみられる。

目を背けずに、批判する側の意見も、日常の延長線ででてきた意見なのだ、と背景を考えてみる。

すると、なぜその意見になるのか、ある程度は推察できるようになる。
批判的な意見の持ち主が、誰かの夫か、上司か、友人か、義実家か、親族か、相反する信念をもったママか、赤の他人か、その他なのか、時々によるけれど。

重要なのは、この批判的な意見を持つユーザーたちと、今回、私の向き合うべきユーザー(ママたち)が日常生活で接している可能性があることを、覚えておくこと。

批判的なユーザーと本来、向き合うユーザーがどのような会話をしているのか、ユーザーがそれに対してどんなリアクションをとっているのかを、知っておくことは重要だと思う。

あと、これは自戒を込めてなのだが。
「ママの大多数はこれに困っている」というような、データを集めることはいいことだし、ツイートやインスタの投稿を見るのもいいことだが、表面的な部分だけを見て、ユーザーを分かった気になってはいけないなと、思った。

データは、ユーザーを理解する道しるべになるし、自分の推察が間違った方向へ進んだ時の修正に使える。なにより、クライアントから求められている文章を書く時は、こういうデータを踏まえて書くことは必須だ。

データだけでは、語りきれないユーザーの日常を知る。
「ユーザーの気持ちを考えて文章を書く」時には、データに基づきながらも、「どうしてその行動(日常)なのか」を、念頭に置く必要がある。

紹介したステップを踏めば、ある程度、ユーザーがどのような気持ちで毎日を過ごしていているか、少し理解できるようになっている……と思う。

おわりに

まず、ここまで読んでくれた方に感謝を。
長文をお読みいただき、ありがとうございます。

今回のnoteはある意味、不完全でもある。
紹介した作業だけでも大変なのに、ユーザーの日常への解像度が上がったからと言って、そのままの状態では投稿できないからだ。
投稿用に文章を成形する作業も、また大変である。

各種SNSに投稿される企業アカウント文章を書くのは、料理みたいだなぁと思う。カレーを作ると一口に言っても、何カレーを食べたいのか、何の材料を入れるかは、その時々によって違う。

カレーの種類(アカウントのテーマ)にあわせて、材料(ターゲットとなるユーザー)を、何パターンか検討して適したものを用意する。同じ人参(ユーザーの日常)でも、生育環境の違いや運送方法(使用するSNS)によって、それぞれ形や色で個性が出る。
相手に食べさせたい味付け(実際に投稿される内容)に合わせて、人参(ユーザーの日常)をどれくらい細かく切るか(どれくらい投稿文章に反映させるか)を決める。

これらの配合の仕方や切り方には、まだ工夫できる部分がありそうで、「どうやってユーザーの日常を、企業アカウントの文脈に流し込むか」は、次回以降のnote を書く未来の自分に任せようと思う。

誰かの日常を理解するのは、一朝一夕でできることではない。
随時、アップデートしていく必要もある。
正直言って、すごく体力を使うし、ユーザーに共感しすぎると、精神も持っていかれそうになる。ターゲットとなるユーザーが、自分とから離れた属性だと、調べる要素が多くなりすぎて、気が遠くなることもある。

ユーザーへの理解は、社会人1年目の私には難しくとも、この投稿を読むあなたの過去の経験でカバーできる部分もあると思う。
また、文章を書く天才なら頭の中で完結できる可能性がある。

でも、残念なことに、私には経験もなく、天才でもなかった。
そのため、ユーザーの気持ちに寄り添うにはどうしたらいいか、今回のnoteのように考えながら、日々文章を書いている。

ユーザーの気持ちがわからないと、私と同じように悩むあなたの期待に、応えられるような内容を書けただろうか。
この長文を読み切ってくれる人が、そもそも少ない気がするけど、誰かひとりでもそう思ってくれたら、嬉しい。

それでは、次のnoteでまたお会いしましょう。

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