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SNSの言葉たち。

最近のこと。
YouTube中毒の5歳のムスメが、最近すべての会話をYouTuber構文で言うてくる。

朝出かける前「靴下履きなさーい!」と言えば
「はい、靴下はいていきまーす」

夜ごはんのとき「野菜も食べなさい!」と言えば
「じゃあ、トマトたべていきまーす」

ピアノの練習で「歌わないから同じところで間違えるんだよ!」と言えば
「歌わないからまちがえたと思った子は、ぐっとぼたんおしてね~」

う・・・怒ろうにも妙な脱力で力が入らん! 

この脱力の源泉。それは「場違いに笑ってしまう」こと。

「●●していきまーす」

この一言で、私は100%YouTubeを連想してしまうのだが、これはSNSの表現を考えるにあたって大事なことだったりする。

今日は、SNSの言葉の表現について考えてみたいと思います。
まあ、一杯どうぞ。

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情報のほかに消費しているもの。

私がSNSの仕事をするようになって一番最初に感じた挫折。
それが、「SNSのコピー下手!」である。

まがりなりにも編集者からキャリアをスタートして、自分で原稿も書いてきたし、コピーや記事のディレクションもかじってきたので、文章については多少なりとも自信があったのです。

が・・・これが全然ウケない。ゾッとするくらい。
SNSのほうがカジュアルな文体であることくらいは見ればわかる。
でも、見よう見まねで絵文字を入れてみたところでたいして良くなった感じはしない。(当たり前)

何やらSNSのコピー表現においては全然違うルールが存在するようだ・・・
と、自分なりに投稿を研究していく中でひとつ気付いたことがありました。

人間にはどうやら「情報をエンタメ的に消費するモード」があるらしい。

飽食の時代。
というのは何も食べ物だけでなく、情報についても言えると思います。

あらゆる見たいもの、知りたいことに待ち時間なくアクセスできる。
でも、実はそのときに摂取しているのは情報だけではなく、その表現のされ方までを無意識に期待しているんじゃないでしょうか。

TwitterにはTwitterナイズドされた小粋な言葉の表現を。
インスタにはインスタナイズドされた画像映えする言葉の表現を。
TikTokなんてその極みで、完全に演出とセットで表現のお作法を楽しむ場になっています。

SNSを仕事的に扱った人なら「言い方ひとつですべての反応が変わる」という経験、したことがあるのではないでしょうか。

こっちのほうが情報として有益なのに、なぜあっちのほうがいいねが多い?

それは、見る人のエンタメへの期待をうまくつかんでいる場合が多いと思います。
そしてエンタメの期待の一つが「SNSナイズドされた表現」なのだと思います。

「雨の日、●●があれば傘いらず!」より「まだ傘つかってるの?」
「紫外線カットは××で決まり!」より「××しか勝たん!」

正しく説明することより、”つかむ”ことが大事な局面も結構ある。

そういう、ユーザーのSNSならではの見えない期待をとらえることも大事なことなんだなあ…と思うのです。

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あえてもろい言葉。

さて、「SNSナイズドされた言葉」というのは、いったいどんなものなのでしょう。

この前、とあるスペースを聞いていたら「言葉の耐久性」のお話が出てきて、それがとてもヒントになるなあと思いました。

言葉の耐久性とは将来的に残っていく言葉か、瞬間的に現れて退場していく言葉か。
という意味合いだったと記憶していて。
時代を超えて読まれている小説などはやはり耐久性の高い言葉で書かれているものが多いわけです。

これはとてもわかりみです。(わかりみは、耐久性が低いことばです)

さて、ここからは個人の見解なのですが、
「SNSナイズド」された言葉は「耐久性をあえてなくしている」と私は思います。

花火のように瞬間的に打ちあがり、広がり、人々が盛り上がり、一瞬で記憶から抜けていくような。
SNSとは、各所でそんな言葉の花火が打ちあがるような場所なんじゃないでしょうか。

ここまで読んできて
「でもそれって、あんまり正しい言葉の使い方じゃないんだよなあ」
「個人が使う分にはいいけど、企業として使うのは抵抗があるなあ」

そう思われる方もいらっしゃると思います。

言葉はその人から生み出されるものなので、演じることが結構難しいものです。かといってばっさり捨てるのはもったいない。

思うにこの話はひとつのやり方の話で、実際、選択肢はもっとあります。

個人の「ナイズドされた文体」にファンがつくことや、トレンドとは切り離れた長文解説でコアなファンを集めることもできる。

何より、SNSの流れはとても早くて、今日の主流が、1年後も主流なんてことはありません。

SNSというのは、表現においても壮大な実験場だと思います。

「やる・やらない」という決定以上に、いろんな表現や事例の引き出しを持っておく。
そのうえで、自社にとっていい表現をたくさん試す。

これが、名SNSコピーライターへの近道なんじゃないかな、と思っているこの頃です。

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解像度高いやつ

この前mixi日記を掘り返したらあまりの青さに悶絶しました。心の内側を吐露しまくって10年後悶死する表現こそが正しい「mixiナイズド」だと思うんですけど皆さんどう思います?

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