大きな貢献 小さなこうけん
先日、寄付についてのテーマのテレビ番組がありました。
寄付と言えば、ふるさと納税を思い浮かべますが、
これは上手い制度だな、思ったことがありました。
大都会への人の流出はよく言われていることですが、
人が少なくなって、税収が減って、
困っている自治体は確かにあるんだろうなと、
ふだん、そういった事には、なかなか思いを馳せることのできない婆も
感じたことがありました。
面積は大きくとも、人の住むエリアが小さい自治体。
以前、ある一県のみ集中の旅行に行ったとき、
とても素敵な県で、大好きになってしまったのですが、
レンタカーで走っていて、全体的に、よく白線が見えず、
右折に入っていく車線がよく見えないという事がありました。
(特に夜)
そのことが財政とつながっていると、すぐに言えることではありませんが、
地域によっては、その地域特有のお金がかかる案件もあるでしょうし、
例えば、雪の多い所は、除雪車の出動、凍結防止剤の散布とか、
まったく、そういうものが必要ない自治体と、
そういう経費が莫大になる自治体と。
それに、人が住まない、大きな面積の部分の管理も何かとあるわけです。
それで、ふるさと納税の返礼品に、その土地の強みを生かして、
その土地になじみのない全国の人からも、喜ばれて寄付を集める。
逆に、人口の多い自治体は、ふるさと納税によって、
税収が減って困っているといった話も聞きますが、
ある一定の額は、担保されている訳ですし、
大都会も、
例えば、ふるさと納税だったとしたら、
返礼品に工夫をこらせる要素は何かないかな、
と、婆なりに考えてみますと、
新しい進路に進むために、子供が故郷を出て、
大きな都会で生活するようなことは多々あると思いますが、
そうなると、一回、または、何回も?親御さん達はそこに赴いてみることもあるかもしれません。
そういった時に使える、さまざまな優待券とか、
球場があるところだったら、観戦券とか、
そこにしかない、美味しい料理を出す有名店の食事券とか、
宿泊割引券とか。
自治体経営の交通手段の、全線無料回数券とか。
そのエリアのスポットを巡る、はとバスみたいな、
一日観光できるバスツアー無料券とか。
とにかく人が多いのですから、
いろいろな証明書や書類を取得される件数も多いでしょうから、その取得料を少し上げるとか。
上記は何にも知らない脳天気な婆の、余計な一言かもしれませんが。
寄付というと、
世界中の大富豪が、
すごい金額の寄付、または社会貢献をされているのを聞くと、
もちろん税制上の恩恵もあるのでしょうが、
もう、そのレベルの人達は、お金の執着から一切解放されて、
自分の持っているお金で、真に貢献したいという心情なのではないかと
想像します。
(全員かどうかはわかりませんが。人はひとそれぞれですから。)
『たられば』ですが、
もし婆がその立場になったら、ですが、やっぱり、寄付すると・・・思います。
うーん、したい・・・と思います。
う~ん、できたらいいな・・・と思います。
(いったい、どれ?)
そういう立場になってみたいものです☘️
( 話はそれて、先日ラジオで、ゲストの女の子が
「たらればって、食べ物のことだと思ってました~♩」
と言っていて、
タラとレバーの料理???
なんか可愛い♡と微笑んでしまいましたが、
『たられば』は、
仮定の話、~だったら、~であれば、の略語です♩)
今なにかと話題の、
ひろゆきさんも、
『児童養護施設にPCを無償で配ろうプロジェクト』というのをやっておられましたが、
その発想はすばらしいと思いました。
パソコンは、いろいろな可能性に通じている、
もし学校に行けなかったとしても、経済的自由を得られる可能性を無限に秘めている。
だから、パソコンが、子供の時代から、身近にあるように、という願いです。
婆は、PCが身近にあっても疎いので、
さらに、パソコンのいろはや、プログラミングのいろはを
教えてくれるボランティアの人が、各施設に現れてくれたらいいな!
施設側も受け入れてくれたり、そういう企画を催してくれたらいいな、
とも思います。
寄付・・・と言えば、
以前、知人からこんな話を聞いたことがあります。
高額宝くじに、もし当たった時!
「そういうときは、一部を寄付とかした方がいいんだって。
皆の念や欲の入ったお金だから、全部を自分のものにしないで、
すこしは、外に流した方が良いんだってさ。」
へぇ~と思いました。
確かに、汗水たらして得たお金、自分の頭を使って得たお金、
ひとことで言うと、自分で得たお金、でないお金のことを
『あぶく銭』という言われ方をすることがありますが、
念や欲というのは、エネルギーであるから、
そんなこともあるのかな、と思いました。
一部を他へ流すっていうのは、
念や欲のエネルギーを、外へ流すっていうこと?
寄付する以外には?
他人様にご馳走したり、ご招待したり、喜んでもらう事に使うってこと?
じゃあ、寄付するとしたらどのくらい?
宝くじに当たらない人に限って、
使い道をあれこれ想像するものだ、なんて言われ方をしますが、
高額宝くじに当たった方、これはそんなもんですか?
それで、じゃあ、そんなあかつきには、何割寄付するか。
婆はちゃんと決めました。(笑)
『与えよ、さらば与えられん』
・・・世の中のすごい本、あっちこっちで
「先にあんたがあげな」と言ってますが、
婆を含め、多くの人は、気軽に無償の寄付ができるまでは、
なかなか行き着けない心境だと思います。
経済的に、ある程度余裕がある方でさえも、
将来の何かに備えておきたい、
さらに、完全に不安がなくなるまで資産を殖やしたい、と
ビルゲイツさんみたいな心境で寄付の出来る方は少ないと思います。
そんな中、
自分が身銭を切るのが痛い中で、多くの方々が自ら自ら寄付をしたのが、
10年前の東日本大震災でした。
大地震だけでなく、津波、原発事故と、三重苦の
信じられない現実を見て、
その被害を、実際にこうむられた方々に、
何かしないではいられない。
ボランティアで、現地に駆けつけた人、
他にも、あのときは、いろいろな思いの発現のしかたがあったと思いますが、
寄付をされた方もたくさんいらっしゃったと思います。
それで、驚いたのが、ソフトバンクの孫さんの寄付金額でした。
100億円。
誰もが、まの当たりにしたあの映像。
あの映像を見て、
あの時その瞬間、純粋な気持ちで発言されたのだと思います。
実際、その後、有名実業家の方々も
多大な寄付をされていました。
もしかしたら、孫さんのその数字に、多少影響を受けられたことも、少しはあるかもしれません。
影響があったとしたら、
実際の寄付自体も大貢献ですが、
あとに続いて、大きな金額の寄付をする気に、他の人にさせた、
ということも、大きな貢献と言えるかもしれません。
それで、婆も、自分の身の丈よりもちょっと多い寄付をさせていただきましたが、
当時、社会人になりたての娘も、寄付をしたいと言いました。
それであの大災難が起こる以前に、
娘とちょっとした会話があり、
息子が、スポーツで、地元紙に載るということがあって、
「いいなあ、あたしなんて、まだ一回も新聞に名前載ったことない!」
と娘がふざけて言ったことがありました。
親からしてみれば、ありがたい事柄で新聞に載る可能性が
もしあるとしたならば、
息子よりも、まだ娘の方が確率がある、
と思い込んでいて、人生に起こることはわからないものだ、
意外なものだと思ったぐらいなので、
娘に、
「○○新聞を通じて寄付すると名前が載るよ。どこから寄付しても良いんだから、○○新聞から寄付すれば?」
と提案しました。
さらに、孫さんのことで、思う事があって、
「あんたが寄付したい金額のうちの、1000円だけを○○新聞に寄付するっていうのはどう?あとの金額は別のところからすることにして・・・。」
と追加提案しました。
あのとき、寄付の振込料は、どこも無料であったので、
2つに分けても、振込手数料自体はかからず、同じだったのです。
その理由は、○○新聞には、金額ごとに名前が掲載されて、
最低でも、たしか5000円以上の人ばっかりだったのです。
娘は、1000円より多い金額の寄付をするつもりでしたが、
婆は、もっと気軽に少ない金額でも寄付ができればいいのに、
これじゃあ、○○新聞には、気持ち的に5000円以上の人しか
寄付出来ないよ、
と思いました。
たとえば、お年玉から寄付をしたいと思う学生さんも出るかもしれませんし、
親として、こういう大変な時に、子供に、小さいときに、
ささやかでも、出来る範囲の貢献があるということを教えたい親御さんも
いるかもしれません。
そういった時に、新聞に名前が載るということは、
貢献そのものからは離れているかもしれませんが、
達成感もあって、ちょっと嬉しいものかもしれません。
それに、婆も、子育て期は、経済的にキツかったです。
東日本大震災が起きたときは、娘の教育費だけは済んでいましたけど、
もし、一番キツかった時に、あの大災難が起こっていたとしても
できる範囲の寄付をしたいと思ったかもしれません。
そうしたら、自分がファミレスランチ1回分行ったとして、の額が
やっとだったかもしれません。
それでもその額の寄付をしたいと、きっと思ったと思います。
1000円寄付する人がたくさんいたら、
わたしも、わたしも、と寄付する人が多くなるかもしれません。
5000円ではない100円だって、500円だって、1000円だって、
尊い『まごころの100円、500円、1000円』ですし、
集まれば、大きな大きなお金になります。
絵本、『スイミー』のお金版です。
だから、新聞の寄付者名 掲載欄に【1000円】の表示の欄が出て、
誰かが名前掲載されたら、
続いてくれる人が出てくるのでは、と思ったわけです。
孫さんが、大きな金額を皆なに出してもらう気持ちにさせる、大きな貢献がもしあったのなら、
多額の金額はできないけど、少しでも寄付したいと思う人の背中を押す
小さな貢献ができないかな、と思いました。
それを言ったら、
「えー、やだー、お母さんがやれば?」
と言ったのですが、
「お母さんは、もう寄付しちゃったから。それに誰もそんなとこ見てないから大丈夫、大丈夫!」
と、自分のことは棚に上げて、娘にやらせるという、ズル婆ですが、
親の権力で押しました。
そして、娘の名前は載りました。
今でも、その新聞は、大事に保管しています。
けれど、甘くはなく、その後1000円寄付する人は続きませんでした。
残念でしたが、
寄付に、1000円コース、3000円コース、・・・・・続く→・・・、
と、【くくり】が最初からあって、選べるものなら、
その中から選びやすく、実際選ぶ人も出てくると思うし、
実際、こういった緊急の寄付ではない、
随時、寄付を募っている団体などは、そうしているところもあるらしいのですが、
寄付とは、気持ちなので、突発的な寄付の場合は
そういうシステムは無理かな、とも思いました。
小さい貢献は空振りになってしまいましたが、
気持ちだけ、「小さなこうけん、したかった」という思い出になりました。
寄付についての番組を見て、
いろいろ思い出し、
つれづれに寄付のことを書きました。
【追記】
令和6年(2024年)1月に起きた、石川県の能登半島地震の時に、インターネット上で寄付の受付がたくさん案内されておりました。
婆も、ネットで比較検討して選んだところで寄付をさせていだだきましたが、
オンラインでは、その場で、クレジットカード、コンビニ決済、電子マネー、キャリア決済、その他PayPal他等や、
Tポイントでの寄付、銀行振込での寄付など、さまざまな選択肢があり、
婆がクレジットカードを選択した時は、
金額も、1000円・3000円・5000円・10000円・その他(自分で金額を自由に書き込む)
の中から選ぶようになっていました。
寄付の仕方も進化して、
便利になったなぁ、と感じました。