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初めての熊野一人旅(2日目ー①)
明日は旅の2日目、という前日の夜。
宿の広い温泉に入って、食事も大変美味しく頂き、
部屋に戻ると、一日目の疲れがどっと出て眠くなりました。
出発日ということで、今日の朝は早かったし、
旅というものは、すべての見聞、体験が楽しく新しく、
気持ちは終日全開フル回転なので、
楽しくとも無意識に気は張って、知らず知らずに体はエネルギーを消費しているものです。
眠たかったけど、明日の早朝参拝の玉置神社の行き方を、もう一度インターネットでいろいろ見ているうちにハマってしまい、結構遅くなりました。
それほど、(行き方以外にも)いろんな記述があった訳です。
昼間に下見をした道がやっぱり一番良い、と改めて思い、
4時起床でアラームをセットしました。
Google Mapで調べると、
宿から玉置神社までは片道30.5km、車での所要時間は40分強。
起床したら、ササっと30分ほどで身支度をし、5時半前には玉置神社の駐車場に着ければ、という目算で、
往復の時間と、参拝の時間を考え、
宿の朝ご飯🍚の時間に間に合うように帰ってくる為には、
そのぐらいの時間と判断しました。
それでも宿に迷惑をかけては申し訳ないので、
フロントに予め早朝参拝のことを伝えておき、
実際の所要時間など、地元ならではの情報も教えてもらい、
その時間帯の、館内から外への出方なども教えてもらって、
さらに、ちょっとぐらい朝ご飯に遅れても大丈夫ですよ、とまで言っていただき、本当にありがたく思った次第でした。
さらに早朝参拝にせっかく行くのだから、
なるべく人がいない時間、出来れば一番乗りを目指したいとまで欲を出し、
でも暗い山道を歩くのは無理、とも思い、
9月で、まだ割と早く明るくなってくれることも幸いして、
午前4時起床、決定しました。
真偽はわかりませんが、いくら神社といっても、夕方や夜に行くのは好ましくないという話も聞いたことがあり、
神社の中には、開門の時間が決まっているところも多くありますが、
玉置神社は、山の神社で、出入りの時間は特に決まっていないので、
この時はこの時間に決めましたが、
もっと日の出が遅い季節だったら、もう少し到着時間を遅らせていたかもしれません。
それで、さあ寝よう、と、
布団に入る前に確認すると、
やっぱり台風は明日午後、この近くにやってくる。
直撃をもし免れたとしても、何らかの影響がかなりあるのは確かで、
もし明日の朝、雨がひどかったらどうしよう。
( たしか、前夜のその時は、もう雨が降り始めていた気がします。)
かなり山奥ということだから、土砂崩れの可能性だってないわけじゃないし、
駐車場から20分山道を歩くというし、
もう、そんな時はあきらめよう、と思いながら眠りにつきました。
その後どうだったかというと、
大体そういう顛末で眠りについて、アラームが鳴ると、案の定、婆はパッと起きられず、
アラームだけはしっかり素早く消して、
寝ながら朦朧とした意識の中で、「大雨が降っているに決まっている」と勝手に決めつけ、「ほら、大雨の音も聞こえる」と思い、
「今日は無理だ」とそのまま寝ることに自動的になりました。
すると!
ピッ!と音がしたのです。
そこで、ハッと目が覚めました。
車のドアを開けるキーの音です。
え?
と思って、寝ながら窓を見ると、又、ピッ!と鳴って、
曇りガラスだったか、障子だったか、外は見えないながらも、オレンジに点滅するのが見えました。
外の駐車場で、誰かが車のドアの開け閉めをしたのです。
あのピッ!という音、
ぜんぜん大きな音ではないのですが、
その時、半睡眠の婆の脳内に、ピッ!とまっすぐ一直線ダイレクトに届き、入ってきました。
普通だったら気が付かないところですが、婆はアラームで一度起き、
浅いウトウトだったので気がついたのだと思います。
外と言っても、婆が泊まっていたのは、建物の3階ぐらいだったと記憶していて、
「誰か早朝参拝に行くのかな。それだったら婆も行かなきゃ!雨は?」
と思って、急いで起きて窓から下をのぞいてみると、
従業員の方が出勤してきた時だったようで、
外は完全に雨でぬれていましたが、その時だけは止んでいました。
その方が傘をさしておらず、ゆっくり歩いているのが見えて、それがわかりました。
「えっ?雨降ってないじゃん!」
「雨の音、してたよねぇ・・・?」
キョロキョロ回りを見渡して・・・、
ウトウトした頭で雨がザーザー降っているように錯覚したのは、もしかしたらエアコンの音?だったかもしれません。
そこで、もうはっきりと目が覚め、急いで支度をしました。
これは神様が起こしてくれたに違いない!と確信し、
不思議な気持ちで感謝しました。
良かったー!起きれて!
自分の弱さに負けるところだった。
と言うか、完全に負けましたが、ピッ!という偶然の、音の他力により、
助けられました。
ありがとうございます。
出発予定の4時半はとうに過ぎていましたが、そんなこんなで5時には出発できました。
宿の駐車場を出発し、
大まかなコースとして、
① 熊野川に沿った国道168号線を、
昨日参拝した熊野本宮大社を左に見ながら真っすぐかなり北上し、
②『赤い鉄橋の橋』を渡った後の分岐点を、
右にゆるやかに曲がっていく168号線の方をそのまんま選び、
その辺までで北上は終了。今度は自然に東方面に向かう形になっていきますが、
③ この後、数回【←玉置神社はこちら】というような簡易な表示が出てくるので、
その通りに行けば着きます。
『赤い鉄橋の橋』通過後すぐは、国道168号線と国道425号線の分岐点なので、そこだけストリートビューで見ておくと安心かもしれません。
そんなシンプルな道なのに、
出発間もない段階で、
なんと、ナビはぜんぜん違う道を選択し、反対方面を指示しました。
宿である『わたらせ温泉』からの道は、上記、国道168号線にT字で突き当たり、そこを左折すると、熊野本宮大社で正解、後はまっすぐなのですが、
それまで、その道を画面に示していたというのに、
そのT字交差点で一旦赤信号で停まって、
青になったのでゆっくりアクセルを踏んで、左折で曲がろうとした瞬間...の、ちょい手前!で、いきなり表示を変え、
ボロンっと一気に右折の道に色が変わりました。
瞬間うろたえ💦、あんなに予習して確信、下見までしたのに思考停止し、
ナビの言いなりに、方向指示器と共に思わず右折してしまいました💦💦
頭が空白になった時、機械の言う通りに無思考で従ってしまった自分。
今後さらに、人間はAIに勝てるものでしょうか💻
ともあれ、右折方向は南下で、反対方向。
?????と思い、
随分走りながら、
ナビがこっちを選んだんだから、こっちの方が良いという事かもしれないとか、
こっちでも行けることは行けるんだろうと迷いましたが、
やっぱり、【全部ではないが途中までは下見した道】は確実なんだから、と
引き返すことに人間として決めました。
もしナビの道で行けなかっり、遅くなってしまったりしたら、下見までしてたのに絶対後悔する。
せっかく早起きも出来たのに!
インターネット上の様々な書き込みも頭をよぎりました。
そう決めて、引き返そうとしましたが、
ここも山沿い川沿いの道。
簡単にUターンできるわけではなく、引き返せる所を見つけるまで結構かかってしまいました。
引き返して、さっきのT字路交差点の所をやっと通過し、
そのまま熊野本宮大社の横を通り過ぎる時、走りながら窓を開けて、
誰もいない夜明け前の道路、少しだけ大きめの声で、
「熊野本宮大社の神様、これから玉置神社に行きますが、どうか無事に行って帰ってくることが出来ますよう、お見守りお願いいたします。」
と声に出して真に祈りました。
一人旅って、こういうことも出来る。
主人と一緒では、さすがに出来ないと思います。
さて、
【←玉置神社こちら】という表示が出てくるようになると、本格的な山道になってきます。
ここまで、雨は降らないで、降ってもぽつぽつ程度で何とか押さえられ、
無事に山道を上がって来ましたが、車はまだ1台も見かけません。
土砂崩れや倒木、通行止め等の心配や不安を感じながらここまで孤独に運転してきましたが、この辺でかなり肩に力が入っていることに気がつきました。
それで、
心細さもあり、音楽でも、と思いましたが、
かといってラジオはダメで、
レンタカーだし、音楽を聴けないのなら、もうこの際、自分で歌おうか、と思い付きました。
早朝、人っ子ひとりいない山道の、一人車中の旅だから出来ること。
回りに誰もいないので、誰に見られる、聞かれる心配もありません。
ひとりカラオケ状態ですが、
それで
歌うというのなら、下手な歌でも、
玉置神社の神様に、歌を奉納させていただこうと思い至り、3ヶ所の窓を、全開ではなく半分ずつぐらい開けました。
開閉可能の4ヶ所すべてを開けると、髪が大変なことになるところですが、3ヶ所だと何故かそうならないと聞いた事があるのです。(素直)
「玉置神社の神様、わたくしは、○○から参りました○○という者です。
本日は、かねてより願っておりました、こちら玉置神社への参拝が叶い、ここまで伺うことができました。
ありがとうございます。
つきましては、駐車場までの道、私の拙い歌を奉納させていただきたく、
お耳汚しかとも存じますが、何とぞどうぞよろしくお願い申し上げます。」
と声に出して言いました。
人里に戻ってくると、歌の上手い下手はありますし、
声の良し悪しもあり、婆には出来ませんが、
今は聞いている人はいないし、
神様には真心が大事!と思い、
神様が喜びそうな歌ってどんな曲?と考えて、
古来からの雅楽を考えると、そういう感じのは出来ませんが、
ゆったりした中に明るさもあるような曲かな、とか
あと、メジャーな曲だったら人間にも好かれているんだから良いかな?とか、
あんまり色恋の情感が強過ぎないのが良いかな?とかいろいろ考えて、
ジャンルや歌手もいろいろに、自己満で、いくつか歌いました。
何を歌ったか、もう覚えていませんが、
あの時も今も婆は同じ人間だから、そうそう変わってはいないだろうという前提で今あげてみるとすると、
例えば、中島みゆきさんだったら、『時代』とか。
サザンオールスターズだったら、『YaYa (あのときを忘れない)』とか。
ほんとにカラオケのノリみたいですがーーー。
学生の時、歌詞を一生懸命暗記したビリー・ジョエルの『Honesty オネスティ』。
そういうイメージの曲だったと思います。
キーが高すぎたり何なりで、婆には歌うのが無理なのも多い中、
邦楽だったら、いろんな方々のいろんな曲が頭に浮かびます。
それで、歌っているうち、ついに何とか目的地の駐車場に到着することかできました。
ほっ・・・
(最後の方は、運転に集中して無言になりましたが)
婆が一番乗りかと思ったら、地元ナンバーの軽自動車がすでに1台、鳥居寄りの白線外の箇所に停まっていて、関係者の車?とも思いました。
まだ雨は降っていませんが、今にも降りそうな重たさはずっと変わりなく、
コンビニで買った携帯用の白いビニールのレインコートを着て、
傘を持って、と参拝の山道を歩く準備をしていると、
1台、車が入ってきて、広島ナンバーでした。
広島からじゃ大変だったな、なんて思っていたら
中から若い男の子2人と、女の子1人が下りてきて、手を伸ばして背伸びをしていました。
一足先に、婆は鳥居を通って、山道の参道を歩きはじめます。
今回の旅は、たまたま事前にどの神社もほとんど写真を見ておらず、
行ってから見るのが初めて、の景観、体験となったので、
昨日もそうですが、
【写真で見たものの本物を見る】があまりなく、【まっさら初めて見る】で、
とにかく行ってみなければわからない。
そんなドキドキ感ワクワク感も加味されて、インパクト、驚きが大きかったと思います。
写真や広報物のなかった昔の時代の旅人の気分を味わいました。
玉置神社の参道と、お社のあるところは、とにかく神秘的でした。
社殿までの20分は、婆にとっては距離も時間も長く感じられず、
早朝と天気の影響も加わってか、ずっと霧が・・・。
霧が大変神秘的でした。
伝えたいのは、これだけではないのですが、
霧だけではない、
霧の中の・・・なんだろう?
神秘的と感じるのは霧のせいだけではない、とわかる、感じるような。
それで結構な霧なのですが、全く視界が見えなくなるというのではないのです。
駐車場に着いた段階で、辺りも、まだかなり暗いながらも完全な真っ暗ではなかったです。
霧の中でも、道は問題なく見ることができました。
例えば天候の良くない山道を運転していて、霧の中に突入した時みたいな感じの、濃い、速い、鋭い、ふっと危険さえ感じるような霧ではなく、
動きのない霧、
もしくは、ゆっくりとした微かな動きがあるのかもしれないとも思われる霧。
あくまで例えて言うなら、
霧の一粒一粒がふわと浮かんでいるのが見えてしまう気がするような。
濃過ぎるというのではない、が、幽玄な濃淡がしっかりとそこらじゅうに漂い存在している。
幻想的空間
生き物にとっては、決してしんどく感じるものではなく、
心地よく包まれる様な・・・。
その中で、凜とした、
相反する表現ですが、
凛とした・・・厳しさ・・?
・・・厳しさ…じゃない・・か・・・。
凛とした….. 『 何か 』 ・・・の中に、柔らかくあたたかく包み込まれるような。
あの地、あの空間、あの霧の中で、
ひとは嘘をつけないと思います。
山道の途中で、背の高い男の方とすれ違い、お互いに挨拶をしました。
さっきあった軽自動車の、お社のお仕事の人かな、と想像しました。
お社に着くと、その辺り一面もすべて霧に包まれ、
手水舎のある下から見て、階段を上がったやや高い位置にあるお社は、誰もいないのですが、
すでに扉が開かれていて、灯りが燈っています。
誰もいない。
さっきすれ違った方が、灯りを点けたりしたのかな、などと想像しました。
その灯りが、霧にモヤッと浮き上がって光がさらに増幅し、
さらに神秘的にしていました。
何をどう言っていいか、わからない文章になっていますが、
実際どう表現したものかと思います。
あの時、見たものを、思い出すまま、書き出していますが、
それで伝わるものではないと、わかります。
羅列できる事象、じゃなくて、そこに漂う気。
異空間。
その後、数年して、2回玉置神社を参拝しましたが、
こんな霧は、この時だけでした。
さらに奥に上がって行けば、玉石社と、三柱神社、山頂と、訪れるべきところはまだあったのですが、当時はまだそれを知らず、
もし知っていたとしても、完全に明るくはなかった時間でもあり、
一人でもあり、宿に帰らなくてはならない時間もあって、やはり多分行けなかっただろうと思います。
この時もお社までの参拝となりました。
広島の若い人達も、お社に着き、婆とすれ違いざま互いに挨拶を交わしましたが、
駐車場の時とはうって変わって、無口になって神妙にしていました。
婆と同じ何かを、感じていたのだと思います。
大きな杉の木なども参拝して、
帰途に着きました。
それまで何とか堪えてくれていた重い雲、
駐車場に着いたとたん、しっかりした雨が降り始めて、
広島の人達、傘持ってたかな?とふと気になりました。
表面的には何が起きたわけではありませんが、この日のことは一生忘れません。
来ることができ良かったと心から思い、感謝しました。
再び車での帰り道。
知らない道を行く往路に比べ、
一度通って分かっている道を戻る復路は、何だか時間も短く感じるものです。
行きの心境とは全然違い、安心してスイスイ帰りました。
熊野本宮大社の横を通った時、
また車の窓をあけて、無事に帰って来られたことのへの感謝をお伝えしました。
ありがとうございました。
宿に着くと、ちょうど朝食の時間で、余裕で戻れたので、ほっとしました。
朝食後、チェックアウトした後は、和歌山県の内陸を太平洋側へ南下し、
台風の為、出来るだけ早く、次の宿に到着したいという計画です。
2日目のその道中も、この記事に書く予定でしたが、長くなりましたので、
2日目後半の記事は、次回にしたいと思います。